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「終わったー・・・!」
ぐたり、とデスクに突っ伏す奥山の顔の直ぐ傍に、柳が申し訳無さそうにコーヒーを置く。
「僕が定時で帰ってたばかりに、ごめんね」
「それは謝る所じゃないでしょー、奥さん大変だったんだし。俺も嫁さんに何か有ったら、そっこー帰るから、お互い様っすよ。・・・てか? 確かにデータ関係とか全部健さん任せでしたけど? ここに来て請求書類丸投げって酷くないすか?」
無言でデータチェックをしていると、奥山がデスクに突っ伏したまま愚痴る。俺はカチャ、と指を止めてチロリと奥山を見下ろした。
「酷かないだろ。寧ろいつも頑張ってる上司を労って早く帰って貰お! 俺頑張る! 俺がやりますから! とか無いんかい」
「だから頑張ったじゃないすかあ」
「奥山くん、今度は僕がちゃんと対応するから。本当にありがとう」
柳がそう言って宥めると、奥山ははーいと言いながら身体を起こし、コーヒーを手に取った。
残り二日、と言ったところで、柳の奥さんが退院した。その足でフルで残業に入ってくれたお陰で、二十日の山場がぐっと楽になったのは本当に有り難い話で。
ちらりとPCモニタの右下にある時計を見ると、十七時二十七分。どんなに遅くとも十八時半頃には会社を出れそうで、俺は内心ほっとしていた。
漸く矢作と飯が食える。顔を見ながら、他愛も無い話をしながら食事をするという、俺の最強の癒しの時間がやっと戻ってくる。そう思うだけで妙に気が逸り、思わず昼休憩に矢作に、今日はリアルタイムで飯作るぞーとLINEを入れた程だ。丁度ヤードに帰ってきた頃だろう時間帯に、やったー! という一言と、嬉し泣きみたいなスタンプが送られて来たので、尚更気が逸る。
データのチェックも完了し、後は奥山の作成した請求関係をチェックして・・・といった所で、内線が鳴った。
・・・なんか、いやーな予感しかしないんだけど? と敢えて受話器を取らずに放置していると、奥山が内線を取った。
「はい、システムです。・・・え? うっそ、マジすか」
受話器の口を押さえ、俺の顔を見上げてくる。「健さん、和歌山のPCシステムクラッシュしたって・・・」
うっわ、予想的中。
「誰? 藤本?」
「はい」
「うし、話解る奴居てくれて良かった、替わってくれ。柳、サーバ繋いで状況見てくれ。連太郎、残れる?」
「残れます」
そう言って奥山は背筋を伸ばす。
「良い機会だ、俺と柳の対応確り見とけ」
「はい!」
奥山はペンとノートを取り出すと、ゴロゴロと椅子を滑らせながら俺のデスクまで来た。
「と、五秒時間くれ」
そう言ってスマホを取り出すと、矢作に「トラブル発生、すまん」とLINEを入れる。それをどうやら奥山に見られたようで、小声で「そっこー終わらせましょ」と言われたのだった。
結局トラブル処理が終わったのが十九時過ぎ。いや、内容を考えたらかなり迅速に対応出来た方だ。柳が居なけりゃ、もう少し時間が掛かっていた。
後は俺達で対応しておきますんで、という言葉に甘え、俺はそそくさと帰り支度をし、車に乗り込んだ。乗り込んだ瞬間、社内メールが届く。今回のクラッシュ原因となった内容が記され、近日中に一時的なアップデートを施すというもの。発信元は奥山だったが、的確な表現に成長を感じた。
これなら何の心配も無く、運輸部に回れる。PC総入れ替え後の本格的な実装には立ち会ってやらないといけないが、運用は柳と奥山でいけるだろう。
俺は部下達の成長を誇らしく感じながら、エンジンを掛けた。
何年ぶりに全力疾走しただろうか。マンションの駐車場に着くなり、俺はエレベータまで走っていた。この時間ならそれなりの飯が作れる、と思うと、走らずには居られなかったのだ。
「ただいま!」
とドアを勢いよく開け、靴を脱ごうと下駄箱に手を掛けた瞬間、妙な臭いに気付く。まさか俺の足・・・じゃないだろうな? と靴を持ってみるも、運動靴独特の布の臭いしかしない。というか、臭いの質が違う。
そろりと廊下を歩きキッチンへ向かうと―――そこは戦場だった。
「お帰りなさい・・・」
どう見ても敗戦しました、といった呈の矢作が、シンクに手を付きがっくりと肩を落としている。
「これはどういった状況? ここはシリアか何処かですか?」
「違います、日本です。そして健さんの家です」
すみません、としょんぼりとする矢作とその周辺を見て、俺は爆笑した。
状況的に、矢作なりに料理を試みたのだ。いやもうどうやったらそんなに焦げるのよ、と突っ込みたくなる鍋と、シチューらしきもの。俎板の横にはスマホが置いてあり、料理動画チャンネルが開かれていた。
「健さん、ここの所ずっと忙しかったから。シチュー位なら俺でも作れるかなと思って、作ってみたんですけど・・・」
更にがっくりと項垂れる姿を見て、俺はわしゃわしゃとその頭を撫でた。
おお、約二週間ぶりの矢作の頭・・・。
暫く堪能するように撫でていると、矢作に摩擦で熱いです、と苦笑された。
「TPOって知ってる? 適材適所」
「知ってます」
「この家のキッチンは俺が立つ場所。な? で、お前はモリモリ食う。我が家ではそれを適材適所、と言う」
「イレギュラーだって有りますから」
まあそりゃそうだけれども。
俺は鼻で息を吐くと、替わりなはれ、と袖を捲くった。
どうやら米は炊いている様子。冷蔵庫を開けてみると、牛乳にスライスチーズ、バターも有る。何ならホールコーンも有るじゃないの。米にバターとホールコーン放り込めば・・・いける。余裕だわ。
「よし、後は任せな。美味いもんに変身させてやるから」
そう言うと、はい、と矢作は苦笑した。
一時間後、出来上がったドリアを見て、その苦笑は輝かんばかりの笑顔に変わっていたのだから、何とも現金な話だ。と、思っていたら、どうやら俺もまた終始にやけたまま飯を食っていたようで。健さんのその顔、久しぶりに見たと、矢作に突っ込まれるまで気付かなかった。
ああ、漸く日常に戻ったな、と感じる。
熱っ! とか言いながらスプーンに目一杯載せると、まるでリスの頬袋の様に頬を膨らませてモリモリ食べていく。そんな矢作を見て、更に実感する。
やっぱ好きだわ、こいつの事。
このままで良いか、と思える程に。
いや、確かに抱き合ったり触れ合ったりはしたいが・・・どうせ歳取ってじじいになったら、そんなもん出来なくなるし。
俺の視線に気付いたのか、矢作が不思議そうな顔で俺を見遣る。そして、ふわりと笑うと、ドリアって初めて食べたけど最高! とスプーンを握り締める。
その笑顔だけで、ここの所の疲れが一気に抜け落ちたような気がした。
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