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2
上野は部屋に入って真っ先に神田茜に目がいってしまった。それほどまでに彼女は上野を惹きつけた。まだ紹介もされていないのに。
どこが?
出会ったころの美季によく似ている。まだ結婚する前の。
上野の好きなタイプは一貫している。背が高めのスレンダー。切れ長の目。やや低めの声。一見とっつきにくそうなのに、実は気さくで話す言葉の端々に気遣いが見える。そのギャップ。落ち着いた雰囲気のキレイ系の人。
美季ももちろんそうである。
さかのぼれば幼稚園の先生だ。それが初恋だと自分では認識している。初恋がそうだったせいか、もともとそういうタイプが好きだったのかはわからない。どちらにしてもずいぶんとませた子どもだったと思う。以降上野が選ぶ女性は同じタイプだ。友人たちに見透かされるほどに。
重要な初回の会議にもかかわらず、上野は神田茜の顔に呆然といっていいほど見入ってしまった。
そして茜もまた、その視線を受け止めてしまったのである。
「上野さん、早くすわってください」
椅子にかけようとして、中腰のまま止まってしまった上野に、馬場がやや鋭い声をかけた。はっと我に返った。返ってしまうとあまりの不躾さにばつが悪くなってしまった。それをごまかすように、かばんからタブレットや筆記具を取り出して大げさに机の上にならべる。
全員が着席する前の、すこしざわついた空気に助けられた。
「コーヒーのプロにお出しするのもなんですが」
そういいながら、茜はオフィス用のコーヒーサーバーから紙コップに注いでくれた。
「さっきセットしたばかりですから、煮詰まってはいませんよ」
出されたコーヒーはありきたりのものだったが、その笑い顔に、また見惚れそうになってあわてて目をそらせた。
上野の左手の薬指には指輪がある。だいぶ擦れて艶はなくなっているけれど。
そして茜の薬指にも、ちがうデザインの指輪がある。
だからこそ神田茜には最大級の注意を払わなければならない。
頭の片隅の十分の三くらいでそんなことを思いながら、上野は打ち合わせを進めていく。しばしば茜と視線が合うのには辟易した。
たぶん意識しすぎなんだろう。進行役の上野のことはみんなが見ている。茜だけが見ているわけじゃない。
が、目が合うたびにトクトクと心臓が小躍りするのに参ってしまった。
ダメだろう。ダメだよ。おたがいに。ぜったい。
でも、交錯する視線に茜の好意というか期待というか、そんなものが混じっているのも感じてしまう。
あからさまななにかがあるわけじゃない。とらえた視線の数秒。逸らせた後に取り繕うように髪に手をやる仕草。無意味にシャープペンシルをノックする指先。
逆に不自然なほどに避ける視線。
そのすべてが上野に向いているような気がしてならない。
なにか些細なきっかけで、いっしゅんにして足元をすくわれる。そんな危うさをはらんでいる。
期待と危機感。
時おり、馬場が大げさに音を立ててページをめくる。ごとりとタブレットを置く。それが上野から茜に、あるいは茜から上野にむかう空気を遮断する。
馬場はすでに感づいている。鋭い。今は感謝するべきだろうな。
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