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忌引きと有給合わせて二週間。ある程度リモートで対応していたとはいえ、こんなに長期休暇を取るのが初めてだった所為か、俺が久々に出勤して事務所のドアを開けた瞬間、部下の奥山が駆け寄って来た。
「田所主任ーっ!! 逢いたかったっすー!」
「あらま、嬉しいこと言ってくれるじゃないの」
と、目の前で泣き真似をする奥山の頭をガシガシと撫でると、そのままガシリと捕まえる。「まーたトラブルだろ。俺を主任呼びするときは大概そうだもんなー?」
「いだだだだだだだっ。痛いって健さん!」
「いやーこの二週間、何度か俺も頭が痛いさせらたからな。平等平等」
ぐぐぐと俺の手首を握り返し頭部の圧力から逃れた奥山は、どういう天秤すか、と文句を言う。
「しょうがないじゃないすか、俺データベース全然解らないし」
「ちょっとは勉強しよっかなー、という姿勢は無いんかい」
「いや、ちょっとは出来るすよ? でも何かあってパーになったらそれこそ大問題じゃないすか」
まあ確かに。俺はしょーがねえな、と態とらしくボヤキながら自分のPCのシステムを立ち上げる。そこから直接サーバに飛び、件のトラブルの原因であるテーブルを開いた。
昨夕一斉メールでトラブルの詳細が届いていた為、俺の中で原因は特定しているので、秒で対処出来る内容だ。
「この程度で慌てんなって。リンクテーブル一覧見たか?」
「見ました。でも複数あるじゃないですか」
「ああ、そかそか。ここのこいつ、累積テーブルを一時退避してやれば、応急処置は出来るから。ほら」
システムのフォーム画面から該当作業の処理をしてやると、エラーが表示される事無く、通常処理が進む。その画面を見て、奥山は眼を輝かせた。
「うおおおお! 治った!!」
「てか、こういうのも俺らの仕事だろ。精進せい。後は俺が修正しとくわ」
そう言って奥山の背中をバンと叩くと、でへ、と苦笑いを返す。
「すいません、お忙しい中何度もリモートさせちゃって」
「しょーがないさ。こっちに異動してまだ三ヶ月の奴に、ろくな指導もしないで任せきりにしちゃったからな。ま、こんな長期休暇は暫く無いから安心しな」
そういって俺は再度奥山の頭を、今度は掻き回す様にわしゃわしゃと撫でた。
俺の職場はロジスティックス。所謂輸送・倉庫関係だ。
一部上場では無いが中堅所の企業で、近畿圏内で合計七拠点を展開しており、それなりに安定している。各拠点の輸送システムサーバは関西の本社運輸部システム課で管理しており、俺はその課の長、主任という立場に居る。
因みに何故か課長職は存在せず、俺の上長は運輸部長となっている。その運輸部長は藤倉という男なのだが、大学時代の先輩の旦那でもあり、年齢は俺よりも十歳上だ。そこそこ古馴染み、という間柄だ。
俺が大手のSEとして内定を貰った際、うちの会社に来てくれと頭を下げて来るような奴なので、俺は恩を売っているつもりでいる。故に、俺は藤倉に対し遠慮は一切しない。現在進行形で。
然しながら、こいつがまたムカつく事に、兎に角仕事が出来る。仕事どころか人物相関を崩すことなく、卒無く上手く対応出来る奴なので、ここ数年、本社に於いては現役ドライバーの離職率ゼロ、という実績まで積んだ。
そもそも運輸業なんて、ブラック上等、そこんとこ夜露死苦! 的な業種なのだが、社長が顧客だけでなく社員を大事にする人柄で、福利厚生から何から充実している。人間関係で躓きさえしなけりゃ、相当ホワイト企業だ。
離職する現役ドライバーが居なければ、ルートの入れ代わりも発生しない。ルートを固定すると、発送元企業や、その商品に対しての知識と経験が蓄積されていく。それは商品事故の発生率を抑える事を意味する。
昨今の不景気の所為で新規顧客の伸び率は低くなってはいるが、値上げしても契約解除してくる顧客が出ないのは、そういったベテランドライバーが多いからだ。
ともなると藤倉の貢献度は計りし得ない。社長と藤倉が居れば、今のところ我が社は安泰だ。
とまあ、それはさておき。
向かう所敵無し状態の藤倉でも、流石にシステムの中まで詳しくは無い。
俺の直属の部下で、俺と同等にシステムが出来る柳という社員が居るのだが、現在、育児休暇を取っている。それが丁度、親父の病状がいよいよ怪しくなった時期と被ってしまった。
出荷管理業務等のデータ作業はパートで賄えるが、各営業所のシステムの統括や請求業務諸々、深い作業やシステムトラブルは、管理権限を持っている社員でないと対応出来ない。
しかしながら権限の認証コードを持っているのは、本社では藤倉、俺、柳の三人だけであった為、今回みたいに休暇がブッキングした場合、幾ら天下無双の藤倉とはいえ一人で処理をする事はほぼ不可能だ。結果、柳が育児休暇に入る前に、もう一人システム課に社員を入れようという事になった。
実は、藤倉は近々本社の所長にと社長から打診されている。これは上層部のみが把握している事だが、ほぼ決定事項だ。運輸部だけでなく本社全体を統括する立場へと上がれば、必然的に運輸部、システム課の両方を確りと管理しなければならないポジションが空いてしまう。
ポスト藤倉は未確定だが、何にせよ辞令が出る前に、管理の中枢であるシステム課を固めようという話になった。ともなると、下手に新規のSEを雇い入れるより、後々管理職に育ちそうな素材が良い。
そこで白羽の矢が立ったのが、奥山だった。
奥山は三年前に新卒入社して以来、無事故無違反で毎年表彰されていた模範ドライバーだ。
そんな彼は、対外的にも社内的にも人当りが良く、人間関係も卒無くこなす。営業部やら倉庫部やら、時間があったらあちらこちらと顔を出しては雑務を手伝ったりと、率先して動く上に迷惑を掛ける事が無い。そんな人間なので、社内で彼を煙たがる人間を見た事が無かった。
運輸とシステムは密接な業務連携を有するので、俺自身も奥山の人となりや仕事ぶりを良く知っている。故に、俺は即断でその話に乗った。
とまあ、そんな経緯で俺の部下となった奥山だが、部下というより末っ子長男の俺にしてみれば、可愛い弟分が出来た感じだ。
「お。健、お疲れ」
脳内で噂をすれば、藤倉がひょっこりシステム課に現れる。「伝票発行出来るようになったと思ったら案の定。助かったわ」
「おー、よーちんお疲れ。大変だったな昨夜。伝票手書きで対応したって?」
因みによーちんとは藤倉の渾名だ。入社当時、お互い付き合っていた藤倉の彼女(現在は嫁)と俺の彼女と四人で飯を食いに行った際、藤倉の嫁が「陽司」を呼び間違えたのが面白くて未だにそう呼んでいる。呼んでいるのは俺だけだが。
「倉庫部の連中と、帰って来たドライバーで総出作業。参ったわ」
「昨夜はすみませんでした藤倉部長。ご迷惑掛けました」
奥山が振り被るように頭を下げると、藤倉は苦笑する。
「連太郎は迷惑掛けてないだろ。迷惑掛けたのはこいつ」
と、藤倉はコツコツとサーバのPCを指先で叩く。「PCも来期には総入れ替えするから、バグらんようなシステムにアップデート頼むわ」
「簡単に言ってくれるねえ」
「言うだけぐらいは簡単に言わせてくれ」
藤倉はくつくつと笑うと、ああそうだ、と俺を手招きする。「健、ちょっと相談があるんだ。忌引き空け早々で悪いんだが・・・今夜時間作れるか?」
「あら。えらいまた急なお誘いですこと」
俺がしなりと手の甲を頬に当てると、藤倉はキモ、と一言返して奥山に振り返る。「連太郎も来るか?」
俺を無視して奥山に視線を向けると、奥山は首を横に振った。
「今日は辞めときます。彼女に今日は早く帰るっつってるんで」
「あー連日残業だったもんな」
「はい。だし、お任せします」
「ああ、そうか・・・ん、解った」
漸く俺に振り返る藤倉は、スマンな、と残して部屋を後にした。
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