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「皆様―――本日はお忙しい所、亡き父を見送りに御列席頂き誠にありがとうございます」  そう言って俺は一礼をすると、マイクを持ち直した。  成層圏まで澄み渡っているんじゃないかと思う程の秋晴れの中、火葬場の煙突から立ち昇る白煙を見送ると、恙無く別れの儀式は終わった。  最初にこの光景を見たのは、俺が小学三年生の頃。母が交通事故で亡くなった時だ。坂道をノーブレーキで下って来た中学生の自転車に撥ねられ、その衝撃のまま側溝に落ち頭を強く打ち付け―――即死だったらしい。  学校に連絡が入り、泣き腫らした瞼のまま長姉が迎えに来た時、優しく料理の上手かった母と、もう二度逢えないのだと瞬時に理解した。  遺体の確認やら手続きやら、家族全員で母が運び込まれた病院に行き、紛れもなく母である事を確認した親父は、待合室で不安と悲しみで泣いていた俺達姉弟三人を、黙ってがしりと抱き寄せてくれた。  通夜でも葬式でも、親父は一条の涙も俺達に見せる事をしなかった。  だが、葬式も何もかも終わり自宅に戻ったその夜、ふとトイレに目が醒めて夫婦の寝室に灯りが点いているのに気付き覗いて見ると、親父は母の遺影と骨壷を抱いたまま寝室の床に座り込み、忍し殺すように咽び泣いていた。  そんな親父の姿を見て、子供ながらに俺は衝撃を受けた。あの親父が泣いてるだなんて、と。  その所為か、母を思い出す度に、咽び泣く親父の背中がワンセットで浮かんでくる。  病に臥すまで現場職人を貫いたガタイの良い、しかも強面(こわもて)で寡黙な親父が泣く姿を見るのは、後にも先にもあの日だけだった。  親父は俺たち姉弟三人を食わす為に、今まで以上に働いた。姉弟全員、希望の私立大学に進学させてくれる程に。たまにしか無い休日には、寂しい思いをさせてるからと、疲れているであろう身体を休める事なく、家事や遊びに付き合ってくれ、なんせ必死で育ててくれた。  親父方の祖父母も早くに亡くなっていたり、母方の祖父母を頼るには距離的に問題があったり(新幹線で片道三時間の距離)、頼りようが無かったってのもあったのだろうが。  しかし幸いな事に長姉は高校一年生、次姉は中学二年生という事もあり、俺も幼いながらに姉弟手分けする事で家事は何とかなっていた。  そんな「どこぞの(やから)ですか?」といった風体の父も、流石の病には勝てなかった。親父が余命宣言を受けたのは、俺が無時に就職し、六年も過ぎてからだった。  悪さをしようものなら容赦なく鉄拳を振るうような、怒らせたら怖いってもんじゃない親父ではあったが、その裏に溢れんばかりの愛情を注いでくれていた事を、俺たち姉弟は知っている。お陰で俺たちは人の道を踏み外す事なく、それぞれがそれなりに、ちゃんと社会へと巣立つ事が出来た。  姉二人は他県に嫁いで家庭を持ち、俺も中間管理職とはいえ役職に就き、そこそこ良い給料が貰えるようになった。親父も定年近いし、親孝行しなきゃなーと姉弟で話し合っていた矢先の余命宣告だった。  いざ手術となり開腹してみると、もう手遅れ。何もせずにそのまま閉じるだけとなり、本人の希望も有って、抗がん治療は受けず、緩和ケアで余生を送る事にした。  所が、さあもう死ぬってのに、ここになって初めて親父は生き生きとしてきやがって。こそこそ細々(こまごま)した趣味に没頭したりして、気が付けば余命宣告より二年近くも長生きしてくれた。  いよいよ身体が動かなくなり、ホスピスでの生活が始まってからは早かった。入所して三ヶ月もしない内に、やっとかーちゃんに逢えるなあ、なんて、それもう幸せそうに眼を瞑った。  あんなに幸せそうに眠ったのだから、これで良かったんだろうと思うしかないってもので。せめて、喪主くらいはきっちりやらんとな、ぐらいしか思い浮かばなかったというか、妙に腹が括れた瞬間だった。  お陰様で、普段余程の事が無い限り俺を賞賛などしない、精神面で親父の血を色濃く受け継いだ姉二人から褒められた。却って薄気味悪かったが、まあ良しとしよう。  さて。  葬儀も無事恙無く終わり、親父の骨壷と遺影を抱えて帰宅した―――わけだが。  元々長姉が嫁いで荷物が減っていた所に、親父もホスピスに入る前から粗方身辺整理を始めていた所為か、唯でさえだだっ広くなっていた4LDKのマンションが、だだっ広いどころか伽藍堂の様に感じた。    既に仏間へと変貌を遂げている両親の寝室に向かうと、俺は親父の遺骨と遺影を母の遺影の横に並べ、胡坐をかいて据わり、手を合わせた。  母さん、親父、そっちまでストーカーしに行くってよ。  いや、言い方が悪いな。  一途な男がそっちに向かいましたよ。    それにしても、まともに親孝行出来なかったなあ。  姉二人は嫁いで孫までお披露目し、親父も親父でじぃじーなんて呼ばれて、嬉しそうにだらし無く目尻垂らしてさ。 ―――俺だけだな、何もしてねえの。  そう思った瞬間、目頭がじんわりと熱を帯び、思わず眼鏡を外して目頭を指先で摘むように抑える。そこで漸く、俺はぽつりと涙を落とした。  悲しみよりも、虚しさというか、不甲斐無さからの涙なので、咽び泣くような事は無いが。 「俺ももう三十だってのに・・・何やってんだか」  と、独り言ちた瞬間、ハタと気付く。  嘘やん。俺、三十歳になったやん―――今日。    三十路突入の誕生日が葬式、しかもだだっ広い部屋に独りきりとは。  忙し過ぎて忘れてた・・・と、呆然としながら並んだ遺影を見ると、二人揃って素晴らしい笑顔で俺を見ている。  親孝行をまともにしてこなかった俺への嘲笑か? と被害妄想に浸りつつ、俺は大きな溜息を吐いたのだった。
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