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 とまあ、そんな訳で現在―――。  去年と同じ割烹料理屋で賑やかに過ごしていた最中、買い換えたミニバンで送迎をする羽目になった俺は酒も呑めず、ほんの少しだけ不貞腐れていた。壁に凭れるようにしながら茶を啜っていると、長姉がどかりと横に座ってくる。 「何だよ、まだ何か俺叱られるんかい」 「被害妄想。昔からのその悪い癖、もう治せるでしょ」  そう言ってビールグラスを持った長姉は嬉しそうに(たくみ)を見遣った。 「そーいや義兄さんと二人だけっての、珍しいな。いつも家族総出の癖に」 「上の子、中学受験だからね。下も一緒に留守番して勉強するってさ。お義母さんに預けて来た」 「はーもうそんな歳かよ。そら俺も三十二になる訳だ」 「私なんて三十九よ。お母さんの歳、追い越しちゃったわ」 「マジか。・・・親父達、確か結婚早かったよな」 「お父さんが二十二、お母さんが二十一だったかな。当時でも早い方だったんじゃない?」  あんたが我が家で一番遅い年齢だわ、と長姉が笑う。「両家には早過ぎるって、散々反対されたらしいけど・・・でも、何処の誰よりも良い夫婦だったわ」 「だよな。親父、母さんにベタ惚れだったしな」 「それはお母さんも同じよ。お父さんが出張から帰ってきたら、もうニッコニコしてたもの。私もあんな夫婦目指してるけど・・・なかなか難しいわ」 「親父どもはレアケースだろ」  とそこまで言ってから、二人してくつりと笑った。 「―――あの子、お母さんに似てきたなあ」  ん? と俺は訊き返す。長姉はたくちゃんよ、と優を指していて。 「そうか? 顔も背格好もまるで似てないぞ? え、俺がマザコンだって揶揄してる?」 「また被害妄想。違う違う。中身がお母さんと似てきたって言ってるの」  そして、俺の顔を確りと見て―――。 「あんたも、お父さんに似てきた。―――あんた達が二人で並んで歩いているのを後ろから見て、お父さんお母さんと、被って見えたもの」 「・・・そりゃ、どうも」 「どういたしまして」  私が目指してた『夫婦』なのに、あんたにあっさり追い越されちゃったわ、と長姉はぽんと俺の背中を叩いたのだった。  昨年同様、俺達は夜遅くに帰宅した。  三回忌を土曜に設定してくれたお陰で、明日も休みだと思うと気が楽だ。  さて風呂に入ってビールの一杯でも飲むかと礼服を脱いで風呂場に向かおうとすると、(たくみ)もまた自室でドアも閉めずにぽいぽいと服を脱ぎ捨て、だらっとしたTシャツとスウェットパンツに着替えていた。  此処に来た当初は着替とか関係なく、基本的にドアを閉めている事が多かった。互いの意思確認というかまあ、あれだ、『解』が出た頃から、ドアを閉める事が減り―――今ではほぼ開けっ放しになっている。  何だかな、と苦笑していると、優は獲物を見付けた猫のように、押入れの桟に掛けている制服をじっと見詰めていた。 「どした?」 「いや・・・二年前まで、俺、制服のまんま寝てたんだよなあ。今じゃ考えられないなあって」 「そうだろそうだろ。リラックス大事」 「ですです。この楽さを知ると無理。部屋着ワンピース最強」 「そんなに楽なの?」 「ずぼっと着れるし、ずぼっと脱げるんで」  夏は足元涼しいし、と。最初は俺の反応を楽しむ為だったらしいが、いざ着てみると快適過ぎて手放せなくなってしまったようだ。 「あっそ。ま、それはいいから、スーツちゃんと掛けとけよ。皺になる」  はいー、という呑気な返事を背中に聞きながら、俺は風呂へと向かった。  風呂上り、いつものお楽しみと冷蔵庫を開けて缶ビールを取ろうとすると、背後からにゅっと腕が伸び冷蔵庫が閉められる。えええ、と眉間に思い切り皺を寄せて振り返ると、優もまた眉間に皺を寄せていた。 「ダメです。もうちょっと待ってください」 「嘘やん。俺、今日姉貴ども送迎してたから全然呑んでないのに」 「呑むのをダメって言った訳じゃないです。俺が風呂から上がるの、待ってて下さい」  明日休みだから、俺も呑む。そう言ってにこりと笑うと、そそくさと風呂へ向かった。  ふと優の部屋を見渡し、随分と部屋らしくなったなあと思う。  二年前、この部屋に有った優の荷物はボストンバッグだけだった。  今ではクローゼットやデスクも置き、小さな本棚も置いて。抽斗箪笥の上には、俺との結婚写真。その横に、つい先日二児の父になる事が発覚した奥山夫妻の結婚写真。そして、こちらもまた一人増えて四人となった藤倉一家の家族写真。年末に漸く式を挙げる事になった土井の写真も並ぶだろう。  そんな事をしみじみ考えていると、相変わらずカラスの行水宜しく風呂から上がってきて、さあ呑みましょうと冷蔵庫を開けた。 「相変わらず早いよなお前。まだシャワーだけなの?」 「冬はちゃんと浸かってますよ、寒いから」  そう言えば確かに冬は多少長いような。でも多少、のレベルだ。 「温泉行きたいんだけどなあ、俺。あ、勿論、家族風呂付いてる所な? 折角だから一緒に入りたいし」 「一緒・・・に?」  と、途端に怪訝そうな貌になる。 「え? 何か変な事言った? 新婚旅行だって一緒に入った―――」  とそこまで言って思い出す。  去年の新婚旅行―――優が行ってみたかったという高校の修学旅行先だった信州にしたのだが、そこの宿泊先にも家族風呂が有り、折角だからと一緒に入りまして。まあ何せ風呂に一緒に入るなど初めてな訳でして。邪心に踊らされた俺はついつい悪戯というか、まあ何と言うか。  悪戯が度を超えそうになった辺りで、優はしこたま逆上(のぼ)せてしまい、楽しみにしていた夕飯を残すという、本人にとっては相当不本意な結果となり暫く文句を言われた程だ。いやはや食べ物の恨みは何とやら、未だに根に持っているようで。 「ごめんなさい、反省してます。二度としませんので一緒に家族風呂入って下さい」  そう言って俺が土下座すると、その後頭部にコン、と冷たい何かが置かれる。手に取ってみると、缶ビールだった。 「赦しましょう。温泉旅館の食事、豪華ラインナップでお願いします」  と言ってニカリと笑うと、呑みましょう、と缶ビールを掲げた。  次は何処にするかね、予算的にここどうよ、とか言いながらタブレットを見ながら呑んでいると、俺が準備していたメモ用紙と手元を交互に見て、優はくつりと笑った。 「ん? どした?」 「いえ・・・大分前に、藤倉さんと連さんが言ってた、メモのグルグルを思い出しちゃって」 「ああ、そう言えばそんな事言ってたな」 「うん。さっき、ご飯食べてた時さ。たまたま越美(えつみ)義姉さんの娘さんが落書きしてるのを見て、健さんの癖、思い出したらしくて」 「マジか。そんな幼少期からやってたのか俺」 「みたいです。ていうか、あれ、私の所為なんだよねって」  そう言ってビールを口に付け、次姉が語った内容を話した。  次姉は極度の母親っ子で、いつも母にくっつき回っていた。そんな大好きな母が俺を妊娠したと解り、次姉は母を奪われると感じたらしい。俺が生まれて来てから後は、母の腕に抱かれる俺の事が憎く疎ましくて堪らなかった、と。  長姉は歳が離れていた所為か俺の面倒を良く看てくれたのだが、確かに幼少時に次姉と遊んだ記憶は無かった。寧ろ母親の所に行こうとすると邪魔され、殴られたりもしていたな、と思い出す。  或る日、俺が五歳位の時だったか、俺は麻疹に罹ってしまい、母が付き切りで看病してくれたのだが、母が夕食の準備をしている隙に俺の所に来て「あんたなんて居なくなっちゃえ!」と泣きながら暴言を吐いたのだそうだ。因みに俺は全然憶えて居ない。  そこから俺はあまり母親に寄り付かなくなったらしい。  そして、小学校に上がり、美術の宿題で家族をテーマとした絵を描いたというのだが、家族五人の絵を描いておきながら、俺だけを端の方に描き、真っ黒に塗り潰していたのだと言う。  その事で家庭訪問までされ、母親はかなり落ち込み、それを見た次姉は相当反省したらしい。責任を感じた次姉は、せめて俺と仲良くしようとしたのだが、その内に母が交通事故で亡くなってしまい、自身も謝る機会も無いまま―――遠方に就職し、引っ越したのだと。 「乱暴な態度でしか可愛がってやれなかった。あいつが作ったチーズケーキ、美味しかったって言えなかった事、後悔してたんだ」  あいつを幸せにしてくれてありがとう、と。優を抱き寄せて、隠れる様にしながら泣いていた、と。  そうか、あの次姉がそんな蟠りを抱いていたのか、と返してから、俺もまた今日、長姉に言われた事を思い出す。 「そういや、俺も長姉に今日言われた事があってな?」 「そうなんですか? 何て?」 「俺達の母さんに似てきたってさ、お前」 「え? 俺が?」 「でもって俺も、親父に似てきたって」  並んで歩いてると、俺達、あの夫婦にそっくりなんだってよ、と長姉に言われたままを伝えると、優はそうかあ、と嬉しそうに微笑んだ。 「・・・俺、健さんの家族、皆好きだなあ」  少し酔いが回っているのか、ふにゃりとした笑顔で言う。  そうだ、と、俺は立ち上がり、優の手を取ると引き上げる様にしながら立ち上がらせた。急にどうしたんですか? という質問には応えず、その手を引いてジオラマの部屋へと向かった。  台風一過後は空が澄み渡る。夜更けは特に顕著だ。  俺達の住んでいるこの街は、時折夜空に星が散らばるのが見える。今ならきっと星々が燦めいて見えるのでは無いかと思い、窓を開けて夜空を見上げてみた。案の定、雲はすっかりと消え去り、小さな光がチラチラと無数に浮かんでいる。遠くを見渡すと、夜の帳に柔らかな窓の灯りが点在していて。  それは何処までも繋がる様に―――彼の空までをも満たす様に重なり合っていた。  この風景もまた、十年後には違うものになるかも知れない。  だが、いつの時代も、どの世界にも、想いを重ねる事で視える風景が在る。このジオラマの様に、見た事も無い風景だというのに、まるで知っている世界かの如く感じる様に。 「綺麗だあ・・・」  ポツリと言う優の頬に、そっと口付けると、それに応えるかのように俺に身体を寄せてくる。 「さ・・・明日は昼までだらだらしますか」 「賛成。流石にちょっと疲れたし」 「あーでも久々に、イタリアンカレー作ろうかね」 「やった! あ、昼からでも煮込みは十分だから!」  そう笑い合って窓を締めてから優の肩を抱くと、優もまた俺の腰に腕を回す。二人三脚のように歩幅を合わせて寝室に向かい、同時にぼふりとベッドへ身を投げた。  足元の抱き枕だった猫のぬいぐるみは、今はデスクの脇に居る。俺達は互いに抱き枕となり、静かに目を閉じた。  どちらからともなく唇に触れ、おやすみと告げると、ごく自然と手が繋がれる。きっと十年後もその先も、この手は繋がれているだろう。  互いの心を重ね合い、満たし満たされるように愛し合っていく。  その奇跡を、俺達は知っているから―――。 To love is to place our happiness in the happiness of another.  ―――Gottfried Wilhelm Leibniz END
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