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狂乱と告白と
蓮のライブはフィニッシュが飛んだ野外フェス以来だった。老舗アーティストではあるまいにCDデビューをしてから3年も経ってるのにオリジナルライブが初めてなんてあるだろうか。
「真城となら」と言ってくれるお陰で何度か行ったカラオケで蓮の歌は散々聞いたけどやはりライブは違う。
「クラブで…とは思わなかったけどな…」
冗談混じりの提案が早々に実現するなんて世の中は意外に簡単なシステムで動いているらしい、一つ勉強になった。
会場は全国でも類を見ない有名などデカいクラブだ。華やかなようで地味なバンドマンの生活ではクラブに来る事は無いからクラブに来るのは初めてだった。
「デカい……」
バレーボールが出来そうなくらい高い天井、数えきれないくらいの固定ライトが生き物の目みたいにぐるぐると首を回し色とりどりの光を撒き散らしている。
主催側で持ち込んだのはステージと有人で動かすスポットライトだけって話だ。
壁は三角のギザギザ、チラホラと埋まっているベランダのような桟敷は所謂VIP席らしい、フロアで踊る運のいいパリピ達とは毛色が違って見えた。一際目立っているのは身を乗り出すように舞台の方を見ている栗栖だ。
「入場を許されたんだ、蓮も懲りないな」
唯一、ここはコンサート会場なのだと主張するのは無骨と言えるくらい簡素なステージだ。高さは2メートルくらいだろうか、そこから階段が伸びてフロアの真ん中は2メートル幅くらいの道を鉄製の強固な柵が囲っている。詰めれば1200は入るらしいが900に抑えたのはこれが原因だろう。
「それにしても……落ちないか心配になるステージの狭さだな」
柵とステージを除けばRENを冠するような装飾はしていない。
ステージがよく見える柵の前を陣取ろうとする輩は今の所はいなかった。
しかし、もうすぐ始まる。
これはライブのスタッフから立ち上る緊迫感だろうか。
まるで自分が出るような緊張が増してきた。
どうせ蓮は挨拶したりはしないから恐らく始まりは突然だろう。会場の設営を考えるとコスパはいいよな、狭いDJブースに収まっている黒江たちは蓮を待ってもうスタンバイしているように見えた。どうやってかドラムもちゃんと入っている。
「あ、音楽が変わった」
歌の無いCD音源に生きた手が混ざってきたのが来たのがわかった。
ドキドキと跳ねる心臓が期待と昂まりを伝えてくる。
バラバラに揺れていた幸運な観客の目が舞台に注がれて行く。時間はきっかり19時半。
予想した通り突然だった。前触れも無く突然バンッと強烈なスポットライトがブースを照らした途端聞こえてきたのは蓮の声だ。
切れない大音響を上回る歓声がドウッと湧いた。
「…うお…蓮の奴…いきなりの雄叫びから入るのかよ」
誰もが蓮は何処なのかを探した。
声の方が先という奇抜さは恐らく演出でも何でも無いのだろうが効果はあった。ヌウッと蓮がステージに出て来るとその途端、会場全体が渦を巻くように揺れ、驚く程たくさんの腕が煌めくライトを遮った。
無秩序に聞こえる声量目一杯のスキャットに会場全体があっという間に同調した。
恐れを抱いてしまう程、急激に釣り上げられたボルテージに震えが来る。
勿論だが一緒に声を上げてる。
冷静に傍観しようとしても巻き込まれるのだ。
「何だよ…その嬉しそうな顔は」
コンサートは開いてないが様々な場数を踏んで成長しているとわかっていたが、まさかあの蓮が笑いながら登場するとは思いもよらなかった。
最初から飛ばしている、いや、飛んでいると言った方がいい。肺活量をフルに使った旋律の無い声はちゃんとEDMの様式にあわせていた。
マイクを通しているとはいえ観客の響めきは目一杯なのに1人の声に押し戻される感覚に圧倒された。
「くそう……この天才め……」
もしもあんな事をやれと言われれば楽譜か音源をくださいと言う。綿密なリハーサルを希望する、やったらやったで出来るかって喚く、そして何なら辞退する。
蓮と黒江達はセットリストの確認をしただけで軽い音合わせもしていない事を知っていた。
クラブでは音楽が主役では無いというのが理由らしい。
みんな踊っている、跳ねている。
そのうちに、ドンドンドンと続く単調なビートの中に知っている曲が混ざってきた。
いきなりRENの最大ヒット曲、エデンの第三弾タイアップ曲だ。まだ上があるのかと驚くような歓声がドワッと会場を包んだ。
「これ……震度計が反応するやつだ…」
曲に合わせて飛ぶからどうしても観客のジャンプが揃ってしまう。どうしようもなく巻き込まれて飛んでいるけど建物が揺れているのがわかるのだ。
会場がもつのかと心配になって来たが対応はしているらしい、クルクルと首を回していたライトが止まって点滅だけになった。
よく見ると天井も壁も目立たない色のバックネットのような網が天井や壁のライトを覆っている。
クラブなのでドリンクは付いているが会場には持ち込めないようになっていたのはこうゆう訳だ。
どこかにちょっと置いたら揺れて落ちる事が予想されたのだろう。
「プロの興行師は…やはり必要だな、それにしても……RENは凄い」
マルチな黒江も本当に凄い。
エデンの第3段タイアップ曲は「70年先までプロジェクト」の先駆けなのだ、RENの曲にしてはかなりポップで大衆的だった、なのに今はセンス抜群のEDM仕様に変わった曲調に蓮の神がかった自由なボーカルが生き生きと跳ねてる。
始まってすぐの爆発的な盛り上がりはごった返す心配しか無かったが蓮を中心とした不思議な規律があった。
原曲の名残は腹に響く派手なドラミングの中にあるギターの旋律だけなのに楽曲の根底がちゃんとあるのだ、どんだけの才能だよ。
曲に切れ目が無い。
すでに2曲目に入っているのに余りにも自然に繋がっているからひと息つく暇も無い。
観客を休ませる気はないみたいだ。
自分の中に会場全体を取り込んで全てを喰らい尽くしている。
これが蓮だ。
何度も何度も打ちのめされたけどやはり蓮は凄いと思い知らされる。
思ったように、感じたままに音を操る事が出来る蓮は競い様も無いくらいの遠くにいる化け物なのだ。
凄いけど。聞き惚れるけど。楽しいけど。羨ましくて、悔しくて腹の中が煮え返る思いだった。自分達だってこの3年間遊んでた訳では無い。RENを取り巻く環境のように直接運ぶ足は無いが、あらゆるFMにオリジナルの楽曲を送り付けた。オーディションだって受けまくり、目に付く公募には全て応募した。
郵便代だけで干上がった程だ。
実はその甲斐あってアニメのエンディング曲に選ばれた事もあった。
しかし、クライアントの思惑はRENを引っ張り出せるかもと、不埒な期待をしていたらしい。
そのせいで数々の侮辱も受けた。煮えくり返る思いをさせられたが、我慢して、我慢して、何とか正式な契約にこじ付けた。しかし、肝心のアニメは視聴者がとっくに飽きてる勇者とか魔王が出て来る貧相なボキャブラリーしかない駄作だった。当然のように売れる兆しも無く、そのまま消えてしまったがそれが何だ。
「俺だって頑張ってる!!」
渾身の叫びなのに会場の音に掻き消されて自分にすら聞こえない。
蓮の歌声には束縛の魔薬でも仕込んでいるのか?
どんなに盛り上がっているライブ会場でもここまでの一体感は見た事が無い。
踊りをやめられない。
降ろしたくても腕を下ろせない。
隣とぶつかっても手が当たっても誰も彼も蓮に集中するあまり気付いてもいない。
揉まれても、引き倒されそうになってもひたすらRENに同調して跳ねている。
「……ちょっと待て……蓮がもう笑ってない…」
益々自由になって行くボーカルは既に芸術的とも言えるレベルだが、どうしても学祭の惨事は忘れがたい。つい桟敷にいた栗栖の姿を探してしまった。
「……って…あいつあんなに目立つ場所で乗り出してるよ」
カメラを構えて…り
クリスの身長が平均以上だからか、桟敷の手摺が低く見えて馬鹿みたいに手を降りながらはしゃぐ姿を見ていると今度こそ本当に転げ落ちてしまいそうだ。
今度やったらRENのライブを止める達人として本格的な出入り禁止になるだろう。
「バカめ」
この際だからバチが当たってしまえと思ったりするが気にするのはやめた。
これは蓮のライブだ。壊すなら何があったとしても蓮が悪い。
このライブは新曲の発売日に合わせて放送される歌番組で正式な披露をした後に配信される予定だと聞いている。
斬新なアレンジに誰もが驚くだろう、できなかった事を誰もが悔しがるだろう。
「あれ?…」
このまま最後まで突っ走る気かと、自分と蓮の体力が心配になり始めた頃だった。
相変わらずクラブ特有の四つ打ちがドンドンドンと続く中、全く知らないイントロが妙にはっきりとした旋律を持って始まった。
「……あ……これ新曲か……」
「例の」悶着があった新曲だ。高まる期待に首を伸ばしたのに、突然ピタリと全ての音が消えた。
止まれと言われた訳では無いのに、音を立ててはいけないないような気がしたのだと思う。ある者は手を上げたまま、ある者は指笛を吹こうとしたまま、会場の時間が止まってしまったのかのようだった。
するとまた突然だ。唐突に始まった全力の演奏が頭を抑えるような迫力で襲い掛かり、体の芯に震えが起こった。
「もう……何回鳥肌を立てさせたら気がすむんだよ」
再びドウと湧いた会場は理性を失っている。
「耳付きが良く素人でも歌いやすい曲」を目指して作ったらしい新曲は多分元の楽曲の形を成してないが、みんな新曲を知らないから気にしてない。
「あ、…降りて来る…」
間奏にダンスが入るって話だったのに歌いながら蓮が階段を降りて来た。
正面から見てもよくわからないが恐らく一段の幅は狭く急な階段の筈だ。
奇跡のようなライブに集中したいのに……身内じゃ無いのにトラブルを心配してしまうのはもう仕方がない。歌うとトランス状態に陥りがちな蓮だ。下も見ずに降りてくるからハラハラして駆け寄りたい気持ちになった。
しかし、何事も起こらず階段を降りた蓮の周りに柵を超えて侵入した何人かが……ザッと数えて10人くらいだろうか、花道に入って行く。
「あれ?…江頭と真山もいるけど……」
蓮が進む先を遮ったように見えてドキンと心臓が跳ねた。柵はそれなりに頑丈らしいが据置には違いない、越えようと思えば簡単な高さしかない。
しかも誰も守ったりはしていないのだ。
「下手したら学祭の二の舞に……あれ?」
全員が揃いの服を着ている。
つまり演出なのだろう、レベルは高いけどバラバラな踊りを始めた。
そしていよいよ間奏だ、背中を向けて水を飲んでいた蓮がペットボトルを投げ捨てた。
その途端ダンサー達がまるで隊列を組むようにサッと動いてズンズンと花道を進んでくる蓮の後ろに順番についていく。
「始まった」
再びの再び、地鳴りのような歓声が渦を巻いた。
手足を振る音が聞こえるようなキレとシンクロでREN初のダンスが披露される。
「凄…い」
異様な昂まりに肺を押されて吐きそうになった。
胸がいっぱいになるとはこの事だ。
思っていたよりずっとカッコいい。
思っていたより馴染んでいる。
「これは……」
RENの楽曲に振り付けを入れるなんてクオリティを落とすだけだと思っていた。
理由を聞いた今でも違和感がある。
しかし狙いは的を得ている、これなら誰だって真似をする。誰だって踊ってみたくなる。
江頭と真山は一回のフリ移しで踊れるレベルと言っていたが、とてもじゃないが素人に踊れるようなレベルには見えない。しかし、プロが計算しているのだ、多少の練習は必要だろうがやってみればきっとモノになるのだろう。
「10秒……」
もっと、もっと見ていたいのに、蓮のパートはあっという間に終わってしまい本当に短い。
しかし、階段を登って行く蓮の後ろではまだダンサー達の踊りが続き、誰の心にも衝撃と感激と強烈な驚きを残しただろう。
ありきたりだが凄いとしか言えない。
馬鹿みたいに感激して知らぬ間に泣いていた。
学祭の時とはレベルが違うけど、これは「伝説のライブ」第二段と言える。
何種かのSNSで「#ハズれた」がトレンドに上がるほどの競争率だったチケットは予想されて警戒していた高額転売が殆ど無かったと聞いた。
「そりゃそうだろ、せっかく当たったプラチナチケットを売った奴はこれを見なかった事を一生後悔するだろう」
実現は薄いが、もし再演があったとしても同じライブは絶対に見ることはできない。
天才の本領を発揮する蓮はテレビの番組なんかでは見る事が出来ないのだ。
ただの観客である事は悔しいが誇らしい。
思い余って精一杯の声で「蓮!!」と叫んだ。
馬鹿みたいに「蓮」と呼び続けた。
会場の空気はダンサブルなクラブとコンサートの合間だ。
みんな、みんな、手足の力は抜けいるのに狂ったように体を揺らしながら、全力で蓮の歌を吸収している。
「蓮」と叫ぶ事をやめられない。
何回蓮の名前を呼んだかもうわからない。
するとまるで声を聞き届けたように突然全ての音楽が止んだ。
「また鳥肌演出?」
一度学んだ会場全体が次に来る筈のコンテンツに身構えていた。
しかし、聞こえて来たのはガタガタとマイクが拾った雑音だ。
「え?え?……まさか…蓮がMC?……」
ちょっと……いや、物凄く驚いたがその「まさか」らしい。蓮が。あの蓮がマイクを口に当ててオドオドしながら突っ立ち、客席を見下ろした。
蓮の実態は殆ど見えない、聞こえても来ない、ゴクリと息を呑んだのは多分観客全員だったと思う。
「……ぁ…の…………」
やはり……
声をあげたいのにあげられない観客が返事するタイミングを空ぶって、空ぶって、つんのめりそうになった。
「吉本新喜劇かよ……」
予想通りだが、弱々しくそれだけ言った蓮はそのまま黙ってしまう。
次の言葉を待つ会場は水を打ったように静まり返り誰もが息を潜めていた。
しかし、そんな中から誰かが小さな声で「がんばれ」と言った。
同調するような檄があちこちから飛んだが大きな渦にはならない。
蓮の邪魔をしないように気をつけているのだ。
もう一度「…あの…」と蓮が囁くともう誰も声を出さない。
……俺を…憤死させる気か……
焦れるあまりに死にそうだ。
ハラハラし過ぎて腹が捩じ切れる。
もうこの際だから舞台に上がりたい。
せめて足元まで行って「やりかけたのだからとにかく続きを喋れ、出来なくてもせめて「ありがとう」のひと言くらい言えと叫びたい。
待つしか出来ないのだから待つが限界は間近だ。
だから、マイクを通しているというのに耳の横に手を当てたくなるような囁き声が聞こえた時には心底ホッとした。
「今日は何かを食べましたか?」
そんな蓮の問いにガクッと膝を落としそうになったけど。
「たこ焼き」
「パスタ」
「ラーメン」
数々の返答が会場から飛んで和やかな笑い声が会場を包んだ。継いでの蓮は「誰かと食べましたか?」だ。
そこは「誰と」だろ。1人で食べる前提か?
ボッチを基準にするなと言いたいが、そんな事は身内しか知らない、「友達と」「彼女と」勿論「1人」という声も上がった。
しかし、どうやら蓮のMCは観客への問いかけでは無いらしいとみんなが気付いた。
「特別な食べ物はある?」との問いに声を出す者はいないがみんな習った様に頷いた。
「好きな色は何色?」
「見ていたい風景はある?」
「好きな人はいる?」
「隣りで眠る誰かに安心を覚えた事は?」
「好きな人の心を満たす言葉を…知っていたら…誰か教えて…」
メロディが付いている。
辿々しい言葉から始まった数々の問いかけはやがて即興のバラードになっていく。
多分だけど蓮には歌っている自覚など無いのだと思う。
いつもふうっと湧き出る鼻歌のように。
風や空気の匂いに浸りきり、まるで樹々の声に合わせてハモるように。
心をそのまま言葉にした美しいバラードだ。
すると、静かに、とても静かに、黒江のベースが蓮の歌声に寄り添ってきた。
即興なのは間違いが即興とは思えない。
蓮の曲がどうやって出来るのか、これは奇跡の生配信なのに誰もその貴重性に気が付いていない。
気が付かなくていいよな。
美しい蓮の声を聞き逃す方が勿体無い。
これまた静かに入って来たドラムもさすがだ。
少しずつ、少しずつ盛り上がり、時には演奏がリードしたり、時には「そっちじゃ無い」と蓮が軌道を修正したり。
どんどんと完成に近づいて行く。
「2人並んで星を見上げて凍った息の白を追いかけたい」
「甘くなくていい、寄り添った肩は押すでもなく押されるでもなく支え合えばいい」
うん。
蓮から溢れる歌詞はちょっとダサい。
しかもこれは告白と言っていいくらい唯1人に話しかけている。
例のあの人がいるVIP席の桟敷を見上げたい衝動に駆られたが……見てはいけないような気がしてやめた。
「それにしても…何で……何も考えてないくせに起承転結が出来るんだよ…」
J-POPはAメロ、サビ、Bメロ、サビの定義を崩したらヒットしないと言われている。
そんな固定概念は崩してしまいたいが、残念な事に実際にそうなのだ。
しかし蓮は無視だ。
もしかしたら黒江が手を入れてちゃんとした楽曲として発表するならJ-POPの定義を当てはめるのかもしれない、だからこそ今、蓮のオリジナルは貴重だった。
そのままどんどん派手になり戻ってきた四つ打ちに再び再び湧いた。
どのくらいのセンスやスキルがあればそんな事が出来るのか想像も付かないが、即興局から切れ目無しにラインナップ曲に戻り、一気に怒涛のフィニッシュへと走っていった。
等間隔に並んでいたジャンプ禁止という札はいつの間にか引き倒されてもう見えない。
知ってるのに知らない曲では声を合わせて歌う事も出来ない。
それぞれがそれぞれで楽しんで、乗って、跳ねて、踊ってバラバラなのにRENを中心に渦を巻くような一体感に酔う程に巻き込まれて行った。
とても、とても印象深く、感激と、悔しさと、猛烈な嫉妬を感じた蓮のライブは多分一生忘れなれない。
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