今、想うこと

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今、想うこと                            つまかわ うじきよ その一  戦争・宗教・真理に付いて  有史以来、人類は争いを繰り返してきた。現代でも未だに続く宗教戦争。 歴史上の戦争の殆どがそれで、所謂(いわゆる)〝一神教”では、他教の教えは一切認めず『主イエスの為』『アラーの為』と唱えてその教えに反する人間を〝悪魔“と称して殺戮を繰り返す。 何という愚かさ‼。そもそも彼等の教祖様は本当に悟りを開いて人生やこの宇宙の真理にたどり着いたのだろうか・・・?   答えは『否(いな)!』である。 彼等はその人生の中で悩み苦しみ、真剣に修行して宗教家としての一定の悟りの境地に達し、その時点での自分なりの信教書を認(したた)め書物化し、恐らくその後も死ぬまで勉強し続けて、その考え方は進化していったのではないだろうか? 今もそうであるが、本気の研究者は生涯突き詰めていくものである。 現代では、アインシュタインを始めとする錚々(そうそう)たる物理学者達が宇宙創成や宇宙の果てに付いて、ビッグバンやらブラックホール、相対性理論等(など)、説(と)いているが、全ては仮説である。 時間にも空間にも、尺度を変えて見れば全く違った世界、所謂(いわゆる)〝パラレル・ワールド〟が存在する可能性は否定出来ない。例えば空中を漂(ただよ)う塵(ちり)や埃(ほこり)の中、或いは我々の細胞の中にも無限の宇宙は存在するかも知れないし、よく聞く例え話だが、私達の宇宙はとてつもない巨人の肩に付いた埃(ほこり)で、ある日そいつがポンと肩を払えば、忽(たちま)ちにして消滅してしまうのかも知れない。 時間に付いても、我々にとって一瞬と思える露(つゆ)の滴(したた)りの間に悠久(ゆうきゅう)の時が存在すると言うことも考えられる。所謂(いわゆる)『次元が違う』ってやつで、次元を時限と書き換えてもいいかも? 豊臣秀吉の辞世の句と伝えられる『露と落ち露と消えにし我が身かな浪速のことも夢のまた夢』と言うのがある。秀吉も、死ぬ間際(まぎわ)にチラッとそんなことを想ったのかも知れない。 要は、時間も空間も絶対的なものではなく、尺度を変えれば無限の可能性が有るってこと。 あれ?もしかして、相対性理論ってこういうこと言ってるのかな・・・? この件の結論としては、この世の真理を知る者など、この宇宙、ましてや地球の中に存在することなど有り得ないということである。 私自身、特に博識(はくしき)でもないし、普通以上に読書家と言ったこともない、ごく一般的な高卒定年後の年金生活者だが、そう言う観点から、神や仏にかこつけて善良な一般市民を宗教に引き込んで洗脳し、信者を私物化する宗教家が許せないのだ。 このやり方は、戦前の大日本帝国に於ける天皇制での教育や、北朝鮮の絶対君主制、或いはプーチン政権下のロシアも、同じであることを解ってほしい。 人類の歴史は戦争の歴史で、太古より人は、三人集まれば派閥(はばつ)が出来、それぞれの正義を振り翳(かざ)して争いが始まり、『人民の為』『人々を貧困から救う』等々の美辞(びじ)麗句(れいく)の中で争いと殺戮(さつりく)が繰り広げられ、勝った方が英雄に、負けた方が悪者となって歴史は綴(つづ)られて行く。 日本には『勝てば官軍負ければ賊軍』と言う言葉があるが、人類史の英雄たちの殆(ほとん)どがその該当者(がいとうしゃ)で、それぞれが希代(きだい)の殺人犯だと言うことを忘れないで欲しい。 要は全てが権力争い。その構図は、何千年何万年経っても変わらないのだろうか? 百年以上昔、資本主義の不平等を訴(うった)え、人民の平等を唱(とな)えた〝マルクス・レーニン主義〟。 その思想に基づいた〝社会主義国家〟であるロシア・中国・北朝鮮の三国が、宗教で言う処(ところ)の〝一神教〟と同じ様に、他の思想を受け入れず、現代の独裁者を産み出している事実も忘れてはいけない。 歴代(れきだい)の権力者(けんりょくしゃ)達(たち)は、自分のメンツや権力(けんりょく)維持(いじ)の為に、一般人民に殺し合いをさせる愚(ぐ)に、何故(なぜ)気が付かないのだろう。まあ、解(わか)っていれば、やらないか・・・?
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