sideA

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 彼女と俺のなれそめの話をしようと思う。  出会ったのは市内の一番大きな公園にあるドッグランだった。  当時飼っていた老犬を連れて行ったとき、彼女は自分の犬をフリスビーで遊ばせていた。  平日の午前中で、しかも真冬の寒い日だった。だからだったのか、他には誰もいなかった。  俺たちが柵を開けて入ってくるのを見た彼女はフリスビーをバッグにしまいながら、こちらを振り向いて会釈した。  第一印象だと20歳過ぎぐらい。  背が高くてスレンダー。俺よりちょっと高かった。でも手足が長くて体重は恐らく俺の半分ぐらい。 「気にしないでフリスビー続けてもらって大丈夫ですよ」  とりあえず俺はそう声を掛けた。 「こいつはじいさんだからはしゃがないので平気ですから」 「ありがとうございます。でももうたくさん遊んだから、少し休ませます」  それから俺たちはお互いの犬の話を少しした。  彼女の連れていた犬は白っぽい毛並みのゴールデンレトリバー。1歳になったばかりということだった。  俺の犬よりもかなり体格がいい。俺の愛犬はラブラドールレトリバー。黒で同種の犬の中でも小柄な方だ。性格はおとなしくて人見知りだったけれども、老年期に入ってからそうでもなくなった。  多分少しボケてきていろんなことに対しておおらかになっているのだと思う。  好奇心いっぱいで近づいてきたゴールデンレトリバーに対しても鷹揚な態度を見せて、リードを外すと一緒にトコトコ歩き始める。  しかしそのあと立ち止まって振り返ったのは、彼女が呼び止めた言葉のためだった。 「らぶちゃん?」  彼女は俺の犬の犬種を略した言葉を口にしただけだったのだと思う。  けれども俺の犬は人間みたいに少し首を傾げ、伺うようにじっと彼女を見た。  横から俺は説明をする。 「安直ですけどラブがこいつの名前なんです。しかも家族は大体らぶちゃんと呼んでいるので、呼ばれたと思ったんでしょう」  ラブラドールレトリバーだかららぶちゃん。安直すぎる。  つけたのは俺の母親だ。俺の犬なのに俺の手元に来た次の日には知らない間に名前が決まってた。  そして母は今でも甘ったるい声でこの老犬をらぶちゃんと呼ぶ。  俺の説明を聞いた彼女は微笑んだ。しゃがみこんで手を広げ、もう一度呼ぶ。 「らぶちゃん!」  耳に快い優しい声だった。  ラブは近づいて行って広げた彼女の腕の中にすっぽりと納まってしっぽを振った。彼女は両腕でラブを抱え込んで大きく撫でる。  彼女の犬が焼きもちを焼いて、ラブを押しのけで彼女の腕に収まろうとした。 「よしなさい、ケント!」  彼女は制止したけどその声もキツい感じではなかったから、若い犬は構わず彼女に飛びついた。  押しのけられてまごつくラブを俺は呼び戻して背中を撫でてやる。 「ごめんなさい。この子やんちゃで……」 「まだ1歳だったらそんなもんですよ。それよりあなたのワンちゃんはケントくんというんですか? 偶然ですけど俺もケントって名前なんですよ」  勢い込んでそう口にしてから後悔した。俺の名前が彼女のペットと同じだろうが、彼女にとってはどうでもいいことだろうに。  ところが彼女はどこか嬉しそうににこりと微笑んだ。 「ケントさん。素敵な名前ですね」  白い歯が見えて、色白な頬にえくぼが浮かぶ。俺の名前を復唱した彼女の声に、どきんと心臓が跳ねた。柔らかくて落ち着いた優しい声。  こういうのをなんていうんだろう。一耳(ひとみみ)惚れ?  ライバルの老犬から彼女を奪い返したことに安心した犬のケントはもう、元気いっぱい飼い主を置き去りにして走り去っていく。それを見送りながら彼女は俺に名乗った。 「私、イトウミカといいます」 「あっ、俺はタカハシケントです」  フルネームを名乗り返した俺に、彼女は聞いてきた。 「ケントさんと呼んでもいいですか?」 「ケントくんが混乱しませんかね?」  思わずそう言い返したら、彼女は少し頬を赤らめた。 「いきなりずうずうしくてごめんなさい」 「あっ、そういうつもりじゃなかったんです。ケントさんでもケンちゃんでも好きに呼んでください。俺もミカさんって呼んでいいですか? 俺こそずうずうしいですか?」  そんな風に答えながらも、内心俺は少々混乱していた。  初対面なのに彼女がやたらフレンドリーな理由がわからなくて。  間違っても俺はイケメンと言われる部類ではない。毛深いし身長もないし短足胴長だ。顔もデカくてバランスが悪い。靴のサイズは29だ。
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