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 ハラハラドキドキの打ち合わせが終わって、みんなを見送り神田茜はほうっと息を吐いた。  よかった。終わった。  ヤバい。気をつけないと。  自分を見つめる上野の目には覚えがある。熱のこもった目。独身時代はドキドキウキウキした目。いまではドキドキビクビクする目。いくら結婚したからといって、そのへんの危機感は持っている。  そして、その視線に自分は答えてしまったのじゃないかというおそれ。  挙動不審じゃなかったろうか。気付かないふりをするのに精いっぱいだった。  だって意識してしまったもの。ちょっとステキだなと思ってしまったもの。ともすれば視線が外せない。何度かうっかり見つめあってしまった。  ちゃんと見た。上野の指輪。  ダメダメ。絶対ダメ。知らないふりを続けなくては。  神田茜、三十一才。結婚三年目。結婚生活に不満などない。まったく。夫の優司は二つ上の三十三才。大手家電量販店勤務。今は新宿店の売場チーフをつとめる。だから、家には最新家電が常に装備されている。  知り合ったのは友だちがセッティングした合コン。正面にすわった優司にときめいてしまった。顔とか声とかとてもタイプだったのだ。機械に疎い茜は、テレビは見られればいい。洗濯機は回ればいい。冷蔵庫は冷えればいい。くらいにしか思っていなかったのだが、優司は茜でもわかるように、おもしろおかしく最新家電の話をしてくれたのだ。  それが、バラエティ番組のようで茜は「へえ」と感心したり、例え話に笑い転げたりして時間中とても楽しく過ごした。  二次会まで行って、終電ギリギリの別れ際に連絡先を交換した。そのまま二人で会うようになって告白され、つき合うようになった。 「逃がしてたまるか、と思ったんだよ。すごくきれいだと思ったし、笑い方がかわいかったし」だいぶ後になってから優司が白状した。  交際一年で結婚した。親、親戚、友人、会社一同から祝われてのしあわせな結婚だった。  もちろん今でもしあわせである。「倦怠期」などうちには縁がないと思っている。ただ、なかなか子どもができない。そろそろと思ってから二年がたつ。三十過ぎたし、不妊治療も本気で考えようと思っているところだ。  そう! 今の最優先は子ども!  ほかの男になど、目をくれている場合ではない!  茜は、グッとこぶしを握った。
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