第一章

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 目が覚めると僕は保健室にいた。やわらかいベッドに白いシーツ上体を起こすとそこにはるり子と保健の白井先生が座っていた。 「事情は聞きました高科君あなたは小さいのに勇敢ね。でもね無理はしないこと。私は深瀬先生に君が目覚めたことを報告しに言ってきますから東雲さんあとは任せます」  白井先生が席を立ち保健室をあとにするとるり子はベッドに座りなおし体を少し捻ってまっすぐ僕を見た。 「かっこ悪いだろ、ぼこぼこにやられて……」 「どうして余計なことをするんですか。高科くんは関係ないのになんで」  あのとき頭で考えるより体が先に動いていた。きっとるり子の言っていることは正しくて僕がとった行動は間違っているのだろう。しかし僕のどうしようもない正義感がそれを許さなかったのだ。 「ごめん。僕はるり子と違って強くないから我慢できなかった」  「なんであなたが謝るんですか?」  るり子は怒っていた。僕が困惑しているとこぶしをぎゅっと固め俯いて言った。 「高科くんはバカです。正直すぎます。おおバカです。あんなの聞き流していればいいんですよ。なのにどうしてあんなことしたんですか? 私が可哀想だから? 私の母親が夜の仕事をしているから? それとも自分と同じで父親がいないから? もうやめてください、つらいんですよあなたの優しさが私にはどうしようもなく……」  俯いたるり子はとても小さく見えた。そして脆く壊れやすい飴細工にようにも見えた。 「大丈夫、大丈夫だから」  父が倒れて落ち込んでいるときに母に大丈夫と頭をなでられたのを思い出した。小さな母の手からなにか不思議な力がでているかのようにとても安心したのだ。僕はそっとるり子に触れた。るり子の綺麗な髪を優しくなでた。るり子は下を向いたまま僕に体を預けてきて驚きつつも僕はるり子を抱きしめた。互いの顔が見えないことが幸いしたのは泣き顔を見られたくないるり子だけでなく僕も同じだった。  このままずっとるり子の体のやわらかさをにおいを感じていたいと思っていた。 「雨が降ってきましたね」  雨粒がコンクリートを打ち付けて夢から覚めたように僕たちは、目を合わせた。積乱雲がごおごおと音を立てて空高く上っていくのが窓から見える。 「帰ろうか」 「白井先生がまだ帰ってきませんけど」  近くにおいてあった紙に一言添えて指でオッケーマークを作る。 「これで大丈夫だよ雨が強くなる前に帰ろう」 「わかりました。傘を持ってきたので入れてあげます」  僕たち以外の生徒はもう下校していて雨のグラウンドはすでにぬかるんでいてびちゃびちゃになっていた。 「もっと寄らないと肩濡れますよ」 「いいよるり子が風邪をひいたらこまる」  どんなに大きな傘を用意してもなぜかどっちかの肩が濡れてしまうのはなぜだろう。  るり子の傘は大きくて二人入るにはちょうどよかったのだがこんなに片寄せあっているのに不思議だった。  アパートの前には母が立っていて帰りが遅い僕を心配したのだろう。今日はたしか仕事が休みの日だ。  るり子は母に事情を説明して謝った。私のせいでたかくんが痛い思いをしてしまったと深々と頭を下げた。 「こちらこそたかひろを見守ってくれてありがとうね」  るり子は安心して僕を見た。母は頷くとるり子を夕食に誘った。いつも息子が東雲さん家にお世話になっているからそのお返しをしたいと言うのだ。 「今日はね給料日だから奮発するわ、二人とも何が食べたい?」 「コロッケが食べたい」僕がそう言うとるり子は「またですか」と呆れていった。 「たかひろのことは気にしないでるり子ちゃんはなにがいいの?」 「私もコロッケ好きですから大丈夫です。できればお手伝いしたいのですがいいですか?」 「るり子はお客さんだからゆっくりくつろげばいいのに」 「あれからお母さんに料理を教わって上達したんですよ」  なだめるようにお母さんは僕たちを部屋に上げた。雨に濡れた服を乾かした母が財布を持って近くのスーパーマーケットに買出しにいくと僕たちはまた二人だけになった。るり子は部屋を見回すとお父さんの仏壇をみつけて線香をあげた。 「半年前にがんで死んだんだ。お父さんは……」  手を合わせていたるり子はそうですかと小さな声で言った。 「とてもおもしろいお父さんだったんだ。酔っ払って水の無いプールに飛び込んで頭から血を流して帰ってきたり、朝起きたら風呂場にでかい犬がいて父さんに聞いたら拾ったってうちのアパート動物だめなのに、そんな人だった」 「素敵なお父さんですね……私のお父さんは今アメリカにいるんですよ」  僕はるり子が震えているのがわかった。思い出したくない記憶を忘れようとふさぎこんだ過去を胸に詰まったやるせなさを吐き出すように続けた。 「私もいくつれてってと、お父さんに言いました。でも私をおいてひとりアメリカにいってしまった」  なにも言葉が出なかった。るり子を励ますこともなにもできずにただ話を聞くことしか出来なかったのだ。 「だから私は将来アメリカに行きたいんです。そのためにもっと勉強して、強くならなくてはいけない……ごめんなさい。高科くんにこんなこと話してもしょうがないですよね。でも聞いてくれてありがとうちょっとすっきりしました」  それがるり子が決して折れない心の強さだった。  でも、 「るり子僕は……」  ――やっぱり笑ってるるり子がいい。  階段を上がる音がした。お母さんが帰ってきたようだ。 「おまたせ、たかひろちょっと手伝ってるり子ちゃんご飯作るからまっててね」 「私も手伝います」  僕の気だるい返事よりはやくるり子が立ち上がって言った。  僕はるり子がアメリカに、そう言いかけて窓の外を見た。  来週から夏休みが始まる。   この雨は夜まで上がりそうにない。
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