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 親睦会も盛況に終わり、陽も沈んだ十九時過ぎ、俺達は会社へと戻った。柳は奥さんが車で迎えに来ており、奥山と藤倉もそれぞれ自分の車で帰って行く。駐車場で皆を見送ってから、矢作の背中に手を掛けた。 「さて俺らも帰りますか。俺、酒飲んじゃってるのよねー」 「知ってますよ。まーよくもあんだけ飲めるもんですね」  矢作が呆れたように俺の車のスペアキーを取り出すと、運転席へと乗り込んだ。エンジンが掛かり、ゆっくりと車が動き出す。流石はプロドライバー、上手い上に安全運転だ。 「で? 社長、なんて?」  初出式の後、社長と何やら話し込んでいる時の事を切り出すと、ああ、と矢作は返す。 「お陰様でこれからも頑張れそうですって礼を伝えたら、藤倉さんから君が頑張っている事は聞いているって、凄く褒められて。健さんの所でお世話になる事になったって言ったら、それも知ってて。田所なら信頼出来るから安心だって言われて、嬉しくなっちゃいましたよ」 「へえ。俺そんなに社長と喋った事無いんだがなあ」 「健さんは本社名物だから」  何それ。珍獣扱い? それとも饅頭か何かなの俺。  俺が睥睨すると、矢作はけらけらと笑う。 「システムの事だけじゃなく、何かトラブルがあったら必ず動いてくれる人って、どこの支店でも言われてるみたいです。藤倉さんといい田所といい、本社は逸材が揃ってて羨ましいって、神戸の和塚さんが言ってました」 「何お前、和塚さんと面識あるの?」 「有りますよ? 毎年本社、神戸、和歌山の運輸部固まって飲んでますから」 「ほえー知らんかったわ」 「だって健さん、いっつも隅っこで柳さんや専務と飲んでて、あんまり参加しないじゃないですか」 「何でそんな事知ってんのよ」 「皆知ってますよ。皆、遠巻きに見てますから。健さんとシステムの事とか、話したい事あるから声掛けたいのに、厳ついおっさん二人に囲まれて近寄れないって」  奥山ですら、去年まで流石にあの面子だと近寄り難いわーと言っていたらしい。  まあ無理も無い、柳は内面こそ几帳面で自信の無い穏やかな性格をしているが、外見はNJPWのヒール役かと思う程がっちりした大男の上、人相が(いか)つい。オマケに専務も専務で反社の親分か麻取の刑事か、という程風体が厳ついのだ。しかも三人とも蟒蛇(うわばみ)なので、尚近寄り難い模様。  因みに和塚さんは神戸営業所の運輸部長で、俺より二年先輩に当たる。俺自身は和塚さんとそこまで接触が無い。システムトラブルで何度か神戸に出向いた時に、飯を食いに行った程度だ。  元々は本社勤務だったのだが、俺が入社した当時、神戸営業所は拠点閉鎖に追い込まれそうになる程業績が悪化した。それを再建させる為に自ら異動を名乗り出た先輩だ。  何せ神戸はでかい工業地帯を抱えるドル箱区域なので、手放すのは勿体無い。和塚さんは契約を一新しヤード改善して便を固定させ、ドライバー教育を徹底した。現在では太客ばかりが就いており、お陰で本社の次に業績が良い。   「逸材って意味じゃ和塚さんも逸材だけどな。あの人の手腕は凄い、同じ土俵にすら上がれんわ」 「神戸の所長さんも和塚さん頼みだったみたいですしね。最年少所長も有り得るかもって、神戸営業所ではずっと噂だったみたいですよ」 「だろうな。で、件の古澤所長、ドライバーに降りるって話、聞いてる?」 「えっ、そうなんですか?」  矢作は驚いて眼を瞠った。 「そ。神戸逼迫時代に辛酸を舐めてきた所為か、自分に所長職は向かんって、ずっと言っててな。専務と常務二人揃ってずっと宥めて背中押してきたんだが、今回滋賀の所長の異動が決まって、和塚さんが他の営業所に持っていかれる心配がもう無いからって。定年まで後十年、のんびりやらせてくれってな」 「大田さんパターンですね」  古参ドライバーの大田さんも、元運輸部長だ。  嫁さんが体調を崩した時、仕事と看病と家事を背負うのは無理だと上に掛け合い、当時の運輸部長―――現在の所長と交代して役職を降りたのだ。元々長年大型を転がしていた人なので、事務所に詰めるより走る方が気が楽なのだろう。 「ま・・・どう転んでも、うちは逸材ばかりが揃ってるって事だ。滋賀の所長だってワンマンだけど、いざとなったら自分で走るし。人の使い方が下手なだけで、仕事はちゃんとやる人間だからな。常務だって影薄いけど、舞鶴営業所が一部上場のお膝元でやれてるのは、常務が営業やってた時代の功績だし。因みにお前も逸材だからな?」 「俺? いや、俺は全然。まだまだですよ」  そうか? と助手席から手を延ばし、その頭をわしゃりと撫でる。 「そうでもないぞ。春からの大口、お前に任す事になったから。気張れよ?」 「え? うそ、マジで?!」  こらこらこらこらハンドル離すんじゃないっての。  俺が咄嗟にぺん、と頭を叩くと、矢作は不貞腐れる。 「運転中にびっくりさせる方が悪いです」 「そうかあ? 話の流れ的に出てもおかしくないだろ。ま、大田さんとペアだから心配するな」 「それなら良いですけど・・・」  矢作は些かほっとしたような表情を浮かべた。 「あそこ、薬品扱ってるから荷扱い厳しいのよ。商品事故一度も起こした事ないのお前だけだからな。荷扱いもピカ一だしで、この便は矢作に走らせろって、藤倉と大田さんが一押ししたの。ドラム製品は大田さんに任せて、お前はパレットもんって話で決定してる」 「じゃあ、俺と大田さんのコースは? 俺のコースは誰でも行けるけど、大田さんのコースは結構煩いお客さん多いですよ」 「お前のコースは佐原に戻す。佐原の便、堺に移るから」 「え、そうなんですか? あ、そっか。あの便、関空メインですもんね」 「そ。それに、佐原は元々お前が入ってくる前、その便走ってたから、お客さん的にも問題無い。大田さんのコースは、古澤さん」 「あー、成る程。それで、ドライバーに降りる話、役員が了承したんだ」  そこまで話した所で、車がマンションの駐車場に到着する。 「そゆこと。さ、お家に着きましたので仕事のお話は終了。風呂入って一杯飲んで、明日からまた一年頑張りましょー」 「は? まだ飲むんですか?」 「風呂上りの一杯は格別なのよ。別モン。お前だって、スイーツは別腹だろ」  車から降りながらそう言うと、矢作は苦笑した。 「俺の場合、別腹じゃないですけどね。胃袋の容量がでかいだけで」 「胃下垂なんじゃないの、お前。あんだけ食うのに全然太らんし」 「あ、それ。半年前、色々検査した時に言われました。成人女性より筋肉量が倍以上有るのと、仕事柄運動してる分、筋肉のお陰で骨が保ててるけど、歳取って運動量が減った時気を付けるようにって。後、急に飯が食えなくなったりするとか」  そういえば、と矢作は思い出したように顔を上げる「今後・・・ホルモン治療を考えるのであれば、筋肉量や質も変わるし、しないのであれば、それはそれで弊害が出ないとも限らない。そういった面もサポートするので、もし通院するなら、気軽に来てください。一緒に考えていきましょうって言われてたの、今思い出した・・・」  選択しない事も、選択の一つなのだと。  自分の感情に名前が付けられ、俺に告白されたあの日。  あれ以降、毎日の生活の全てに於いて、視界が拓けた感じがするのだという。あの時は未だ、と自分を追い込んでいた為、頭の中で医者の言葉が整理されていなかったのだろう。だから、今頃になって思い出したんだろうな、と、矢作は言う。  エレベータに乗り込み、最上階のボタンを押す。ポン、という音が鳴りそのドアが閉まると同時に、俺は矢作の肩を掴んでゆっくりとその身体を引き寄せた。 「そこの病院、また行ってみたら?」 「うん・・・そうしようかな。あの病院なら(かよ)っても良いかな」 「俺も一回一緒に行くわ。詳しい状況とか、起こりえる症状とか、きちんと聞いとかんとな」 「一人で行けますよ。過保護ですねえ」  そう言って矢作はこてりと俺の肩に額をぶつけてくる。 「過保護? 俺はお前の保護者じゃないぞ? 相棒なんだから、知っておくべき事だろ?」 「相棒・・・」 「え? 違う? うそん」  俺が焦ってその顔を見下ろすと、矢作はぶんぶんと首を横に振り、 「相棒です! だから、今後飲み過ぎたら容赦しません!」  風呂上りは即ベッドに俺が投げ込みますから、と、悪戯小僧のような笑顔を向けた。  そして宣言どおり、風呂上り当たり前のように冷蔵を開けようとした俺を軽々と担ぎ上げ(因みに六十八キロだ)、ベッドに放り込んだのだった。
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