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俺が忌引き有給に入ったその日、矢作は家無き子状態に陥っていた。
何でも、同棲していた彼女に振られ、そのまま家を追い出されたらしいのだ。土井が行く宛はあるのかと問うと、アパート見つけるまで暫くは何処かで仮暮らしする、と。
その話を藤倉が通りすがりに聞いてしまい、その翌々日には目撃した社員が藤倉に報告してきたとの事だった。
地元では有名な元ラブホテルのビジネスホテルなので、正直印象は余り宜しく無い。寧ろ悪い。そんな所に、私服ならまだしも、社名の刺繍された制服で出入りするのは尚の事芳しく無い、という報告だったそうだ。まあ、確かに仰る通りですわ。
そんな会社の評価云々に関わる事も有るが、それ以上に藤倉が心配していたのは金銭面だった。
矢作はベテランドライバーではあるが、4tの平社員は決して高給取りではない。同業他社に比べると多少は良い方だが、それでも格安とはいえビジネスホテル暮らしをするとなると、諭吉様とは数日単位で決別するという事で。
「てかもう二週間? 一泊がこの金額だから・・・いやまあ、食費通信費でしか遣わないって考えたら、行けん事も無いけどさ」
俺が脳内でざっくり計算していると、藤倉は溜息を吐く。
「それでも何かあった時に、直ぐ動かせる纏まった金が無いのは困るだろ。貯金が有ったとしても、いずれは底を着く。何より、アパート契約するのに、会社から徒歩圏内だと地域的に考えてもそこそこ金掛かる。優、今、手持ち幾らだ?」
「五万円程、かな。給料、全額彼女に渡して小遣い貰ってたので」
そう言って矢作は尻ポケットに突っ込んでいた長財布を取り出し、中身を確認する。
「は? てことはお前、貯金ゼロ?」
「て事になりますかね」
「なりますかね、じゃないでしょそれ。元カノに連絡して半額返して貰いなさい」
俺が憤慨して言うと、矢作はふわりとした笑顔で首を横に振る。
「面倒なんでいいです。十万有るか無いかだし」
「面倒って・・・十万でっかいよー? 俺なんか直ぐ溶かしちゃって、後から明細見て泣いてるよー?」
「健、一旦お前黙れ」
藤倉が呆れ顔で続ける。「で。二週間経った今でもビジネスホテル住まいしてるってことは、アパート見付かって無いんだろ」
「一応探しはしたんですけど、保証人無し物件は契約金高くて、手持ちじゃ全然足りなかったから」
「保証人、誰にも相談しなかったのか?」
「保証人はちょっと流石に」
矢作は苦笑する。まあ、言いたい事は解らんもでない。となれば。
「友人知人関係でいねーの? 暫く泊めて貰えそうな―――」
と言い掛けて、俺は唐突に察した。「あー、ここで救世主な俺様が登場なわけね?」
「珍しく察しが良いな」
藤倉が俺を見てにやりと北鼠笑む。「忌引き明けでいきなり悪いな、とは思うんだが」
「珍しくは余計でしょ」
分譲マンション、広々4LDK、独身、彼女無し。現在同居人無し。会社まで車で二十分掛かるか掛からないか。自転車だと三十分程度。何とまあ素敵条件。
引越し費用はなんだかんだで三十万円位は余裕で掛かる。
となると、金を貯めるには俺の家がうってつけ、という事だ。
「ま、妥当な判断ですわ」
「助かる、健。優、健の親父さんの荷物、整理が終わるまでは、ここで我慢して貰っていいか?」
藤倉が矢作に告げると、矢作はえ、でも、と俺の顔色を窺ってくる。
「ああ、我慢させんで良いぞ。身辺整理終わらせてからホスピスに入ったから、生活空間に親父のもんは何も無い。形見やら諸々は親父の部屋っつーか、仏壇置いてる部屋に移動させてる。それに・・・」
俺は矢作の顔を見て苦笑する。「親父が生きてて家に居た所で、もともと一部屋空いてんだわ。だから、いつ転がり込んできても問題無いわけ。ま、先ずは飯でも食いましょか」
そう言って俺がソファから立ち上がると、矢作は困ったような表情で俺を見上げる。
「でも・・・迷惑じゃ」
「うっさい。荷物早よ纏めなはれ」
ベッドに散らばっている鍵やら靴下やらボストンバッグに指を差すと、矢作ははい、と俺に向かって深々と頭を下げた。
近場の飯屋で飯を食い終わった後、三人で一旦車を取りに会社に戻った。
「矢作はチャリ通だっけ。俺の車には積めれんから、どうすっかな」
「実は自転車、ホテルでパクラれちゃって・・・」
「は? マジか。ああ、それでホテルから徒歩通勤してたのか」
「はい」
その返事を聞いて、藤倉はまたも呆れた顔をし、溜息を吐きながら自分の車に乗り込む。
「まあ取り敢えず、アパート見付かる迄とはいえ、通勤路が変わるから、ちゃんと変更届出せよ。住所は空欄で良い、健の住所、こっちで解るから」
「すみません」
「謝らんでいい。それより、もう少し俺らの事頼ってくれ。亘も、連太郎も、何も言わんが心配していると思うぞ」
マジすか、と矢作は眼を円くする。
「連さん知ってるんすか」
「ああ。俺からは話しては無いがな。お前、連太郎とも仲良いだろ。だとしたら、亘が連太郎に黙っておく訳が無い。あいつら、どんだけ付き合い長いと思ってんだ」
土井と奥山は小中高どころか大学まで同じという幼馴染だ。二人とも口は固いが、二人の間で口の鍵はほぼ掛からない。
「あいつらはあいつらで、救済作戦の会議してんじゃね?」
そう冗談めかしながら、俺は車のキーを解除し、矢作を手招きする。「ま、取り敢えず乗った乗った。お前の便、朝早いんだから、早よ寝んと俺が保たん」
「えっ。いや、バスか何か使いますし」
「俺んちのルートのバス、朝七時からなのよ。よゆーで遅刻」
「マジすか・・・土曜、自転車買いに行きます」
「もう二十時か。俺も帰って娘風呂に入れるわ。ああ、それと優。今回二週間分の宿泊費用、俺が持つから」
「は?! 何でですか?!」
「報告入って直ぐ、お前が宿泊しているか事実確認するのに、フロントに嘘吐いて、会社宛の領収証で切るよう頼んだんだ。明日支払っとく」
ああ、それで号室まで把握していたわけか。やるな藤倉。
「そんなのダメですよ。ちゃんと払います」
「個人情報を買われたと思っとけ」
藤倉はじゃ、と手を挙げると、エンジンをスタートさせ、そのまま走り出す。それを見送ってから、呆然としたままでいる矢作の頭に俺はポンと手を載せた。
「取り敢えず、今後の事とか、帰って少し話そうか」
俺もまたエンジンを掛けると、矢作は申し訳無さそうに助手席へと乗り込んだ。
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