生まれ変わり

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「生まれ変わった気分は、どうだい?」  問いかけた言葉に、コーヒーを飲もうとしていた少女の手が止まる。  美しい切れ長な瞳が、質問した男へ向けられた。 「今更ね」 「感想を聞いていなかったことに、今気づいたんだ」 「気分なんて、感動に決まっているでしょう? ようやく、なりたい姿になれたんだから」  少女の容姿は、一般的な女性よりも美しいものだった。  艶のある黒髪に、吊り上がった二重の瞳。  ふっくらとした小さな唇。  小柄な体躯は守りたくなるような、加護欲を掻き立てられるものだった。  男から見ても、少女は魅力的と言える姿をしている。 「貴方も、なんだか見違えたわね」 「さいごに会った日から、ずいぶん経っているから。君が直接、会いに来た時は本当に驚いたよ」 「単なる気まぐれよ。お世話にもなったし、挨拶くらいはと思って」  そう言って少女は顔を逸らす。  ツンとした様子に、男は懐かしさと共に、愛おしさすら感じていた。 「まさか、こんなに何度も、挨拶に来てくれるとは思わなかったよ」 「た、たまたま用事があったから! 一人で寂しそうだったし、ついでに来てあげているの! 勘違いしないでよね!」  赤くなる彼女を見て、思わず笑ってしまう。  少女は、ますます怒ってしまった。 「もう来てあげない!」 「ごめんよ。好きなもの食べていいから」  すると少女は少しだけ気を良くしたようで、何を食べようかと、すぐに考えを切り替えた様子だった。  そんな少女を眺めて微笑ましく思っていた男だが、突如ゴホゴホと咳き込む。  少女が目を丸くした。 「え、ちょっと大丈夫?」 「……ああ、平気だよ。心配しないで」  そう告げるが、少女は不安げな眼差しで男の背を摩る。  根が優しいところは、昔から変わらないな――と、男は一人嬉しそうに笑った。 「まったく……妻や子供にも、見習ってほしいものだよ」 「そういえば、いつから来てないの?」 「ここ数年、姿を見ていないかな。たまに連絡はくるが、業務的な内容ばかりだよ」  その言葉に、少女はムッと顔をしかめた。  男の家族に思うところがあるようで、いつだったか「顔も見せに来ないなんて、信じられない!」と、怒りを露わにしていたのを、男はよく覚えている。  けれど男は家族のことを、あまり気にしてはいなかった。  妻は歳が離れているのもあって、最近は若い青年と遊び歩いているらしい。年上の男には、構っていられないのだろう。  子供もすでに成人しており、仕事やプライベートで忙しくしている筈だ。そもそも、こんな父親の世話を任せたい、とも思っていない。  ただ二人が顔も見せに来ないことを、少し残念に思うけれど。 「君だって、僕の様子を見に来るよりも、友達と遊びに行っておいで」 「友達と遊ぶのなんて、いつでも出来るわ」 「好きな人はいるかい?」 「いいえ。だって周りの人たちって、みんな子供だもん」 「僕からすれば、君もまだまだ子供だよ」  少女はむくれてしまった。  一人前のレディに、子供扱いは禁句だったらしい。 「決めた。すっごく高いパンケーキ、食べちゃうんだから!」 「好きなものをお食べ」 「また、そうやって子供扱い……」  そうしたつもりはなかったが、少女をションボリさせてしまったことに、少しだけ罪悪感を抱く。  けれど、どうしても少女に対する子供扱いは、抜けそうにない。  少女と過ごした時間で培った、クセのようなものもある。  だが、このように接していたい、という気持ちが、男の行動に出ているのかもしれない。 「せめて成人してくれれば、もう少し大人に見えるんだろうけれどね」 「成人って……」  男の言葉に、少女はふてくれる。 「――そんなに待ってくれないクセに」  少女の瞳に影が差す。  まるで置いていかれた子供のような、泣きそうな顔になるのを、男はただ黙って見ていた。 「酷い人ね。せっかく再会できたのに、もういなくなるなんて」 「……ごめん。失言だったよ」 「もうすぐよね? 余命宣告の日って」  男は確認の為、部屋にあるカレンダーへ目を向ける。  赤いマーカーで、数日後の日付が強調されていた。 「そうだね。もうすぐかもしれないし、そうじゃないのかもしれない」 「曖昧ね」 「余命宣告といっても、過去のデータから導き出された、予測のようなものだから」 「でも私が成人するまでは、生きてくれないのでしょう?」  すねたような口調で、少女は男を責める。  いつもは大人びているのに、今日は随分と年相応に見えた。 「酷いわ。貴方も、神様も。私、貴方に会えると知って、ずっと探していたのに」 「そんなに僕と会いたかったの?」 「貴方は違ったの?」  縋るように見つめられて、男は思わず口を開く。 「まさか。君との別れが辛くて、僕は何日も泣いていたんだよ? また会いたいって、何度思ったことか。そんな君との再会が、嬉しくないわけがない」 「ほんとう?」 「誓って本当だよ」  それを聞いて少女は嬉しそうに微笑んだ。 「私も、ずっと貴方に会いたかった」 「今日は随分と素直なんだね」 「私は、いつだって素直よ」 「そうかい? 以前は僕が頭を撫でようとすれば、すぐに逃げていたのに」  すると少女の頬に、赤みが増す。 「それは……! 貴方が気分じゃない時に、撫でてくるから!」 「気づかなかったよ。そういえば君は、昔から気分屋さんだったね。今でもそうなのかい? 友達には優しくするんだよ?」 「余計なお世話よ、バカ!」  いつもの調子に戻った少女を見て、男はホッとした。  喜怒哀楽がハッキリしている様子に、昔はもう少し分かりにくかったことを思い出す。 「生まれ変わると、こうも変わるものなんだね」 「当たり前でしょう。生まれ変わっているんだから」  それもそうか、と男は納得する。  少女の手が、男の手に重ねられた。 「ねえ……貴方も生まれ変わって、また会いに来てくれないの?」  切実に、少女が問いかけてくる。 「どうだろう? そもそも君のような存在自体、異例な気もするけど」 「分かっているわ。でも……私、また貴方に会いたい」  キュッと力が籠められる。  こんなシワくちゃな手を取ってくれるのなんて、少女と看護師さん以外には居ないだろう。 「お願い。また会いに来て。私、何年でも待ってるから」 「……難しいことを言うんだね」 「いけない?」 「そんなことはないよ」  男は自分の小指を、少女の小指にそっと絡める。 「指切りしよう。必ず会いに行って、君の好きなもの、好きなことを、今度は必ず一緒に楽しむから」 「ええ、約束よ。会いに来て。どんな姿になってでも、絶対に」  少女からそんなことを言われたものだから、男は一瞬、蟻になって少女に会いに行く、自分の姿を想像した。  きっと少女に気づかれず、踏み潰されるのだろうが、それでも構わないと思った。  その時は、また生まれ変わって、会いに行けば良い。  思いのほか少女との再会を楽しみにしていることに、男は自分で笑ってしまった。  何十年の時が過ぎても、彼女への愛が冷めることはない。  その事実に、今度は胸の奥が熱くなるのを感じた。
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