第2章 広沢すみれ

1/8
前へ
/37ページ
次へ

第2章 広沢すみれ

 午前中の授業がまったく頭に入らないまま昼になった。  廊下側の自分の席に座ったまま、教卓のそばで仲のいい女子と談笑しているすみれの様子を眺める。  細くて白い首筋が見えるショートボブに、黒目がちで大きな双眸。勉強もよくできて、明るい笑顔でみんなを魅了する学年のアイドル的な存在だ。  彼女に一目惚れしたのは、高校の入学式の日。  たまたま同じ電車に乗り合わせて、なんてかわいい子なんだろうかと思った。  入学早々に行われた模試では、「ヒロサワ スミレ」という名前の生徒が学年トップだった。その後の定期テストも軒並み好成績をマークする才女が一目惚れの彼女だと知った時からずっと、俺の中ですみれは最上級の憧れの存在だ。  家が同じ沿線なのを利用して、毎朝同じ電車に乗っている。  2年生になって、すみれとクラスメイトになれたことは、ラッキーを通り越して神様のお導きだとすら思っていた。もうこれは、付き合うしかない運命だよな!って。  1年の頃から頑張って元気なおちゃらけキャラを装って正解だった。  クラスメイトとなってからは、毎朝電車でもじもじすることなく、ごく普通に「おはよう」と挨拶を交わしている。最初から「すみれちゃん」と呼ぶのは、さすがにかなりの勇気を要したが、すみれは嫌がるそぶりもなく受け入れてくれた。  さらに、その流れで電車を降りてから高校まで、そして教室まで一緒に行く。  毎晩寝る前には、明日はどんな話題で盛り上げようかと考える準備も怠らない。 「あいつらって、付き合ってんの?」  なんて声もちらほら聞こえ始めているってのに……誰だよ! すみれちゃんを横取りするヤツはっ!  ここまで考えて、ようやくフランケンに大事な情報を聞き忘れたことに気付いた。  すみれちゃんの彼氏って、誰だったんだ?  ライバルが多すぎてわからない。  廊下側の席から妙な殺気を放ってしまったのかもしれない。  すみれがくるりとこちらを振り返ると、近づいてきた。 「朝比奈君、どうしたの? 怖い顔して」  鈴が鳴るような声で笑うすみれを見て、泣きそうになった。    すみれがスッと神妙な顔をする。 「ごめん、今朝ね、朝比奈君と電車で会えなかったし学校にも来てなかったでしょ。だから先生に聞いたら、犬が事故に遭ったって……それなのに不謹慎でごめんね」  なに言ってんだよ、すみれちゃん。嬉しいぜ、声かけてくれて!  他の男と付き合うなんて言わないでくれ。 「そうなんだ、犬が車に轢かれてさ」  すみれが大きな目をさらに大きく見開いて両手で口を覆う。きっと、凄惨な場面を想像してしまったのだろう。 「あ! でも大丈夫。かすり傷ひとつなかったんだ」 「なんだぁ、びっくりした。死んじゃったのかと思った」  すみれが安心したように肩の力を抜いて顔を綻ばせた。  いや、本当は1回死んでたけどな。  まあそれは、秘密にしておこう。  
/37ページ

最初のコメントを投稿しよう!

63人が本棚に入れています
本棚に追加