私の目に浮かび上がったすべての星

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「次のニュースです。50代の男性が、自宅で80代の母親を絞殺する事件がありました。母親は寝たきりの状態で認知症を患っていたため、男性が自宅で介護を続けていたとの事です。二人に他の親族はおらず、生活苦と介護疲れから犯行に及んだものと見られ……」  私は胸が苦しくなって、テレビを消した。一人、ゴールデンウィーク初日のリビングを出て自室に入ると、デスクの前で腰をかけてPCの電源を入れる。時刻は午前十時を回ったところだ。  私が高校に入って毎日ニュース番組ばかり見るようになったのは、小説のネタになるかもと思ったからだ。幼い頃から読書が好きだった私は国語が得意で、自然と文章力が身につき、小学校の遠足の感想文や読書感想文、演劇の感想文等を書けばいつも先生に褒められた。18歳未満の全国規模の小説コンクールの存在を知ったのは、中学二年の時。ちょうど、キズナが最後の長期入院をした頃、四年前のゴールデンウィーク明けだった。  一度書いてみよう。そう思ってまずは短編から書き始めて、web小説サイトに投稿するようになった。中学生だという事を隠して発表を続けてみると、反応は上々だった。そして中学三年の冬、満を持して書き上げた渾身の中編が、なんとコンクールの最終選考に残り、奨励賞をもらったのだ。ミライは小説に興味が無かったけど、父さん以上に私の創作活動を応援してくれた。自信をつけた私は、毎年そのコンクールに応募して、大賞を獲る事を目標に掲げ執筆に没頭した。しかし、二年連続で大賞どころか最終選考に残る事すらできず、ついに高校三年になってしまった。コンクールに応募できる最後の年だ。結果を出せないままこの二年間で学業は疎かになり、進級もギリギリで、父さんからはダイヒンシュクを買っていた。  ピリリリリリリ。  立ち上がったPCの前でうつ伏せになっていた私のスマホが、キーボードの隣で音を立てた。ミライからだ。 「もしもし」 「あ、ツムギ? ごめんね、昨日電話出られへんくて」 「いいよ、こっちこそしょっちゅう電話してごめん」  ミライの声を聞いて、ホッとする。 「それで、どうしたん? また小説のこと?」 「うん、そうやねん。ネタ集めに朝のニュース見ててんけど、ちょっと落ち込む内容やってさ。なんか、アイデアも浮かべへんし、もう小説書くの辞めよかなって」  デスクチェアにもたれながら、情けない弱音を吐く。 「なんでよいきなり。今のコンクールが無理やっても、大学入ってからも続けたらいいやん。ミライ、小説のこと詳しくないけど、ツムギが書く本めっちゃ読み易いし、心にすっと入ってくるし、凄いと思うよ」 「うん……そう言ってくれるのは嬉しいねんけど」  キズナは頭脳明晰で、ピアノが得意だった。小学生の時点で、有名な関東の音大に行くと言っていた。ミライは昔から運動神経抜群で、中三の時に県大会で準優勝、推薦を受けて県外のスポーツ校へ進学して寮生活をしている。私はと言うと、成績は悪くない方だったけど運動音痴、小説を書くようになってからは、執筆が自分のアイデンティティだと信じ込んでいた。キズナやミライみたいに、何か明るい将来を思い描きたかったんだ。それが今ではまともに作品を書けず、今の成績では、希望している大学への進学も望み薄だなんて。 「奨励賞もらった作品のこと、まだ気にしてんの?」 「それも、あるかな」  そう。最初にもらったあの賞のおかげで、私は舞い上がり、思い上がってしまったんだ。それは、人の死を題材にした作品だった。しかもそのモデルは、中一の時に亡くなった、私の母さん。高校生達に紛れて当時中三の私が最終選考に残れたのは、文章力や表現力を評価されたんじゃなく、きっとそのリアリティのおかげだろう。私は処女作で死んだ母さんをネタにして、賞を獲ったんだ。その後の作品が箸にも棒にもかからなかったことで、私は自分を責めるようになっていた。 「前も似たようなこと言ったけど、そういう自分の実体験とか想いとかを、文字にして人を感動させられるって、誰にでもできることじゃないし、作品創ることって、むしろそういうのが大切なんじゃないんかな」  ミライはいつものように一生懸命私を励ましてくれた。 「うん、そうやねんけどね。でも、完全なフィクションで評価されへんかったら、小説家にはなられへんと思うねん。自分の体験談やメッセージなんか、いつか底つくし」 「だから、続けてたらいいやん。今はそうでも、長い目で見たら、書けるようになるかもしれへんねんから」 「でも、勉強もしやな大学行かれへんし。人が死んだニュース見るたびに、その人の事考え過ぎたり、母さんの事とか、あの時のキズナへの気持ちとか、それを作品にした事思い出してしまうねん」  いつからか私は、しなくてもいい感情移入をするようになってしまった。ううん、ずっと昔からそうだったのかもしれない。そのことを、きっと自分自身で肯定したかったんだ。 「ツムギ、優しいもんね。でも辛いから、書くの辞めるってこと?」 「うん……。普通に大学行って、普通に就職するのが正しいんかなって。小説が自分の仕事! って決めて、夢追いかけて、人と違うことしたい、自分の可能性信じたい、そう思ってたけど……もう、それが嫌になってきてん」 「……嫌になったから逃げるんや。あんなに頑張ってきたのに」  突然、ミライの声色が変わる。 「え?」 「ツムギはいいね。嫌なことから逃げれて」  逃げる? 私は、逃げようとしている? 「違う、違うよミライ。現実を見てるだけ。現実に、立ち向かおうとしてるだけやねんで」 「現実からは、逃げられへんよ」 「そうやで。だから、私は理想を諦めた。……うん。理想から逃げてるって、言われてもしかたないね」  ミライはきっと、私に発破を掛けようとしてくれているんだ。だから、きっとこんなことを言うんだ。わかっていたから、私に怒りは湧かなかった。 「……ううん。ごめん、変なこと言って。ツムギは逃げてへんよね。ミライは書くの辞めるのが残念やけど、ツムギの言ってることは正しいと思う」  ミライは、少し元気なさげに言った。 「謝らんといてミライ。感謝してんねんよ、いつも話聞いてくれて、応援してくれて。ありがとう」 「当たり前やん。ミライはいつもツムギの味方やから。これからもずっと」 「それは、私も一緒やで。……話変わるけど、今年のゴールデンウィークもやっぱり部活忙しい? キズナに会いに行こうと思ってるんやけど、ミライも来てくれたら喜ぶと思うよ」  私は四年前の最後に三人で見た星空と、天戸川を思い出しながら言った。 「いや、実は今部活休んでるねん。ちょっと、練習で怪我したから」 「そうなん? 大丈夫?」 「うん、大丈夫。でも、安静にしとかなあかんから、地元には帰られへんと思う」 「そっか……残念やね。また、そのうち一緒に行こう。お大事にしてね」 「ありがとう。じゃあ、また連絡するね。キズナによろしく」 「わかった。長いこと話聞かせてごめん。じゃあ……」  私はそう言って電話を切ると、PCの電源を落として立ち上がり、窓に向かった。雲一つない、晴天だ。  これでいい。きっとこれでいいんだ。そうだよね、母さん。キズナ。  自分自身にそう言い聞かせながら、私は揺れるカーテンから流れ込むどこか懐かしい初夏の匂いを、胸いっぱいに吸い込んだ。
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