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 若干青白い顔色をした矢作が待合室に戻ってくると、ふらりと俺の横に座り、背凭れにだらりと凭れ掛かった。 「つ・・・疲れた・・・」 「そらまあ疲れるだろうよ。さ、会計終わったらさくっと帰ろうや。家でゆっくり寝とけ」 「皿洗いはします」 「せんでええっての」  そんな話をつらつらしていると受付から呼ばれ、会計を終わらせる。売店で飲み物を買ってから、車へと向かった。  駐車場に着くと、矢作は当たり前の様に運転席に座ろうとする。俺はその首根っこを掴むと、助手席に放り込んだ。 「アホだろお前。事故したらどーすんのよ」 「しませんって。俺、プロですよ」 「お前知らないの? 俺大型持ちよ? 俺様もプロですよ?」 「え? マジすか?」 「マジです。平社員の時取りました。一昨年だったか、何回か真冬の滋賀便横持ち(※社内の拠点間輸送)してたの、知らない?」  うそーすげー、と、羨望の眼差しで俺を見る。 「知らない知らない! 入社した時からモニタと睨めっこしてるだけだと思ってました」 「基本そうだけどな。でも最初の一年は運輸部。当時のシステム課、外部に委託しててな。俺が入って契約切るのに一年掛かったのよ。まあ、俺も輸送の事何も知らないから、良い勉強期間になったし。ま、そんな訳で中型だけど、最初の一年間チャーター乗ってたの。藤倉から聞いた事無い?」  そう訊くと、矢作はシートベルトを締めながらいえ、と首を横に振る。 「まあ知らんでも当然だわな。お前が入社した時にはとっくにシステム課に異動してたし。と、出発しますか」  俺がそう言ってエンジンを掛けると、矢作が俺の左手の手の甲に手を載せて来た。  あら? ちょっと待って? いやいや、最近コミュニケーションというか、矢作から触れて来てくれる事、ちょっと増えてきてるよね? 相当嬉しいんだけど、どーしたらいい俺! つか思春期か俺!  と、ソワソワしながら矢作を見下ろすと、矢作は助手席にぐったりと凭れ、目を閉じていた。疲れて安心したかったのだな、と、(よこしま)な俺を追い払う。  振動を抑えるように車を発進させると、薄っすらと矢作が目を開く。そして、重ねている手をずらし、俺の掌の下に滑り込ませた。 「こっちがしっくりくるなあ」  矢作はぽつりとそう呟くように言う。「健さん、手大きいから、俺の手なんてすっぽり入っちゃう」 「何なにどーしたのさ急に。俺の事ぜーんぶ包んでくれる健さん大好きーって話?」  俺が冗談めかして言うと、矢作は真剣な表情で頷いた。その表情を見て、そか、ありがとさん、と伝えながら、すっぽりと手の中に納まっている矢作の手を握り締める。すると矢作は背凭れに預けている頭だけを少しずらし、微かに触れる程度ではあるが、俺の肩に載せてきた。 「検査服に着替える時、貴重品置くロッカーみたいな所があってさ。そこに、鏡が付いてて。顔洗う時とか、歯磨く時とか、毎日見てる筈なんだけど・・・俺、なんか顔が変わったなあって思った」  身体もやっぱり以前より少し丸みを帯びている、と、再認識したと。「こうやって、俺の身体はどんどん女性になっていくのかも知れない。最初はとんでもない不安に駆られたし、恐怖でしか無かったから、鏡見るのなんて無理で直視なんて出来なかったけど。でも、不思議なんだよな。今はちゃんと鏡を見れる。どんな器だろうと、幸せになる権利を掴んで良いんだって思えるから」  だから、と―――視線だけを俺に向けて。 「だから、俺の事、これからも甘やかして欲しい」  我が儘かも知れないけど、と。  これから先もずっと、傍に居させて欲しい、と。    ・・・もしかすると、だが。  もしかすると、母親が頑なに『矢作優美(ゆみ)』に拘らず、『矢作(たくみ)』を認めていたならば。そのままでいいのだと包んであげていたなら、回り道をしながらでも、迷いながらでも、もっと早くに自身の身体を受け入れる事が出来て居たのかも知れない。  頑なに男性で有る事に拘る必要も無い。頑なに女性で有る自分を否定する事も無い。その時その時で性自認が変わろうと、関係な無い。それも全て自分自身だから、これで良いのだ、と。  女医さんのが、己を貫いているように、もっと早くから、矢作はで居られたのかも知れない。  ただ、今更の話でしかないし、あくまで想像でしかない。だが、こうして今俺と居る事で、自分自身を認めていく事が出来るようになっている。長年培った不安と懊悩。それに独りで向き合ってきた事で自分を見失っていた。  独りで戦う必要は無いのだと、矢作は漸く知ったのだ。だが、悪癖というものは無意識下に存在する。これからもまた独りで悩み、迷ってしまう事も有るだろう。  だからこそ、そうならないよう、俺が独りになんかさせやしない。  俺の結論は一つしかなかった。  信号が黄色から赤に変わり、車を停止させる。  俺は、握り締めていた掌を一瞬離し、指と指の間に自分の指を滑り込ませて握り締め直した。 「よし、結婚するか!」  突然の俺の言葉に、矢作は驚いてガバリと身体を起こす。 「え?! いや、俺そういうつもりで言ったわけじゃ! 話、飛躍してませんか?!」 「いやいやそういう事だろ? 今し方ずっと俺と居たいって言ったばかりじゃないの。ならそれが一番でしょーが」 「いや、でも!」 「何か問題でも? 戸籍上はお前女なんだし。何一つ問題無いじゃないの。ほら、今結婚ブームだし?」 「結婚したの連さんだけでしょ? 俺の我が儘に対して結婚って、思考がぶっ飛び過ぎですよ」 「お前が我が儘言って甘えるって言うんなら、俺も我が儘言って甘えさせて貰うわ」  そう言って勢いをつけて身体を起こすと、その唇に不意打ちを食らわせる。 「・・・!!! ちょ、ここ公道!!」 「プロポーズに公道もくそもあるか」  矢作はプロ、とだけ言って絶句する。 「お前の我が儘なんぞ、余裕で許容範囲だわ。寧ろ俺がお前の我が儘、全部貰う。俺がそうしたい。どうだ、俺も相当我が儘だろ?」 「健さん・・・」  ほーらまた、そうやって直ぐ泣きそうになる。  いや、俺が泣かしてるんだろうけど。 「という訳で決定。意義は認めん。口開こうもんなら、またその口塞ぐからな? だから家に着くまで大人しく寝とけ」  俺がそう言うと、矢作は暫くしてからぶふっと噴き出して、眼を閉じた。  そりゃーまあ、バックミラーで見た俺の顔ときたら、生まれたての赤ん坊か? という状態でね。柄にも無い事言ったりやったりするもんじゃないが、それでも止める事が出来なかった訳ですわ。  脳内で独り反省会を開催しながら車を走らせていると、握っていた手から、指がするりと抜け落ちていく。ふと視線だけを矢作に向けると、寝息を立て始めていた。それはもう、幸せそうな顔で。  ―――勢いだけじゃ、ね。  という藤倉の嫁の言葉を思い出す。  大丈夫、今回は勢いだけじゃなく、確りと中身も詰まっている。  帰って家に着いたら、ちゃんと伝えよう。  俺の方こそ、お前とずっと一緒に居たいのだ、と。
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