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 半年も仕事を続ければ、込み入った裏路地も庭になる。闇で機能する瞳も、無音の移動も身に付いた。  治安の悪い夜の世界にも、怪我の痛みにもあまり恐怖はない。返り血を抑えた攻撃も随分上手くなった。殺人にも大分慣れた、と言ったところだろうか。 「キリさん、帰りました」  扉を開いた先、部屋は広かった。無意識に作っていた笑みが消滅する。代わりを努めるよう、涙が外へと出たがった。もちろん許しはしないが。自らの胸ぐらを掴み、感情を押さえつける。  ――確かに慣れた。テクニックだけは格段に向上した。けれど、どうしても心だけは付いていかない。命を裂くほどに、身体に罪が溜まる感覚がある。仕事の後は毎度、苦しくて仕方がなくなった。なのに。  背後の気配に振り向く。真後ろにはキリが立っていた。勝手に演技モードが発動し、にっこりと迎えの挨拶をしてしまう。何の疑いもない返事に、心底安堵した。 「帰ってたんだな」 「つい先程。キスしてもいいですか?」 「ああ」  キリのマスクを外し、軽やかに唇を重ねる。背中に回ってきた温度が、罪悪感を溶かした。こうしている間は、心痛を曖昧にしてしまえる。この時間が失われれば、僕の心はあっさりと潰れるだろう。  そうだ、これは薬だ。形だけでも柔らかな愛情がもらえる。これは、僕の命を繋ぐ薬なのだ。 「次の仕事なんだが先程連絡が来ていてな。少し大きな案件だから同行を頼みたい」  唇が離れるや否や、吹き出した連絡で現実を握りしめる。だが、最初から形だけと知った上の行為だ。裏切りよりは痛くない。 「はい、どこへでも」  ただ、この頃には願うようになっていた。無謀だと分かりつつ、理性では制止できなかった。  本物の愛が欲しい。キリの心からの愛が欲しい、と。  願っても嘆いても、時間の助太刀はないけれど。
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