やっと目が合った。

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 「……蓮さん、握手してもらえませんか?」  そう言って差し出されたのは2つの手と真っ直ぐに目を見てくる強い視線だった。 今なら叩き落としていいよ、とクリスに助けを求めたが、キレるタイミングがおかしいあの変態は、まるで自制するように腕を組んで微笑んでいるだけだ。 「え…と…あの…」 「お願いします、蓮さんの生歌を聞いて色々と考えさせられました、この先の決意表明だと思って握手をお願いします」 「……でも…」 目が怖い。 2人同時に手を出されてもどうしていいかわからない。きっと真城なら両手で2人の手を取り「頑張ろうな」と明るく言えるのだろうが、3年程前に差し出されたクリスの手を握ったら大変な事になった記憶はまだ新しい。 しかし、結構もたついている割に手を引いてくれる気配は無い、仕方なくおどおどと手を出すと2人が同時に握ってブンブンと振った。 そこで例の変態がやっと口を挟んでくれたのはいいけど取り返すように腕を引くのはやめろ。 「……そういうのはやめて欲しいんだけど、すいません」 顔を見る事が出来なくて2人の胸に向かって謝った。細いし背は同じくらいなのに綺麗な筋肉の付いた胸だ。「いいですよ」と爽やかに笑ってる、正面にいるから目は見れないけど。 「タツトくんとエガシくん、ちょっと聞きたいんだけどたった数十秒の振り付けにユニットを組む勢いで準備に入った訳はわかってくれたかな?」 そんな必要は無いのに威圧するように胸を張ったクリスが追い討ち気味に腰に手を当てた。 立ち塞がるように立つクリスは非常に偉そうである。 「……クリス…」 「蓮は水を飲んで」 スタジオの隅に揃えた飲み物とかタオルの方に背中を押されたが、爽やかな笑顔の中に地味な敵意を忍ばせるクリスが何を言い出すかわかったものでは無い、少し下がったけど話は聞く。 恐らくクリスがちょっと変な人だって気付き始めたのだろう、「訳は……何となくわかりました」と(多分)タツトが苦笑いをした。 「言っておくけど今日は音源が流れていたから何とかなってたけどこの先はどうなるかわからない。全く違う曲になったり間奏に入れなかったりもするだろう、普通なら蓮だけで練習してからもっと安いバックダンサー見繕ってから合わす程度で済むような振り付けだけど、君達のようにレベルの高いダンサーを入れた理由はそこなんです」 「……そうですね」 「蓮が歌を見失わないように頑張ってほしい」 「見失う?……って?」 詳しくは2年前の野外フェスの動画を見ろと言ってクリスらしい含んだ笑顔でニッコリと笑った。 「ああ、知ってますよ、ライブの途中ボイコットでしょう?RENは気紛れだからって話題になってましたけど何かあったんですか?」 それは、とある変な人が舞台からよく見える特等席で鼻血を出して騒いだから。言えないけど。 「蓮は一旦気が逸れたら歌えない、だから余計なプレッシャーを少しでも感じさせたら大変な事になる、これだけの期間を設けたのは蓮をわかってもらう為って事です、タツトくんとエガシくんが蓮と初めて顔を合わせてから何日経ちましたか?」 「……そうですね、私達の不徳です」 すいませんと下げた頭が綺麗な胸を隠した。 クリスは「親しくなるのに時間をかけ過ぎだ」とタツトとエガシを責めた訳だが、そこに責任を求めるのはあまりに気の毒だと思う。 「違う…です、あの悪いのは俺で…」 「僕はタツトくんとエガシくんが悪いと思ったりはしてないよ、蓮の標準だからね、でもあんまり長くなった末にやっぱり合いませんでしたでは困るからね、今度は真城くんみたいな子を探して来ようと思うけど?」 「え?」 笑顔のままのクリスの口からサラッと出て来たのはよもやのダメ出しだった。 プロとしての自覚と覚悟が足りて無い現状のせいでダンサーさん2人に面倒を掛けただけで終わらせてしまう。 「出来るから、やるから、この2人とやりたいから……あの…テニス…打ち方を…」 「テニスじゃなくて振り付けをやりませんか?、テニスでもいいけど」 「振り付け……テニス……」 「両方やる?」 「うん、…はい」 今、手に取った絵の具の色を変えるような気軽さでクビになりかけたというのに、まるで気にする様子もなく「やろうか」と誘ってくれた。 一塊は好きにしろとばかりに奥に引っ込んでしまい音楽は軽快なラップに変わってる。 「…どうやらテニスかな」 「振っても当たんないんだけど…」 「だからラケットを見てみろって言ってるだろ」 「……ボールを見ろとも言ってた」 「それはさっき言えよ、目玉が溢れそうなくらいビックリしてただろ」 「ラケットを見ろって言ったすぐ後にボールを見ろって言われたらビックリもするよ…」 「まあタツトの説明が雑だったとは思う」 わははと軽快に笑った茶髪がエガシ。 「所要時間1秒」と呟いたのがマッシュなストレートヘヤのタツト。 そうなるように選ばれたと聞いていたが2人の背格好が似ているから区別がついていなかった。 「タツト…さん」 「タツトでいいよ、一塊と同じ、「タツト」に余計な音を混ぜてほしく無い、それはエガシも同じ、蓮は?蓮さんって呼ばれたい?」 「……蓮でいいです」 「じゃあ蓮、ボールとラケットを見る練習しようか、ってかお前信じられないくらい鈍いな、本当に振り付けが入るのか不安になったぞ」 「球技は…苦手で…」 それは本当なのだがさっきまではいきなりラケットを渡されてふわふわしたままだった。 気を遣ってゆるゆるに打ってくれるのもプレッシャーになるだけだ。 …強く打たれても出来ないけど。 「あんまりに下手だと迷惑だから打たなきゃと思うと慌てる」 それは自己弁護では無く正直な気持ちだったのだが「どっちにしても下手だろ」とタツトが笑った。 「1人で練習を…」 「そんな事すんならこんな狭い所でやる意味ないだろ、じゃあ俺達は踊りながらやるから蓮は打てそうなボールを空ぶったら?」 「空ぶる前提……」 ちょっとだけでもワンバンさせたボールを打つ練習をしたかったのに、突然ワンッと音楽が大きくなり照明が少し落ちた。わぁっ!!ッと歓声を上げたエガシが「的場さん最高!」と叫んで3人一緒に腹に響く音の中に巻き込まれて行った。
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