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三
彼女と2回目に会った日の翌日。
重い灰色の雲が朝から頭の上にのしかかり、小学校が土曜日で早く終わっても、帰る頃には冷たい雨が音を立てていた。
大人用のコウモリ傘を差した小さな僕は、天の機嫌に引きずられるように陰鬱な気分で家路につく。
「ただいま!」
そんな気分を吹き飛ばしたいがために、あえて元気に挨拶をすれば、丁度、父と祖母が居間でお茶を飲みながら、おやつに小鯵の味りん干しを摘まんでいるところだった。
「うん」
とだけ父は言い、
「おかえり。濡れちゃっただろ?」
と祖母が言う。
「びしょびしょになっちゃった」
と、くしゃみ混じりに僕が返すと、
「そこのタオルで拭いて、早く着替えな」
と、土間のハンガーに無造作にかけられた、大きなタオルを祖母が指さす。
僕が着替え終わる頃には、外の天気は一層悪くなり、雨がバタバタとガラスを叩くようになっていた。
「こういう日はオタキ様の話を思い出すねえ」
風と雨が強い日の祖母は、決まってこうだった。
オタキ様。
それは、この集落の裏手、鬱蒼と広がる山の森に住んでいると伝わる妖怪か幽霊か、ともかく人ではない者のことである。
僕の家の脇から家々の合間を通る、軽トラック1台しか通れないような、車には狭く、歩くには十分な幅の道を登っていった先に、その曰く付きの森は広がっていた。
祖母が子供の時分にはその道はまだ現役で、尾根を一つ挟んだ隣の集落との行き来に使われており、深夜にその道を使った人からは、木々の間に朧気に浮かぶ朱色の光と、その傍らで空を見て佇む女官や巫女のような白い影を見たと、脅かすように話されたことがあるそうだ。
そして、そう言った話は少なくとも江戸時代からあったらしい。大抵は見ただけの話で、特に何かされたということはないのだが、中にはいかにも村の言い伝え然としたものもあった。
200年前の或る日、空が洗朱とも薄紅とも言えぬ色に染まったことがあった。
村人たちは変わった夕焼けだとは思ったが、その夜、一人の女性が家々の戸をドンドンと叩いては、顔を出した村人に、夜が明ける前に件の森に逃げ込めと触れ回ったのだ。
これは只事ではないと、多くの村人は彼女の言うことに従って、松明を手に森へ入った。
果たして、翌朝。俄かに吹き荒れた大風と高潮が集落を破壊したが、多くの村人は森に避難して無事だった。
命を助けられた村人たちは、お礼を言うために彼女を探したが、しかし、村の誰一人として彼女のことを知らず、また、なぜ自分たちが準備よく火のついた松明を持っていたのかも分からなかったのだ。
そのうち、一人の村人から「あの女はオタキ様だったんじゃないか」という声が上がり、村人たちは名もない小さな石のお社を作って、オタキ様へ感謝を捧げたのだという。
気象レーダーもない時代のことだ。変わったことがあったら、ためらわず避難しなさいという教訓と、得体の知れないオタキ様への畏れが結びついたのだろうと、大人になった僕は思う。
オタキ様への感謝はあの日まで受け継がれていて、僕も祖母に連れられて、お社に何度か掃除に行ったことがあるのだが、本当に小さなものだった。かと言って、目立たないことはなく、山の中にあって、なぜかその周りにだけ早咲きの椿があった。
祖母がオタキ様を口に出した風雨の日は、波止場への立ち入りを禁止されることが容易に予想できたため、見えない夕焼けを見に行こうとすら思わなかった。
明けて日曜日。雨は小降りになり、空の鈍色も軽く見える。
このまま夕方までに雨が止み、波も低くなれば、お気に入りの係船柱で彼女を待つことも出来るだろうと、午前中の僕は思っていたのだが、その日の夕方も小雨が降っていた。
けれど、頭の中には彼女の横顔と「来れたらね」の言葉が浮かぶ。
もしかしたら、いるかも知れない。
そう思った僕は、大きなコウモリ傘を差し、波止場へ偵察に出かけた。
しかし、彼女はいない。
もしかしたら、来るかもしれない。
いつもの係船柱の傍で、灰黒の空と海を前にじっと立つ。
もしかしたら、すぐ近くまで来ているかも知れない。
そう思った途端、後ろから声がした。
「帰るぞ」
気付けば辺りは真っ暗になり、懐中電灯を持った父が僕を迎えに来ていた。
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