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今思い出しても恥ずかしい。寧ろ、今思い出すのはよろしくない。あの日のことを詳細に思い出してしまったら、わたしはあまりの羞恥に耐えかねてドアを蹴破り、会議室を出て行くだろう。そして、クビになるのだ。取り乱すわけにはいかない。
変な汗をかきながら、素知らぬ顔で取引先としてやって来た彼と向かい合った。
果たして彼はあの日のことを憶えているのだろうか。
名刺を交換したとき、彼は表情ひとつ変えなかった。もし、わたしのことを憶えていたら、さすがに少しは動揺するはずなので、もう忘れているのかもしれない。
大丈夫だ、落ち着け。一度会っただけの男だ。その他大勢の中で目立つ存在でもないわたしなど、記憶に残るはずもない。自虐的とも言える謎めいた自信で、己を鼓舞する。絶世の美丈夫に忘れられるのは本来なら悲しいはずなのに、今日ばかりは忘れていてほしいと心から願っていた。なんならテレパシーすら送っている。「わたしたちは初対面だ」と。
こんな形で再会する未来が見えていたら、美智子さんの誘いであろうと全力で断ったのに。
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