第一話

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「あいつはなぁ、まだ許せないんだよ。まだっつうのも酷な言い方だけどな。そりの合わなかった故郷の連中にも、先に街へ出てあいつを置いてった俺にも、それに傷付いたはずなのに、自分の妹に同じことをしちまった自分自身にも、まだ怒ってんだろうなぁ」  今度は僕がうーんと難しい顔をして首をかしげる。 アズマは具体的なことを言わないようにしながらも、僕にも伝わるよう一生懸命言葉を選んでくれたみたいだけれど、全体的に話がふわふわしすぎていて掴みようがない。 「とにかく、難しい問題だっていうことはわかったよ」  僕はわざと賢ぶって頷いた。アズマが声を立てて笑う。 「それから、レイって妹がいるんだね。知らなかった」 「そうだよ。それも聞いてなかったのかね」  「それも」と聞いてちくりと一瞬胸が痛んだ。 本当の名前といい家族といい、僕はレイの助手として色んなことを覚えたつもりでいたけれど、まだまだ知らないことばかりみたいだ。それがなんだかすごく悔しい。 「レイの妹はまだ故郷にいるの?」 「そうだろうな。こっちに出てきたって話は聞かないね。おおかた、出てった兄さんの帰りを待ってるんだろうよ」 「そっか。……それなのに、レイはもう帰らないんだね」  生まれた時から家族がいない僕にはよくわからない話だ。 せっかく本当の家族が故郷で待っているなら、帰ってあげればいいのにと思ってしまう。 「そうだなぁ。あいつにも色々考えがあるんだろうけどよ、俺も一度くらい面ァ見せてやりゃいいのにと思うね。まあ、そう思うこと自体、あいつにとっちゃ余計なお世話なんだろうが……」  アズマはふうっと煙を吐き出しながら遠い目をして呟く。 僕が残りのパンを齧りながらじっと黙り込んでいると、アズマは「まいったな」と頭を掻いた。 「年食ったせいかな。しんみりしちまっていけないね」 「アズマはまだそんなにおじさんじゃないでしょ。二人とも何歳なの?」 「俺が二十九であいつは二十四。俺が十五で故郷を出た時、あいつはまだ鼻たれのガキだったよ。坊ちゃんは?」 「僕は十三。来月で十四になるよ」  僕は少しでも背伸びをしたくてそう言った。 途端にアズマの顔がくしゃっと愛おしそうな笑顔に変わる。 思わず照れ臭くなって目を逸らすと、頭をぽんと軽く叩かれた。レイの撫で方にそっくりだ。  アズマはたばこを吹かす手を止め、じっと僕の顔を見る。 「なあ、フィロ。あいつはずいぶん困った奴だよ。なんてったって気難しいし、強情だし、おまけに見栄っ張りだからな。俺とあいつは顔合わせると喧嘩ばかりしちまう。だからな、俺に代わってお前さんがあいつを助けてやってくれないかね。……なに、難しいことはしなくていい。一番近くであいつを見ててやってほしいんだよ」  僕は空っぽになった木の器を手に持ったまま、これはきっと大切な話なんだと思って一つも取りこぼさないように聞いていた。アズマに代わって、僕がレイを。 ……そっか。今一番レイの近くにいるのは僕なんだ。 だけど、十歳以上も年が離れた男の人を助けるなんて、そんなこと僕にできるんだろうか。 「僕にできるかな。レイ、嫌がるんじゃない?」 「そうかい? お手々繋ぐほど仲良しなんだろ?」 「その話はいいから!」  僕は真っ赤になってアズマの肩の辺りをぽかっと叩く。 するとアズマはたばこの火を消しながら心底楽しそうな笑い声をあげた。どうやら、すっかり僕をからかうようにはまってしまったようだ。 「……でもまあ、頑張るよ。僕だってレイのこと好きだし」  僕が若干拗ねた口調でそう言うと、アズマは一瞬とても優しい顔で僕を見つめた。 「そうか。……あいつも幸せもんだな」  それはさっきレイの本当の名前を告げた時と同じ、まるで秘密を明かすかのように厳かで優しい声だった。 「じゃ、俺もそろそろ寝ようかね。坊ちゃんは?」 「僕はもうちょっと起きてるよ。コートの泥落とさなきゃ」 「おや、そうかい。じゃあ、俺ももう一服しようかな」 「それじゃ、僕の水術見ててよ。結構うまくなったんだ」  その後、僕は二カ月振りの水術を大失敗してコートもろとも全身水浸しになり、ついでに巻き込まれてびしょ濡れになったアズマの大笑いでレイが飛び起き、二人がかりで乾かしてもらってなんとか無事に眠ることができた。
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