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「面会は1時間後に変更ですね。承知しました」
電話を切ってスマホの予定表を編集する。大学を卒業してとある企業の営業職として採用されて、学生時代のほとんどの時間を本を読んで過ごしてきた私が営業職なんてできるのかと思っていたけど、これがどうして向いていたらしい。
本を読んできた効果――かはわからないけど、仕事の時はスイッチを切り替えるみたいにパチリと仕事用の人格を覆いかぶせることができた。コミュ力があって笑顔の絶えない私が私の中に存在するのは自分でも驚きで、だけどやっぱりそれはどこか無理をしているようで。
平日に浮かべた笑顔を取り返すかのように休日は家に引きこもってただひたすら本を読むような生活を送っている。
とにもかくにも私は社会人として外向きにはそれなりに上手くやっていて、営業という仕事は私の習慣という意味でも欠かせないものだった。
「確か駅の近くに一軒あったはず……」
地図アプリを起動させると、駅から5分程歩いたところに目的の店があった。
何となく道順を覚えて線路に沿った道なりに歩いていく。気持ちよく晴れ渡った湘南の5月の空は少し歩いただけで汗が滲み出してきた。それでも遠目から感じてくる海の気配が心地いい。地元に海がなかったせいか、海という存在はそれだけでワクワクする。
きっかり5分歩いて古書店に辿り着く。古い感じの店舗だけど古書店としては結構広くて品ぞろえは豊富そうだった。店内に入ると、最近の文庫本が並んだ書棚に視線を走らせる。
引っ越しのときに無くしてしまった『死神の輪廻』のことは今も棘のように胸の中に残っていて。もしかしたらどこかの古書店で売られているのではないかと淡い希望を抱いて古書店を巡るのが習慣になっていた。
いや、それは習慣なんて生易しいものではなくて、「もしあの古書店に本が売っていたら」という強迫観念のように私の足を古書店へ向かわせる。
喜田君とは引っ越してからもしばらくメールで読んだ本についてのやり取りは交わしていたけど、ある時からストンとメールが返ってこなくなってしまった。2、3回送ったメールが返ってこなくて、臆病だった私はそれ以上連絡を取ってみることもできなかった。
喜田君とはそれっきりになってしまったから何があったかはわからない。だけど、「繋がり」と喜田君が称した本を直後に無くした私にはずっと負い目があったし、愛想を尽かされても仕方ないとは思っていた。
だからこそ、せめてあの『死神の輪廻』をもう一度見つけたいとずっとずっと探している。
「3冊、か」
古書店で『死神の輪廻』を見つけること自体は与野九夜の人気もあってそんなに難しいことじゃない。だけど、私が求めているのは“あの”『死神の輪廻』だ。
右から1冊目をとって奥付を開くけど何も書いていない。2冊目も同じだった。
私がやっているのは宝が眠っているかもわからない宝探しだ。宝がいつどのタイミングでどこに埋まるのかわからないし、そもそも埋まるかすらわからない。
できるだけ期待しないように3冊目に手をかける。3冊の中では一番年季が入っている表紙を捲り奥付を開く。
『最高だろ?』
掠れそうなインクの文字が残っていた。
嘘。ウソ。うそ。
思わず本を閉じて、深呼吸してからもう一度奥付を開く。『最高だろ?』という文字は消えずに残っている。
――やっと会えた。
だけど、奥付は高校時代に見たままではなかった。『最高だろ』という文字に続くように別の文章が書き足されている。
『いつかこの本が巡り巡って君にまで届きますように』
書き足された文字は『最高だろ?』に比べるとはっきりとしていた。比較的最近書かれたものだと思う。だけど、筆跡はよく似ている。
もしかしたら、喜田君がこの本を見つけて奥付に追記して古書店で売ったのだろうか。いつか、私にまで届くことを願って。
「また、会えたね……」
本をギュッと抱きしめる。
ずっとこの本を探してきて、見つかったらどんな気持ちになるのだろうかと考えてきたけど、実際に手にしたらまるで言葉にならなかった。
ただ涙腺から溢れてこようとする想いを留めるだけでいっぱいいっぱいで。
ふと店の奥から視線を感じて、そちらを見ると店員さんが不思議そうな顔でこちらをじっと見ていた。
途端に顔が熱くなる。入ってきた客がいきなり本を抱きしめたりしたらそれは不思議だろう。
恥ずかしさで体がぎくしゃくしつつ、早くこの場を立ち去りたい一心で店員さんのいるレジに向かい、本を差し出す。
「……この本、いい本ですよね」
「え? あ、はい。すごい思い出の本で見つけてドキッとしちゃって」
まさか話しかけられると思ってなくて、つい先程あんな場面を見られたばかりってこともあって顔を上げられない。
店員さんが持っている本の辺りを見て話す。急に昔の自分に戻ってしまったみたいだった。
「僕もこの本は思い出深くて。数年前に見つけたときには運命と思いました。それを知らせたい人が居たんですけど、大学に入った頃に携帯を壊しちゃって、その頃はSNSみたいなのもなかったから連絡先もわからなくなってしまってて、どうすることもできなくて」
胸の奥の方が不自然にドキリと跳ねた。
ああ、この感覚は知っている。でも、嘘、こんなことって。
「仕方なくメッセージを書き足して、古書店で売りました。いつか、巡り巡ってこの本がその人に届けばいいと思って。だけど、先日持ち込まれた本の中にこれが含まれていたときはなんて運命の悪戯だろうって思いました。結局僕が持っているべきなのかなと思いつつ、それでも予感みたいなのがして店頭に並べてみたんです」
やっぱり、運命の悪戯は続いてました。
そう笑う店員さんの胸元を見ると「きた」と書かれたネームプレートが付けられている。
そっと顔を上げると、そこには何度も見たニコニコとした笑顔。多分、私が本当に探していたのはこの笑顔だ。
「久しぶり、野崎さん。また会えたね」
二度と手放してしまわないように、その笑顔に向かってぎゅっと両手を伸ばす。
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