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平穏の影
冷たい風が吹くゴールデンウィークの中日。晴天にも関わずカーテンを閉め切ったリビングで、中西和彦は趣味のホームシアターを楽しんでいた。
長女も長男も結婚して、末っ子の娘も一人暮らしをしていた。大きな病気もなく、反抗期やグレることもないまま三人の子が巣立ち、がむしゃらに働く必要もなくなった和彦は、55歳にして休日と趣味のある人生を手に入れていた。
妻の美由紀は義兄と交代で、実家に戻り義母の面倒をみていた。面倒といっても軽度の認知症で、もしもの時のために傍にいるだけで暇なのだと美由紀は言っていた。
家族はバラバラに暮らすようになっても、新型ウイルスが流行るまでは月イチで集まっては出掛けたり食事をするほど仲が良かった。
映画の音響とは別に、部屋の扉が震えた。誰かが帰って来たのだろうと、和彦は気にもとめずにコーヒーを啜った。
「ただいま」
案の定。末っ子の娘、優が帰って来た。キッチンで適当になにか食べている音がした。
優がリビングのソファで、和彦と一緒に映画を観始めた。それは普段と何一つ変わらない日常だった。
「お父さん。話があって来たんだけど。聞いてもらえる」
「どうした」
しばらくして優が口を開いた。オーディオの音量を下げる和彦にとって、それは非日常の幕開けだった。
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