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第一章
あれはそうたしか梅雨が吹き飛んで本格的な夏がやってくると思わせるほどの暑い日のことだった。僕は朝から気だるくてその日の学校を休むことにした。お母さんはついさっき仕事に出かけたから夕方までこの家には僕ひとりしかいない。午前中疲れるまで寝ていたから気分はすっかりよくなっていたけど腰が重くてしかたない。
「お父さん……」
十二歳の僕はまだ部屋に漂う線香のにおいが苦手だ。母が仏壇の線香を消し忘れたのだろう。細い煙がうっすらとたなびいている。
お父さんが病気で亡くなって、もうすぐ一年がたつ。いつも家にいたお母さんが働き始めたのは四月から。ひとりで留守番するのもたいぶ慣れたてきたけど、やっぱり仏壇に手を合わせるのだけはどうにも慣れない。
「たか、お母さんを守ってやってくれ」、お父さんはアニメの主人公のようなことを言って死んだわけではなかったけど最後の瞬間、そう聞こえたように感じた。正直、僕はお利口さんじゃない。それはよく分かっているし、これから自分がお父さんの代わりにお母さんを守っていく役割を担うことはしっかりと理解した。
僕は一人息子だ。
これからお母さんとふたり生きていくのだ。
強く生きるのだ。絶対に強くなってやるのだ。
そう心に誓って特になにもないまま季節は過ぎていく。お父さんを失った喪失感だけが蔓延る日常を生きていた。
遅めの朝食を食べ終わると台所のテーブルの上に千円札が一枚おいてある。きっと今日も仕事が忙しいから夕食はコンビニか近くの食堂で済ましてという意味だ。玉川食堂は安くてまずいことで有名で僕はたいていコンビニ弁当になる。食器を洗って片付けると鏡に反射した時計が目に入った。時刻は十一時を少し回ったところだった。
僕は勉強机の横にある壁に隣接した小さな本棚を動かした。そこには人がひとり通れるくらいの穴が開いている。この穴は隣の家の部屋に繋がっていて住居者のいない部屋はちょっとしたひみつ基地になっていた。
お父さんが残した本と少しばかりのお菓子を持って穴を抜けた。だれもいない殺風景な空間は日々の嫌なこととかつらいこと悲しいことを忘れさせる。もう何十回と読んだ漫画のストーリーをあたかもはじめて読んだように新鮮な気持ちで読めた。
絵が好きというわけではないし、本当はスマホゲームのほうがいいに決まってる。でもこの部屋でこの物語を読んでいるとお父さんに会えそうな気がしていた。漫画を読んでいるとあっけらかんとした顔でお父さんが帰ってきて、
「たか、勉強しろよ」
そう言って茶化してくるんじゃないかって思う。寝っころがって天井を見るとなんだかまぶたが重くなって瞳から涙がこぼれた。調子がよくなっても微熱には変わりないから急に眠くなり僕は知らないうちに夢の中におちた。
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