大友皇子の想い

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大友皇子の想い

もう一度、「十市」とそなたの名を呼び、そなたに触れたかった。 もう、それも叶わない。 恐らく、私は生きて戻ることはない。 いや、この国が新しく強固なものになるため、この国の民の幸せのためにも、私は生きていてはならないのだ。 そなたに会うことは、もう叶わないであろう。 生きて戻ると、偽りの約束をした私をどうか許して欲しい。 そなたを、このような戦に巻き込み 悲しい思いをさせることにした父を 天智天皇を許して欲しい。 恋い慕う高市皇子さまがおりながら、 私の妃となってくれたことを、心から感謝している。 どうか私のことは忘れて、幸せにくらして下さい。 それだけが、今の私の願いです。  🍀🍀🍀 そなたを初めて見たのは、母の実家のある近江から飛鳥の京に呼ばれた時だった。 母は、采女(うねめ)であったから、 私を身籠もると里に帰り、私を産んだ。 母は私を産み落とすと、また采女として仕えるために飛鳥の京へ戻り、 私は地元の豪族大友氏の庇護の元で育てられた。 私が大友皇子と呼ばれるのはその為だ。 父(中大兄皇子・なかのおおえのおうじ)が私を飛鳥の京に呼んだのは、 下級官吏としての経験を積ませるためなのだろうと思っていた。 初めて宮中へ入った時、父の側近である中臣鎌足(なかとみのかまたり)が 自ら私を案内をしてくれた。 その時、母額田王(ぬかたのおおきみ)さまと共に神楽の舞の修練をしているそなたを初めて見たのだった。 まだ幼さが残る顔立ちであるのに、 凜として美しい人だと思った。 「額田王さま、修練のお邪魔をして申し訳ありません。こちらは、大友皇子さま、中大兄皇子さまの思し召しで近江から飛鳥にお出でになりました。」 「皇子さま、ごきげんよう。 私は巫(かんなぎ)としてお仕えしている額田王と申します。 こちらが、娘の十市と申します。」 「皇子さま、十市皇女さまは、大海人皇子(おおあまのおうじ)さまのご長女でいらっしゃいます。」 「ひめみこさま、大友と申します。 ひめみこも、母上さまの後を継いで巫(かんなぎ)になられるのですか?」 「皇子さま、ごきげんよう。 私はまだ、修練の途中で巫(かんなぎ)となれるのか、分かりません。 母のようになれたら、とは思っております。」 大海人皇子さまと額田王さまの御息女。 御両親共に皇族の十市皇女さま。 皇子であっても、采女を母とする私とは身分違いの手の届かない御方だ。 それなのに、なぜ中臣鎌足はわざわざ私と額田王さま、十市皇女さまを引き合わせたのだろう、と思った。 私にはその時は知るべくもなかったが、鎌足の頭の中では、既にこの時から私を皇太子とするべく、少しづつその道を整え始めていたのだった。 十市皇女、額田王母子と引き合わせたのもそのためであったし、後に、私は鎌足の娘も妃に迎えることになる。  🍀🍀🍀 母が采女である私は、これまでの慣例では、皇太子にはなれない。 それは、皇位を継いだ後、万一執務を遂行できなくなった時、母が天皇に代わって称政する事があるからだ。 しかし、十市皇女を正妃(皇后)にすることで、万一の場合は皇后(十市皇女)が称政するということで、その批判をかわすことができると父中大兄皇子と中臣鎌足は考えたのだろう。 もし、中臣鎌足がもっと長く生きていれば、もしくは、鎌足の息子たちや鎌足に代わる側近が育っていれば、鎌足と父の目論見はうまくいったのかもしれない。 しかし、中臣鎌足が狩りで落馬し、 背中を強打したことから、死に至った時、もうこの計画、兄弟継承から長子継承への変更は、頓挫したのだ。 私が皇位を継ぐことを含め、父が推し進めようとしていた中央集権国家への改革は、中臣鎌足のような有能な側近がいてこそ可能だったのだ。 対外的(シナ大陸の王朝)には、推古天皇の頃から、シナ大陸の王朝の冊封体制からの離脱の意思を示すため“天皇”“日本”の名称を使用してはいたが、実質的にはまだ豪族の長である大王(オオキミ)であり豪族連合国家倭国であった。 父中大兄皇子は、大王から天皇(すめらみこと)になることを目指していたのだ。 父は、確かに決断力と行動力のある方だった。しかし、実際には、中臣鎌足に担がれていただけなのかもしれなかった。 それなのに、自分ひとりでも自分の描く通りのことが出来ると思われてしまったのだ。私が止めるべきであったのに…。 大海人の叔父上が吉野に隠棲し、 私が父の後を継ぐ事になった時、 この戦(壬申の乱)が避けられないことは分かっていた。 勝てない闘いかもしれないことも予感していたのだ。そなたから言われずとも。 せめて、中臣鎌足が死んだ時に戻れたならば…、 あの時、不興を買う覚悟を持って父をお諫めし、倭京にて速やかに即位していただき、大海人の叔父上を皇太弟に立て、私(大友皇子)が近江に身を引いていれば、戦は避けられたかもしれない。 全ては、私に勇気と覚悟が足らなかったせいなのだ。 どうか、許して欲しい。 こんな私に添ってくれたことを、 心から感謝している。
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