三歩さん

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三歩さん

 私は最近、幽霊が見えるようになった。  仲の良い友達の中でも、たった二人にしか話していない。これはとても大切な秘密。とはいっても、冗談交じりに話したぐらいだけど。  家では、お父さんにも、お母さんにも話すことはできなかった。普段からそういう番組なんて全く見ないし、お化けだとか幽霊だとか、そういうものは信じてないみたいだし。話してしまえば、『頭は大丈夫なのか』だなんて心配されてしまうから。  幽霊が見えるようになったとは言っても、なんでも見えるわけじゃない。  限られた――ただ一人の幽霊しか見えなかった。  それが浮遊霊(ふゆうれい)なのか、地縛霊(じばくれい)なのか、はたまた生き霊なのか。別に小さいころから霊感が強かったというわけでもないし、ましてや霊能力者でもないので、私には判断がつかないけど……。  けれどそれが、幽霊であることは間違いない。  実体の無い、“なにか”であることは間違いない。  なぜなら……その幽霊は必ず消えてしまう。  ――私が、三歩近づいた時点で。  なので、私はその幽霊のことを『三歩さん』って呼んでいる。は、学校へ行く途中だって、体育の授業中だって、学校から帰る途中でだって現れる。そして、決まって三歩近づくと消えてしまう。  夏休みまであと一週間の熱い日のこと。セミの鳴き声に頭をいっぱいにしながら、飽き飽きする帰り道。曲がり角二つ分先の電柱の前。 「あ――」  ――まただ。また三歩さんがいる。  黒のブラウスと黒い帽子に日傘を差して。この町内ではあまり見かけないセレブな恰好だけれども、この距離からでは帽子が邪魔で表情は窺えない。  最初は町内の誰かかと思っていたけど、そうじゃなかった。近づいても、近づいても姿を消してしまう。最初は通学中にすれ違うだけだったから、気のせいかもと思うこともあった。  ただ、学園に現れるようになってからは怖くて仕方なかったこともあった。  幽霊に憑りつかれているんじゃないかと心配して、有名な霊能力者にお祓いしてもらえばと言われたこともあったけど、お金がかかってしまうらしくて。見えているだけで実害もないのだから、今ではすっかり慣れちゃった。  向こうは立っているだけ。怖くはない。こちらに語りかけてくるわけでもなく、物を動かしてくるわけでもない。少なくとも、彼女のことを悪霊だとは私は思わない。  だからなのかな。  その幽霊の顔を見たくて見たくて、私はその姿を追っている。  一歩――  二歩――  三歩―― 「やっぱり……」  三歩近づくと消えちゃう。たった三歩。  そこから先は、どうしても近づけない。 「どうしたの?」 「また例の三歩さん?」  あぁ、急に大股で歩いたら気づくよね。 「……うん。また消えちゃった」  蜃気楼だってもう少し待ってくれるって。 「私だったら気持ち悪くて外出れないけどなぁ……」 「えー。面白いじゃない。三歩近づくと消えるんだよ?」  ――そう。私はだんだんと、三歩さんがどんな人なのか興味を持ち始めていた。幽霊とできることなら、お話だってしてみたい。どんな声をしているのか。どんな顔をしているのか。そして、なぜ私にだけしか姿が見えないのか。  ネットでいくら検索しても、同じような体験をした人は見つからなかった。 「やっぱり自分だけなのかな。こんな幽霊が見えるのって」  一度だけ携帯のカメラで撮影してみたこともある。けれど案の定、全くといっていいほど映っていなかった。顔認識? もちろん、反応なしね。  あとは試しに双眼鏡を持ち歩いてみて、現れた三歩さんを見ようとしたこともあった。……これも失敗。何故か全く分からないけど、双眼鏡越しでも見えなくて。『変質者に見えるから、やめた方がいいよ』と窘められちゃったので、それ以来は試していない。  見つけて、近づいて、消えて。  見つけて、近づいて、消えて。  そんな毎日に――変化が訪れた。 「――あ、また三歩さんだ」  黒いブラウスと帽子、そして日傘が路地を抜けた先に見えた。いつもと同じ距離、いつもと同じ姿。彼女は何も言わずにこちらの様子を窺っている。 「またぁ? 今日の朝も言ってなかった?」 「最近よく出てくるねぇ」 『大声で呼んでみたら?』『向こうから近づいてきたりして』と冗談交じりに話してくれちゃって。流石に街中で叫ぶのはちょっとね……。  もうすっかり習慣となってしまった三歩カウント。  近づけるのは三歩だけ、それを超えてしまうとフッと消えてしまう。何十回も何百回も繰り返したホップステップジャンプ。結果が分かり切っているのは少し寂しい。いつか、貴女との距離を縮められたらどれだけ嬉しいだろう。  一歩――  二歩――  三歩―― 「どう?」 「また消えたー?」 「…………あれ?」  ――消えない。……消えない?  カウントを間違えたのかな? いやいや、大股で三歩だよ?  一歩、二歩、三歩。小学生だって間違えようのない歩数でしょ。  試しに――もう一歩。……それでも消えずに、三歩さんはそこに佇んでいる。  こんなことは初めてだった。  必ず三歩で消えていた三歩さん。  三歩で消えるから、三歩さんと呼んでいたのに。  もしかしたら……今日こそは近くまでいけるかもしれない。  どんな顔をしているか、見ることができるかもしれない。  ――――! 「ちょっと!?」  たまらず走り出した。こんなチャンス、二度と無いかもしれないんだよ?  三歩さんまで、あと二十歩もない距離だ。それでも――いつもの約七倍。今までこんなに遠い二十歩があっただろうか。あと七歩で消えたら、今度から十歩さんって呼ばないといけないかな。……なんて。  大股で、全速力で。スカートがはためくのも気にせず走った。  そして―― 「はぁ……はぁ……はぁ……!」  大した距離でもないはずなのに、呼吸が荒くなる。呼吸をするのも忘れて走ってたみたい。でも、三歩さんに近づいた。近づくことができた。もう――目と鼻の先に彼女がいる。  呼吸が整うのを待つことすらもどかしい。胸を押さえながら顔を上げた。  三歩さんは女の人だった。……いや、それは遠目から見ても分かっていたけれど。綺麗な髪の毛――それにも増して、目を引くのは顔。芸能人顔負けの美貌(びぼう)は、彼女が唇を動かして言葉を発していることを認識させるのに、多少時間がかかってしまった。 「――――」  頭が真っ白になっていた。  あれだけ話をしたいと思っていたのに、こうして対面してしまうと言葉が出てこない。あれ……何を話したかったんだっけ。いったい何を話そうとしているの?  ――見惚(みと)れている私の、その脳が……彼女のつぶやきを理解しようと働いている。……おかしいな。自分で言うのもなんだけど、そこまで頭の回転が悪い方でもないはずなのに――  そんなことを考えていると、後ろから悲鳴にも近い声が飛んできた。 「――危ない!」 「――え?」  友達の声が、狭まっていた私の視界を一気に晴らした。彼女の姿しか見えず、音も色も無かった世界が、流れ込んでくる情報により彩られる。  夏の日差しに焼かれたアスファルトの熱。街の匂い。  そして――赤く点灯している信号機。  私は横断歩道の上にいた。目の前にいる人たちが何か叫んでいる。声が聞こえないのは、三歩さんのせいじゃない。けたたましく鳴らされたクラクションの音で、全て塗りつぶされてしまっているから。 「――――!」  息を呑んだ。  ダンプに撥ねられた衝撃って、どれほどなのだろう。そんな呑気な考えが頭をよぎったのも束の間。既に大型車は視界いっぱいになるほどの距離にまで迫っていた。  曇りひとつないバンパーに映し出された自分の顔。  衝撃を感じ、身体が浮き、私の意識は――
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