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敗戦
後の世の者たちは、私(大友皇子)を、
父・天智天皇のもとでのほほんと過ごして、先々を見通すことの出来なかった愚かな皇子というのだろう。
本来であれば、大海人の叔父上が挙兵した時点で、即座に兵を送り込んで討伐すべきだった。
それにもかかわらず、直ぐに動かず
臣下を集めて兵の集め方などを今更のように話し合っていたのは、私を含め側近たちにも「正規軍である朝廷側が破れることはない」という、油断と過信があった事は確かだ。
大海人の叔父上は、あの容赦なく政敵を潰していった父帝(天智天皇)の元で、細心の注意を払って生き延びてきた方です。吉野に隠棲するといいながら用意周到に準備をして挙兵したに違いないのです。
もはや戦が避けられない以上、一刻も早く終わらせることを私は考えていた。
朝廷軍としての威厳を損なわず、
損害を最小限にして戦を収束させる。
その為には、私が大海人の叔父上の謀に気付かず作戦を誤ったのだから、
それ以上抵抗せず自害する。
それしか方法はないと思った。
それでも、最後の戦いの舞台となった瀬田大橋において激戦となり、多くの者が死んでいった。私は敗走して戦況を立て直すことはしなかった。
何をしてでも勝とうと思えば、どこまでもしぶとく生き抜いて、最後の最後に勝利を掴み取ってやるとの執念で逃げのびることも出来たのかもしれない。
だが、私はそうしなかった。
もう、これ以上人が死ぬのを見たくなかった。
そなた(十市皇女)は、最後まで戦を避けて欲しいと言っていた。私もそうしたかった。
だが、この国をもう一度しっかりと立て直すためには、たまりに溜まった不満や矛盾を一度ご破算にしなければならないと私は考えたのだ。
それが、私の役目だと。
だから私は、生きていてはいけないのだ。
この戦が終わった後には、大海人の叔父上と鸕野讚良皇女さまが、しっかりと新しい国造りをしてくださる事であろう。
そなたの事だけが心残りだが、長女であるそなたのことは、叔父上さまも粗略にはなさるまい。
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