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 歳を取ると、時間の流れは加速していく。  今年は台風が少なかったものの、明け方からでかいのが関西を横切っている為、未だに雨脚が強い。  そう言えば去年もちょこまかと、しかも風台風が来ていたな、と思いながらぼんやりと雨雲を見上げていると、後頭部をいきなり叩かれた。 「何ぼーっと突っ立ってんのよ。社務所で清算してきて。はい、お姉と私の分」  次姉はそう言って封筒を俺の手にべちりと載せると、さ、先にお墓にお花供え行きましょ、と(たくみ)の肩にぽんと手を載せた。  今日は親父の三回忌で―――優と同居を始めて二年目を迎えようとしていた。  振り返って見れば怒涛の展開だったな、と思う。特に親父が死に、優が我が家に来てからの半年は目粉苦しい日々でしかなかったが、今ではどれだけ穏やかな日々となっている事か。  そして、この二年の間に優は目に見えて変わった。  ふと、次姉と談笑しながら歩いていくそのビニール傘越しの後ろ姿を見詰める。  ざっくばらんに括っていた、しかも自分で適当に切っていたというその髪は、今では綺麗に整えられたショートヘアだ。そして、パンツスタイルでは有るが、着用している礼服は女性物で。  女性で有る自分、男性で有る自分、そのどちらも『矢作優』だと堂々と言葉に出来る様になってからは、性別的な縛りが有る物に対しての抵抗が無くなった様だった。家の中だけでは有るが、ゆったりとしたワンピースを着たりもしている。理由は『楽だから』の一言で終わったが。  会社では社長の計らいで、今も男性として働いている。そこに藤倉が、表向きのみ優は別にアパートを借りた事にしてくれ、俺が既婚者となった事を周知した。人事異動の残留組に対しての牽制と、同じ轍を踏まない様にする為だ。  奥山と土井にだけは、優は指輪を見せながら嬉しげに報告した様だ。本当は指輪を外したく無かったらしいのだが、俺が頑として指輪を外さないので、諦めて日中だけネックレスにしている。  俺が指輪嵌めたままで居る方が、心配事は減るだろ? と言ったのだが、そんな心配一つもしてないと不貞腐れられたのも、今や良い想い出になりつつある。  正直、自宅に居る時だけは、当時と比べて驚く程女性らしさというか色気を感じるようになった。「健さんと居る時位は、自分らしさというものを全部解放する!」と、何も考えずにそのまま体現するとこうなった、との事だ。  ただ、妙に色気が付いたのを解る奴は解るもので、正直気が気で無い面も有る。年始の親睦会で神戸の和塚所長に、矢作ってこんな綺麗な奴だっけか? なんて訊かれ、気の所為っすよと笑顔でしらばっくれるのに精一杯だった。後に、藤倉から顔が引き攣ってたぞ、と言われた。くそっ。  ここまで優が吹っ切れた切っ掛けは別に有る。  勿論、日々の中で女性を意識せざるを得ない状況(察してくれ)もそれなりに有るので、緩やかな変化は有ったのだが、幾ら楽でもワンピースを着る事など一切無かった。  矢張り大きな区切りになったのはこの日。  それは去年の俺の誕生日だった。 「健さん、質問です」  藤倉に結婚予告をしたその翌週の日曜、昼飯を食いながら話を切り出してくる。 「健さんの誕生日って、いつですか?」  おお、そういえばそんなイベントも有ったな。ていうか、親父の葬式という一大イベントでも有ったが。 「俺? 十月三日だけど」  そう答えると、矢作は成る程と識り顔で頷きながら後四ヵ月後か、と指を折る。 「何か有んの?」 「健さんの誕生日にしたいと思って」 「何を?」 「その・・・入籍日」  俺は思わず眼を瞠った。実は来月辺りにでも入れようと思っていたのだが、なんとまあ唐突な肩透かしを喰らわしてくれるのか。 「そんな先でいいのか?」 「はい。俺にとって、特別な日なので」  そう言って矢作は微笑んだ。「健さんは『俺』を『俺』のまま受け入れてくれた。俺を『俺』へと導いてくれたのも、健さんだ。健さんが生まれて来なかったら、出逢いも当然無いし・・・今もきっと、俺は迷子のままだった」  そうか、と俺は箸を置く。 「じゃあ、そうしよう。お前がそうしたいなら、それでいい」 「俺の我が儘ばっかり聞いてくれてるけど、健さんは? 無いんですか?」 「俺? お前を甘やかすのが楽しゅーて今ん所特に無いなあ」  何それ、と矢作が笑ったところで、そういえば、とハタと気付く。「そういや俺もお前の誕生日聞いてないわ。いつ?」 「六月十九日です」 「へえ、六月十・・・」  と、壁にぶら下がっている会社から貰ったカレンダーを見上げて、俺は眼を見開いた。 「ちょっと待て。明日じゃないの」 「あ、本当だ」  矢作もまた同じようにカレンダーを見上げ、そういえばそうだった、と小さく声を上げた。おいおいマジか。 「何が欲しいか答えろ。今直ぐに、だ」 「何も要りませんよ。俺だって健さんの誕生日、何にもしてないし」 「その頃俺は忌引きと有給中だから、遭遇すらしてないじゃないの。ほら、答えろ」 「何でそんなに急かすんですか」  そう言ってゲラゲラ笑うと、はっとした顔で俺の顔を見る。 「チーズケーキ!」 「チーズケーキ? 月一ペースで作ってるアレ?」 「はい。俺のソウルフードなので」  きりっとした顔でそうはっきりと答えられてしまい、俺は一気に脱力した。 「そうじゃなくてさあ。なんての? 俺は恋人としてお前に何か贈りたいのよ。解る? この乙女心のような男心」 「解りますよ。寧ろ俺だから解ります」  ですよね? じゃあ、と言い掛けた所で矢作は真顔になった。 「写真、欲しいかな。誕生日プレゼントとかとは別に」 「写真?」  俺が頸を捻ると、矢作は衣装ケースに置いた奥山の結婚式の写真を指した。その写真の横には、どこぞの写真館で撮ったのか、藤倉一家の写真が飾られている。いつの間に増えたんだ。 「健さんと二人で撮った写真も置きたいかなって」 「じゃあ撮ろう。ほれ、こっち来い」  そう言って座椅子をずらして胡坐を掻き手招きをすると、ぱあ、と言う音が聞こえそうなほど満面の笑顔になる。そして、いそいそと俺の膝の上にちょこんと座ると、スマホのカメラを起動し、ぱちりと撮った。 「うっわ、変顔になった!」 「いやいや、十分か・・・」  可愛い、と言い掛けて、俺は口を噤んだ。可愛いとか綺麗だとか、そういった女性をイメージさせる言葉は控える様にしている。のだが――― 「可愛い?」  頸を上に向け、そう訊いて来る矢作に俺は僅かに動揺する。 「え、んー」 「何か、嬉しいかも」 「え?」 「健さんに可愛いって言われるの、すげー嬉しい。連さんに可愛いなんて言われたら、張り倒すけど」  そう言って悪戯小僧みたいな顔をして笑う。そんな表情も、何もかもが愛おしく感じる俺は重症だな、と心中で苦笑した。 「よし。これから一日最低十回は、可愛いを連呼してやろう」 「それは流石に嫌がらせです」 「この俺の愛を嫌がらせとは・・・!」  態とらしくショックを受けた呈で返すと、矢作は急にオロっとしてスマホを床に放り投げ、ごめんなさい! と膝から降り俺の頬を手で挟んだ。いや、流石にそこは冗談だと気付いてくれ。 「嬉しいです、本当に。可愛いって言われて嬉しいと思ったの、初めてだし」 「え? 誰に言われたのよ」 「中学生の頃、同級生の女の子に」  せめて恰好良いって言って欲しかったなあ、と呟く矢作を見て、俺はコホンと一つ咳払いをする。そして、俺の頬を未だ覆うその両手を取って包み込んだ。 「・・・笑った顔も、泣いている顔も、きりっとした顔も、全部可愛いからな?」  何ともまあ、こうも陳腐な台詞しか出ないとは。言ったこっちが恥ずかしいわ。己の語彙力の低さを呪いながらもそう告げると、矢作は嬉しそうに笑顔を返す。 「うん。やっぱ嬉しい」  そう言ったかと思うと、顔を逸らして肩を震わせながら笑い始める。 「・・・何笑ってんの」 「いや・・・なんか、健さんがそんな照れ臭そうにするの、あんまり見ないから」 「うっさい。ほっとけ、俺はこう見えて実はシャイなんだよ」  知ってます、と返すと、矢作は放り投げていたスマホを再び手に取り、先程撮った写真を見た。 「やっぱ、写真撮りたい。ちゃんとした写真」 「藤倉家みたいなの? 写真館で家族写真的なやつ?」 「いえ。連さんのような感じがいいな」 「二人してタキシード着て並ぶのか? まあそれも面白いな」  そう言って俺が笑うと、矢作は違う、と頸を横に振る。 「え? 何、俺にドレスを着ろと?」 「こわっ! 想像しちゃったじゃないですか。違いますよ、俺がドレスを着るんです」  さも当たり前の様にそう言った事に、俺は心底驚いた。 「え? え? ちょい待ち、ドレス? お前が?」 「似合いそうにないですか?」  いやいやいや超絶似合うに決まってる! Tシャツジャージでこんなに可愛いのに、これ以上可愛くなるつもりなのか? その笑顔、デザートイーグル並みに殺傷能力高いの知ってる?  無意識に頸を横に振っていたのか、矢作は満足そうに言う。 「健さんの色んな顔、もっと沢山見たいから。一生に一度しか無いなら、尚更この機会を逃すのはヤだなって」  そんな理由でドレスを着る事にしたんですか。そういう事ですか、そーですか。  ・・・今、どれだけ俺が喜んでいるかお解かりですか?  俺が照れ臭そうにしたり、喜ぶ顔を見たいが為だけに。それも無理している訳でもなく、自ら望んでそうしたい、だなど。仮令それがドレスなんかじゃなく、他愛の無い事だとしても、だ。これ程までに、底が見えない程の深い愛情が伝わってくるものは無い。  ああもう畜生、真昼間だってのに、変な気分にさせやがって。  ていうかね? 顔を近付けて来るんじゃないよ。こらこら、目を閉じて待つの、辞めなさい。・・・とか思いつつも抗える筈が無く、そのまま引き寄せられるように口付けた。  一頻りその唇を堪能してふと唇を離すと、矢作は溶けそうな顔で上目遣いで見上げ、誕生日プレゼント追加して良いですか? と俺の頸に腕を回してくる。半日程早いですけど、と耳元で言われると、止まらなくなって当然だろ? 寧ろ俺の方がプレゼントを貰った状態でしかないんだが?  ああもう降参です。  俺は確りと矢作を抱き締めると、再び口付けた。
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