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 珍しく早朝に眼が醒めた。  うん、まああれだ。ヤバイ位、爆睡した所為だな。  そもそも男の機能というものは不思議なもので、疲れていると尚元気になってしまうという、謎の法則が有る。いやそれよりも多分、舞い上がり過ぎたってのが正解だ。まあそのお陰で有り得ん位、爆睡に陥った訳で。  それにしても―――と、後頭部をコリコリと掻きながら、思わず反芻する。  確かに筋肉は確りと付いている処かシックスパックな腹筋だが、肌の滑らかさや身体のライン、下手したら俺の方が有るんじゃね? というレベルの胸の膨らみも、柔らかさは女性そのもので。  服の上からでは解らなかったが、それなりに括れやら何やら、紛う事無き女性の身体でしかなかった。  最後の最後まで矢作が気にしていたところも、言うなれば少し大き目の出来物か何かかな? 程度で。俺が躊躇無くそこに触れると、矢作は泣きそうな、それでいて心底安堵した様な表情で、俺に抱き着いて来たのだった。  そんな矢作を見て、それでも俺の中で何かしらの抵抗感が出てしまったら、これはもうスライディング土下座だな、とか、脳内でシミュレーションをしていたのだが、最後まで何の衒いも抵抗感も生じなかった。  ただただ只管に愛おしいだけだった―――。    ふと隣に視線を遣ると、矢作は未だすやすやと眠っていた。  枕もとの置時計を見ると、朝四時。時計の隣には、いつの間にか予告通り眼鏡を持って来てくれて居る。早起き序でに、たまには朝食でも作ってやろうかと、眼鏡を掛けてそろりと布団から抜け出ると、カーテンをほんの少しだけ開いた。  まだ薄暗がりではあるものの、東の遠くの空が若干白み始めている。もうそんなに朝が早くなる季節か、と季節の移ろいの速さを感じた。  と同時、矢作が我が家に来て、とっくに半年が過ぎている事に気付く。そして、正式に恋人という関係となって三ヶ月が過ぎていたのか、と。  いや、違うな。未だ三ヶ月しか経っていない。  その僅か三ヶ月の間に、矢作は心一つ全てを俺に預ると決めたのだと思うと、その決断力の半端無さに感服する。  もっと時間を掛けて迷ってくれても良かったんだ。もっと怖れても良かったのに。正しく、全身全霊という言葉を思い知らされた気分だ。  矢作を起こさない様にその髪をそろりと指先で梳いてから、ベッドに腰を掛ける。床のあちこちに散らばっている衣類からTシャツと下着を拾い着ていると、くん、とTシャツの背中側のが裾が引かれた。何かに引っ掛かったかと思いその先を見ると、矢作が指先で裾を握っていた。 「悪い、起こしちゃったか」 「・・・おはようございます・・・何処行くんですか・・・」  起こさない様にしようと思っていたのだが、寝惚け眼と言うか、とろんとした声で訊くもんだから、思わずわしゃわしゃと頭を撫でてしまった。 「後一時間は寝れるから、寝とけ。朝飯作ってくるから」 「ヤです・・・」 「ん?」 「朝飯はコンビにで買うからいいです・・・」  そう言ってそのまま俺を引き寄せると、抱き付いて来るもんだから、俺も布団に戻るしか無い。しょうがねえなあ、と苦笑しながら、ゆっくりと頭を撫でてやると、もぞりと身体を動かした。 「大丈夫か? 今日仕事きつかったら言えよ。責任は俺に在るから」  そう言うと、矢作はぷふっと噴き出して。 「大丈夫。俺こそ、健さん疲れてるのに我が儘―――」  とまで言い掛けて、「そうですね。倒れたら責任取って介抱して貰います」  と返して来た。そうそう、それでいい。こんな嬉しい我が儘、もっと言ってくれんと、俺が我が儘言えなくなる。 「はい! 喜んで!」  何処ぞの居酒屋宜しく返事をすると、と矢作は笑いながら顔を上げた。 「健さん・・・俺と、結婚して下さい」  それもう、幸せそうな笑顔で―――。「まさかこんなに早く、答えが出るとは思わなかったです」  この二週間、独りでめちゃくちゃ悩んだけど、と。 「お前さんは難しく考え過ぎなのよ。俺も人の事言えんけどさ」 「うん。もっと早く、飛び込んでみれば良かった」 「・・・まあ、否定せんよ。葛藤するのは当然だ」 「うん・・・でも、葛藤って言うより、不安だった」 「どうして?」  俺がそう訊くと、矢作はふわりと微笑んで言う。 「健さんが幸せだと感じる事が、俺の幸せでも在るから。健さんが求めるものが俺の何だろうと、俺は幸せになれる。でも、この身体に触れても、幸せだと感じてくれるだろうか、て」 「・・・で? 俺は不満そうだったか?」  そう訊くと、矢作はゆっくりと頸を横に振る。 「全然。だから俺も今、めちゃくちゃ幸せです。・・・でも、何か不思議なんです。こうなって初めて、男としての俺と、女としての俺が向き合って、お互いを認めて手を繋いだ感じで・・・上手く言えないんですけど」  俺は思わず目を瞠った。確かに性の揺らぎは有るのかも知れないが、それぞれの優が事も在るのか、と。  いや―――在り得るのだろう。世の中はまだま未知の世界が多く、不可思議な現象で溢れているのだから。 「ま・・・無理にあーでもないこーでもないって考えないで、自然に任せな。昨夜みたいに」  はい、と矢作は小さく、それでいて確りと頷いた。 「でも・・・健さんだけだな・・・、触れてって思えるのは・・・」 「おう、任せろ。いやって程触れてやるから」 「それ、全身(くすぐ)り倒す気でしょ」  矢作は苦笑しながらも、任せます、と頷いた。 「・・・結局、どう足掻いても、俺には健さんだけなんだなあ・・・」 「そーよ? どう転んでも、お前は俺と居たいの。何で俺の方が知ってんだよ、アホめ」  そう言ってその頭を撫でると、ですよね、と苦笑してから俺の胸に顔を埋め、眠たそうにしながら眼を閉じた。  着ていたTシャツだけをどうにかして脱ぎ、もう一度抱き締め直す。直接触れる肌から互いの温もりが伝播し合えば、それは穏やかな呼吸を伴った、柔らかな羽毛を纏う様な心地になった。  それなりに恋愛を経て来たが、三十歳となった現在になって初めて、『愛し合う』という行為の意味を知ったような気がする。  そこでふと、触れて欲しいという言葉に思わず感動してしまい、伝えるのを失念していた。  俺だって矢作の方からも、もっと触れて来て欲しい。ど派手に転んで血塗れになろうがどうなろうが、俺はお前の傍に居たいのだ、と。  ・・・まあ、気付いてるだろ。  俺の胸元に顔を埋め、再び眠りに落ちた矢作の寝顔を見て安堵する。その寝顔は穏やかで、そして幸せそうだった。  ―――どうやら二人の解は同じ様だ。    俺はそのまま口付けると、その身体を包み込むように抱き締めた。
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