第23章 一度きりならない方がまし

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「端的に言えば。そういうことになる」 蒲生先生はにこりともせず無表情に素っ気なく答えた。特に機嫌が悪いとかじゃなくこれが彼のデフォルトなだけだが。 「彼が潜っていった岸から近い水底の辺りに接触ポイントがあるな、ってのは地表からでも察知できた。ただ、そことコンタクトを取るのは実際に水中に潜って近づかないと不可能なこともわかった。だから守り神に近い身の双子も、わざわざ水に入らないとお告げは受け取れなかったわけだ」 「あそうか。…先生が霊感アンテナを伸ばして縁もゆかりもない神さまとコンタクトするより。双子が湖の外でお告げを受ける方がまだ簡単に思えるもんね」 由田さんもその説明に得心した様子で声を上げる。 「彼らですら遠隔で接触できずわざわざ水に潜らなきゃいけないくらいだから。蒲生先生みたいなよそ者が横着して水の外から話しかけても神は応じてくれないってことですね。そりゃそうかぁ…」 神野さんもおっとりふんわりした顔でふむふむと頷いてる。理屈としてはそれでわかるけど。 「そしたら、またその湖に行って。誰かが潜水しなきゃならないってこと?」 沖さんがちょっと怯んだ声を出す。 まあ、気持ちは理解できる。ていうか、誰がそんな得体の知れない湖に潜るんだ。まさか俺?…ってなるよなぁ、男の人たちは。この場合。 山川さんが恐るおそる、気の引けた顔つきで小さく手を挙げた。 「あの、俺。…恥を忍んで告白すると。実は、あまり。泳げないんすけど…」 悲しきインテリイケメン。いや、泳げないからって頭脳明晰クールキャラが台無し。なんて意地悪、全然わたしは言う気ないけど。 村域内での活動必須、体力と運動能力が要求される作業な上にここにいる面子の中では一番若手の下っ端という立場を考えたら、確かに山川さんにお鉢が回ってくる可能性が一番高いから。まず自分には無理な理由を真っ先に自己申告しておく必然性は当然理解できる、とわたしは内心で頷いた。 「やっぱ米田くんか。沖さんにはさすがに気の毒だよね、もう。体力考えたら…」 「いや神野ちゃん。俺まだ二十代よ?そこまで歳じゃ」 「あ、先生。沖がやるって、今自ら」 由田さんが調子に乗って挙手して発言するのをそうは言ってないよ!とむきになって遮る沖さん。といった具合で、研究室の中は動物園の餌やりタイム並みに騒がしくなりかけていた。…そんな中で。 わたしの脳内でダイビング、ってワードがちかちか瞬き始めていた。…何だっけ、割と最近聴いた言葉。 大学に入ってから誰だったか。スキューバダイビングが趣味の人に会わなかったっけ?しかも、今回の件と何か関係があった人。 何となくあれはこの研究室の人だっけ?って漠然と思い込んでた。それくらい、蒲生先生と縁のある人だ。わたしの記憶が確かならば。 …あ。 いきなり無言でばっ、と手を思いきり挙げたのでその場にいる全員がぎょっとした顔つきになって一斉にこちらを見た。 わたしは皆の反応には構わず、まっすぐに蒲生先生の顔を見つめて発言する。 「先生。…あの、お願いというか。提案なんですけど。先生の講義取ってる学生って、こっちから連絡つけられるもんなんですか?一人話したい人がいるんです。…多分普段は本当に滅多に。講義に顔出さないはずの人、なんですけど」 「人里離れた山ん中の湖?…うーん、どうなんだろうなあ。さすがに俺は潜ってみたことはないけど」 講師が本気出して必要がある、ってごり押しすれば自分の講義取ってる一学生に連絡つくことは判明した。まあ、そうでなきゃ。何か問題が生じたときに困るだろって言われれば確かに。なんだけど。 久しぶりに顔を合わせた曽根鷹見さんは、そうそうこんなノリの人だった。と立ちどころに記憶が呼び覚まされるくらい、最後に会ったときから何一つ変わってなかった。まあ、言うほど間が空いてもないんだけど、あれから。 めちゃくちゃいろんなことがあったから、それでもずいぶん以前の話みたいに思える。確か大学のカフェテリアでお昼を奢ってもらったのが最後だったかな。 蒲生先生から依頼したいことがある、単位は約束通りあげるのはもちろんのこと多少は成績に色をつけるしその上バイト代として謝礼も出す用意がある。と伝えられた彼は、素直に研究室に顔を出してくれた。 おそらくバイト代とか謝礼って単語が効いたに違いない。確かサークル活動でお金がいくらあっても足りないって言ってたから、それが釣るのに一番効果的なはず。それに較べたら成績なんて可以上でありさえすれば何ほどにも思ってなさそう。単位はもう、わたしを蒲生先生に紹介したことで既に確定してる扱いのはずだし。 由田さんが甲斐甲斐しく淹れてあげたコーヒーを遠慮なく手にして、彼は蒲生先生や沖さん、わたしの説明に聞き入り湖の写真をじっくりと検証した。 やたらと調子がよくていい加減なイメージしかなかったけど、先生の説明を聞きながら湖の状態を見極めようとしてるその横顔は意外にも大真面目だ。
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