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はじまり
「穂香、今日はパパの車で幼稚園にいくよ」
「はーい!ママは?」
「ママも一緒よ」
幼稚園の入り口に着くと、ママが私の頭をそっとなでながら話しかけてきた。
「ママたちはこれから病院にいって、おなかの赤ちゃんは元気かな~って診てもらって来るから、お迎えはおばあちゃんが来てくれるからね」
「うん!いってきまーす」
まさかこれが最後の会話になるなんて...
病院へ向かう車に、居眠り運転の大型トラックが正面から追突したそうだ。
四歳だった私は、両親と、生まれてくるはずだった弟か妹を一度に亡くした。
おばあちゃんは、月命日に必ず近所のケーキ屋さんでジャムの入ったボンボンショコラを六個買っていた。三個は仏壇に供え、残りの三個はおじいちゃんおばあちゃんと私でおやつに食べる。中のジャムは月替わりで、いつも何が入っているかワクワクしたものだ。
その習慣は、私が就職して家を出るまで続いた。
『近所のケーキ屋さんのボンボンショコラ』が作りたくてショコラティエになった私は、都内の洋菓子店で五年間働き、念願だった自分の店をオープンすることになった。
理想を遙かに上回る素敵な物件を見つけることができ、リノベーションも済み待ちに待った引っ越しの日。今にも踊り出してしまいそうな気持ちで京都駅に降り立った。
JR奈良線の東福寺駅で京阪電車に乗り換え、伏見稲荷駅に到着するとなんとも不思議な感覚を覚える。
「いつもここに来ると、帰って来たっていう感じがするんだよね...」
私は東京で生まれ育ち、京都を訪れたのは中学校の修学旅行が初めてだった。もちろん今まで一度も住んだことなんてない。
それなのに今回、店を出すのはどうしても京都がいいと思ったし、物件探しや打ち合わせで来るたびに、懐かしいようなホッとする気持ちになった。
まずは神様にご挨拶をするため伏見稲荷を参拝する。ここはとても気持ちがよく心から安心できる場所で、いつも時間を忘れてのんびりしてしまう。
不思議だなぁ...と思いながらゆっくり歩き、一階が店舗で二階が住居になっているとても古いけれど広くて明るい建物へ向かう。
ここが私のお店で新しい家。
建物の正面に立ち「これからお世話になります」と一礼した。
部屋の片付けを終え店舗前の掃除をしていると、二十代前半ぐらいの女性が声をかけてきた。
「すみません、こちらは新しくオープンするケーキショップですか?」
「え?あ、はい...」
「わたしは高山瑠璃といいます。パティシエールをしていましたが、最近京都に引っ越してきて仕事を探しているんです。ぜひここで働かせていただけませんか?」
「えっと...でも私も引っ越してきたばかりだし、まだ開店準備中で人を雇おうなんて考えてなくて」
「開店準備から手伝わせてください。お願いします!」
結構な勢いに圧倒されながらも、なぜかもう少し話を聞いてみようと思った。
「ちょっと中で話しましょうか」
簡易的なテーブルと椅子があるだけの店内へ案内し話を聞くことにした。
「瑠璃さんだっけ。どうしてここで働きたいと思ったの?」
「今まで神戸のケーキショップで働いていたんですけど、その店では色んなルールに縛られていて、一番年下だったわたしは意見も言えない雰囲気で...苦しかったんです」
瑠璃は今にも泣き出しそうな顔で、訴えかけるように話している。
私も今まで働いていた店では辛い思いをしていたから、瑠璃の気持ちがとてもよくわかる。
「だから、今度はオープニングスタッフとして働けたら、わたしからも提案とか相談とかもできるんじゃないかなと思ったんです」
話を聞いていると、私たちは同じような経験をしてきたんだとわかった。だから共感もできるし、お互いに相談しあえる仲間がいたら心強いだろうなと思った。
「わかったわ。これから細かい備品の購入や商品の考案、レシピの作成含めて、準備期間は一ヶ月ぐらいと考えているの。その間を試用期間にするということでどうかしら」
「ありがとうございます!よろしくお願いします!よかったぁ」
とてもうれしそうな瑠璃は、美人だけどどこか幼さの残る可愛らしい笑顔を見せた。
「あっ、私はショコラティエでこの店のオーナーの岩星穂香といいます。瑠璃ちゃん、これからよろしくね」
握手をすると体全体にふわっとした暖かさを感じ、なぜかこの人が一緒なら店はうまくいくような安心感を感じた。
「明日から数日間は大きな機材の設置で業者さんが入るから、その間にまずは商品とレシピを考えましょうか」
「はい、わたしにケーキの担当をさせていただけませんか」
「瑠璃ちゃんはパティシエールなんだから、もちろんお願いするわ。ケーキのほかに詰め合わせにできそうな日持ちのする焼き菓子も数種類お願いできる?」
「わかりました。穂香さんに認めてもらえるように全力でがんばります!」
瑠璃はどこに住んでいるんだろう。履歴書ももらわなかったけど、よかったのかな...
部屋に戻ると一瞬そんなことが頭をよぎったけれど、瑠璃のことは信じても大丈夫だという自信のようなものがあった。
翌日、瑠璃はたくさんのレシピを考えてきてくれた。
「すごい!どれもおいしそう。とりあえずいくつか試作してみましょうか。でも今日はチョコ系以外のものだけね」
「チョコ系はだめなんですか?」
「コンチェが届くのが明後日の予定なの。だからまだチョコレートが作れないのよ」
チョコレートはコンチェという機械で長時間精錬をすることで、あの香りとなめらかさがうまれる。
瑠璃はチョコが食べたかったと残念そうにしているけれど、こればかりは仕方がない。
「だから今日はショートケーキとチーズ系のケーキを作りましょう」
「わかりました。準備しますね」
瑠璃のレシピをもとに意見を出し合いながら全部で五種類のケーキを試作した。どれもおいしくて、試食なのに食べる手が止まらない。瑠璃の腕は確かだから、私が作るチョコレートのせいで味を落とすわけにはいかない。最高のチョコレートを作らなくては!
チリンチリンとドアベルが鳴り振り向くと、淡い緑色の着物を纏った女性が立っていた。
「あら。まだ開店時間前だったかしら?」
「すみません、今はまだ新規オープンの準備中なんです。開店日が決まったらお知らせしますので」
「そうだったの...ごめんなさいね」
女性は残念そうに顔を伏せた。
「ご近所にお住まいの方ですか?」
「ええ、ここから五分くらいのところに住んでいますが、久しぶりにこの道を通ったらおいしそうな香りがして。私、甘いものが大好きなの」
「それなら、もしよろしければご試食していただけますか?試作品なのでお代は結構ですので」
試食用に小さなスクエア型にカットしたケーキを、ケーキ用のボックスに詰め女性に手渡した。
「うれしい!でもいただいてしまっていいのかしら」
「もしお口に合ったら、オープン後にご来店いただけるとうれしいです」
「ありがとう」と言ってうれしそうに帰っていく女性を見送ったあと、ドアにはクローズの札をさげる。外にも甘い香りが漂っていて、入ってみようと思う人が他にもいるかもしれないから。
改めて瑠璃と二人で相談し採用するケーキを決めた。
「そういえば、タブレットやボンボンショコラも作るんですよね?」
「もちろん。コンチェが届いたら、今度はチョコレート三昧よ」
「チョコレート大好きだから試食が楽しみです。あ、そうだ。チョコ系のケーキに使うチョコレートは穂香さんに選んでほしいんです」
「瑠璃ちゃんのケーキに合うと思うチョコレートをいくつか作るから、試食しながら一緒に選びましょう」
「わかりました!」
今日の試作はここまでにして、瑠璃と一緒に買い物に出ることにした。
店内を飾る小物やラッピング用品などを買い込んで店に戻り、荷物を置いたところで何か違和感を感じた。
あれ?と思った瞬間、体がふわっと浮くような感じがして目の前が真っ白になった。
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