献身の茶色の獣

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献身の茶色の獣

信じられなかった。 大馬鹿者だと思った。 ただ、彼は本気だった。 捨て身で近寄ろうとした。 それは僕も十分理解できた。 僕とあいつ…クリスが出会ったのは、僕が十歳の頃。あいつは十二歳で、僕の住処であり檻でもあった琥珀宮に、あいつが忍び込んで来た時だった。 僕らは互いに王位継承権を持つ、言わばライバルだ。僕はカミナの直嗣、末の子。クリスは二人前の子の一人息子。つまり僕の甥に当たる。王は今三人前の子が務めているが、まあもう六十歳を過ぎているし、いつおっ死んでもおかしくない。僕が王になるためにはもう少し長生きしてもらいたいけれど。 僕の父親カミナは不死の神様だ。正確には半人半神というやつで、定期的に妻を替えては子を成す。僕は今の奥さんを母親に持ち、僕に母親を同じくする兄弟はいない。父親が同じという意味では、一人前から三人前の子も兄弟なのだろうが、あんなおっさんおばさん達を兄弟だとは思ったこともなかった。その息子娘達も、別に。叔父としての愛着など何もない。だって僕が一番若くて、僕が一番賢いんだから。有象無象にはせいぜい僕の道を邪魔しないでほしい。そう、思っていた。 その日、僕が今月号のナノ技を読んでいると、カチャリと部屋の扉が開いた。メイドか教師か、と思って見ていると、入ってきたのは茶色い頭の大型犬。 ではなく。 いかにもやんちゃそうな、あまり物を考えていなさそうな少年だった。 「うわー、ついに見つけました!」 少年は僕を視認すると嬉しそうに駆け寄ってきた。何だ?僕を探す遊びでもしていたのか? 「十歳の神童!俺の叔父さん!初めまして、俺クリス・カニスって言います!俺とお友達になりましょう!」 は?嫌だが。僕は視線をナノ技に戻した。 「あれ?リノちゃん…なんか駄目でした?叔父さん呼びが悪かったかな、それとも神童が嫌でした?」 「お前が嫌」 「わっ!お声まで可愛らしいですね!?聞いてた通りです!俺とお友達になってください!」 「嫌です。帰ってください」 「どうしてですか!俺十二歳なんです、歳も近いからきっと仲良くなれるよって雷様がおっしゃってました!ですから、ね!」 雷様とは、カミナの、神としての名前だ。 「……父様が」 僕は胸いっぱいの溜息をついた。それはこいつと仲良くなれと暗に僕に命令しているのか?冗談じゃない。僕はいつか父様だって追い抜いて、世界一のナノマシン技師として活躍するんだ。こんな無神経な馬鹿と一緒に遊んでやる時間なんかない。 「…クリス・カニス。カニスって確か犬って意味だよね」 「そうなんですか!よくご存知ですね!母様が似合うからと選んでくれました!」 「僕の犬になら、なってもいいよ」 「……!?」 よし、黙らせられた。流石にこれで食い下がるような真似は、王家のプライドが許さないだろう。僕はナノ技に視線を戻す。えーっと、どこまで読んだんだっけ。 「……犬って、どんな遊びなら出来ますかね…!そうだ、散歩!散歩に行きましょう!」 「はっ?」 呆気に取られる僕の手をグイグイと引いて、茶色の大型犬はあっという間に僕を部屋から連れ出してしまった。 僕は琥珀宮から自主的に外に出たことは無かった。教師はリモートか通いの者ばかりだし、科学実験も運動も琥珀宮の中の設備で事足りる。剣術の試合をやるから見学にと連れ出されたことはあったが、まあ何というか、子供に見せるもんではないよなと試合後の血まみれの床を冷めた目で見ていた。連中と来たら医療モジュールのおかげで普通の怪我じゃ死なないと分かっているせいか、容赦なく相手を流血させる。首が吹っ飛んでもすぐに繋ぎ直せば蘇生するし、片手が斬り落とされたくらいではあっという間にくっついて試合続行だ。並の子供なら恐怖で失神していたかもしれない。だが僕は、僕だ。自分に理解出来ることは、何も怖くなかった。 逆に言えば、今のこの状況は全く理解出来ない。怖い。クリスとは体格差があり、力では勝てない。何で犬に飼い主が引っ張られてるんだ?散歩って、どこまで行くんだろう。ちゃんと帰してもらえるだろうか。 「リノちゃんは蒼天を探検したことはありますか?大丈夫ですよ、どこにいても雷様が見ていて下さってます。危ないことはありませんよ」 何故か自信満々に僕を引っ張り続けるクリス。流石に抵抗虚しく引きずられるだけの僕を衆目に晒すわけにはいかないので、僕も仕方なく付いていってやる体で自分で歩き始めた。犬ならいいよと言った数分前の自分を恨む。いや、本当に犬役を引き受けるとは思わなかっただけなのだが。 「犬が喋んないでくれる?不愉快」 せめて精一杯嫌われる努力をしてみよう。僕はクリスを睨みつけた。 「はっ、そうか……わん!わんわん?わんわんわんっ」 クリスは突然犬の真似をしながら僕に飛びかかり、ゴシゴシと頭を僕に擦り付けにきた。 「うわっ!?やめろ!犬終わり!クリス!その遊びお終い!やめろーっ!」 僕が全力で拒否すると、茶色い大型犬はしょぼんとした顔になった。 「駄目、でしたか…。結構楽しかったんですが…」 「いや人間でいてくれよ…」 「犬がお好きなのかと思って…」 「…嫌味とか通じない奴なの?お前」 「人並みには分かりますよ?リノちゃんのは気にならないだけですね!」 ああ、これは勝てない。僕ははっきりとそう認識した。こいつ、底抜けの馬鹿だ。僕に対する好感度がマイナスになるビジョンが見えなかった。 僕はクリスに連れられて、食堂に来た。初めて来る蒼天職員の食堂だ。場違い過ぎて、色んな大人が僕らをギョッとした目で見て、慌てて通り過ぎていく。中々どうして面白い体験だ。僕はクリスの小遣いでソフトクリームを食べながら、そんな僕をニコニコと見つめるクリスに文句を垂れた。 「…なんかさぁ、お前と話してると、僕がお前に冷たく当たる嫌な奴みたいに思えてきて嫌なんだよね」 「そうですか?普通の反応だと思いますが」 「普通に嫌がられることしてるって分かってたの!?」 「仲良くなりたかったので!」 案外いい性格してるじゃねぇかこいつ。僕は思わず笑ってしまった。 「…自分のこと俺って言うあたり、その敬語も素じゃないんだろ。僕にいい子ぶらなくていい。腹立つから」 「それって…」 「…僕がお前で遊びたい時は呼んでやるよ。」 「よっしゃ!約束だぞ!宜しくな、リノちゃん!」 クリスはにかっと笑った。ほら見ろ、それが素なんだろ。そっちの方がよっぽどお前に似合ってる。少しだけクリスが僕寄りになった気がして、僕は嬉しかった。 それから暫く、僕はクリスのことを忘れていた。言い訳をすると、無視したわけではなく本当に忘れていたのだ。端末に溜まるメッセージなんか気が向いた時にしか確認しないし、日に一、二件溜まればいい方だった。それがある日突然、九十九件以上の未読通知になっていた。え!?何だこれは、こんな表記見たことない。慌ててメッセージを確認すると、その殆どがクリスからのチャットだった。最初は数日に一件のペースだったのが、昨日何かの限界に達したのか、八十件以上も構ってアピールが続いている。ヤバい。どうしたらいいのか分からないがとにかく何かがヤバい。 『ごめん、見てなかった。今から暇だけど来る?』 僕は慌てて返信した。ドキドキして既読が付くのを待つ。 付かない。 待てど暮らせど付かない。 何なんだよ、昨日の頻度は何だったんだよ!僕はじりじりと端末を睨んで返信を待った。 扉がノックされる。無視したかったが、このまま端末を睨んでいるのも腹立たしいので仕方無しに扉を開ける。 クリスが立っていた。 「あ…その……」 「何だよ。お前の返信待ってるとこだったんだけど」 「えぇ!!?返事くれてたの!?」 おおかた我慢できなくて直接交渉に来たのだろう。タイミングが悪かっただけなのだが、僕はとりあえず文句を言ってやった。 「さっきした。全然既読つかないから苛々した。ちゃんと端末見とけ」 「それ俺のセリフなんですけど〜…なんて返信くれたの?」 「…ごめん、見てなかった。今から暇だけど来る?…って」 「…へへ、ありがとう。それ見て飛んできたってことにならない?」 「ならない。返事はしろ」 「気をつけるよー、リノちゃんも返事してね?」 「僕ならちゃんと謝っただろ。お前も謝れ」 「この数週間とそんな数分のことをおあいこみたいに言うじゃんか…」 クリスは不服そうだ。 「嫌ならもう帰っていい」 「えっ!それは困る、ごめん!リノちゃんごめんなさい!もうしません!」 クリスはすぐに全面降伏した。また僕は嫌な奴ムーブをしてしまったな、と思う。本当はもっとちゃんと謝りたかった。でも、クリスに大事にされるのは大人達に大事にされるよりも嬉しくて、そんな無理強いをさせられない対等な友達だなんて思いたくなかった。 その頃にはもう、クリスは僕の中で自分と対等以上の存在になっていたのだと、気付いたのはもっとずっと後だった。
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