私の目に浮かび上がったすべての星

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"重度身体障がい者の40代男性、市の職員が男性の自宅で遺体を発見。検死で胃の中にみかんの皮見つかる。冷蔵庫の中身は空、死因は餓死か"  二日後。私はキズナのために買った花を手にバスに揺られながら、そんなネットニュースの見出しを目にした。また、心の奥深くがジワジワと重くなっていくのがわかる。  この世には、私の想像もつかない苦しみの中で死んでいく人がいる。生きたくても、生きられなくて。なのに私は、小説のコンクールで二年連続最終選考に残れなかった後、ひどく落ち込み、これで食べていけないなら自分はどうやって未来を生きていけばいいんだろうと傲慢にも自分に絶望した。  死にたい。消えて無くなりたい。  今思えば、とても身勝手で、浅はかだったけど、そう感じたんだ。才能あふれるキズナとミライを真近で見ていたからこそ、自分も輝きたいと、誰とも違う自分になりたいと、自分自身を追い詰めていた。だけど、そんな時いつも思い浮かぶのは母さんだった。母さんは生きたくても生きられなかった。なのに、娘の私が自ら命を断つなんて、そんなことあってはいけないと、踏みとどまったんだ。 (……嫌になったから逃げるんや。あんなに頑張ってたのに)  ミライの言葉が蘇る。そうだ。ミライの言う通りだ。私は逃げた。生きるために。私は弱虫だ。これというものを心に決めておいて、投げ出した。……本当に、これでよかったんだろうか。  自宅のバス停からたったひとつ次のバス停で、料金を支払って降りる。  バスが走り去るのを見送ると、あの頃のキズナと同じくらいの長さになった黒髪を夏風になびかせながら、山道の階段に目をやる。両脇には新緑が生い茂っていて、木漏れ日が麦わら帽子を被った私の顔を、優しく、柔らかく照らした。  階段を登り終えて木々のトンネルをくぐり抜けると、下り道を少し歩いた。やがて、眼前には開けた土地が広がり、真っ白なログハウスが見えてくる。天戸川のせせらぎと、小鳥のさえずりが、ようこそ、と私を歓迎してくれた。  家の裏手に回り、年中吊るされた風鈴を尻目に勝手口へたどり着く。すぐ隣りの開け放たれた窓を、ひょいと覗き込む。カーテンは閉じていない。そこに、キズナはいた。 「やっほー」  私は、花束を腕代わりに振った。 「……ツムギ。遅かったやん、待ってたよ」古い西洋の調度品みたいな装飾の大きなベッド。そこに横たわっていたキズナが、上体を起こしながら続けた。「あ、メランポジウム」 「うん。これ買いに花屋さん寄ってたから遅れちゃった。……はい」  私は勝手口から中に入ると、「元気」や「健康」が花言葉のそれをキズナに手渡した。 「良い香り。ありがとう」  キズナは、雪のように白い肌よりもっと白いその歯を見せながら軽く笑った。 「どう? その後具合は」  ベッドの側の高級そうな金属製のオシャレな椅子に腰掛けながら、私は聞いた。窓のカーテンが午後の陽気を浴びながら、泳ぐように揺れる。 「うん。順調やで。最近は短期入院も卒業して、自宅療養が続いてる」 「そう。良かった。四年前、翌年の冬まで入院してた時は、ずーっと気が気じゃなかったで」  私は足先をブラブラさせながら、口を尖らせて言った。 「ごめんごめん。大きい手術何回もしたからね。心配させたくなくて。……でも、おかげさまで今はこの通り」 キズナは華奢な両腕で、ありもしない力こぶを作って見せた。 「学校は?」 「うん、通信制から普通高に編入する手続きの準備してるよ。母さんはこのままでいいやんって言ってたけど、ちゃんとしたJKライフも味わってみたいし」キズナはウインクをしてから続けた。「それにしてもツムギ、また胸大きくなった? 羨ましいわ〜」 「何言うてんの。太ってるだけやで。胸なんか要らんから、私もキズナみたいに細くなりたいわ」 「全然太ってないやんか。それ、嫌味?」 「もう、どっちが!」  私達は、そう言い合って声高に笑った。……嬉しい。キズナが元気になってくれて。 「……小説、書くの辞めてんてな」  キズナが、少しだけ真剣な眼差しを私に向けた。 「ミライに聞いたん?」 「うん。昨日ツムギから一人で来るって連絡あった後に、電話してん」 「そっか。……うん。もう、限界かなって」  私は少しバツが悪くて、俯きながら応えた。 「もったいないけどね。ツムギがそう決めたなら、それでいいんちゃうかな」  キズナは相変わらずだ。多くは語らないけど気にかけてくれて、そして、いつも私を肯定してくれる。きっとミライも、キズナのこういうところが好きなんだ。 「ねぇ、覚えてる? キズナと初めて会った日のこと」 「覚えてるよ。私だけクラスが違うかったから、ツムギとミライはもう友達で、二人してこの辺に遊びに来てたんやんね」 「そう。一年生のゴールデンウィーク、ミライと一緒に天戸川の川原を下流から歩いてきて、この真っ白なログハウスを見つけてん」逞しくドンドン歩いていくミライに、私は必死について行ったのを思い出す。「じゃあ、そこからピアノの音が聞こえてきてさ」 「うん。弾いてたら、二人が窓から覗き込んできてビックリした」 「ミライ、キズナのピアノえらく気に入ったみたいでね。次の日も行こ、って」  まさかそれから、キズナと仲良くなって、一生の友達だと言える三人組になるとは思っていなかった。 「ミライ。弾きたかったんかな、ピアノ」 キズナが呟く。 「そう、かもね」 「弾いてみる? って、言ってあげたらよかったね。あの時私、まだ子供過ぎてそこまで気付かれへんかった」  物憂げな表情で、キズナが宙空を見つめる。 「ミライはあれで、遠慮しいなとこあるからね」 「そうやね。優しいよミライは。ツムギと同じくらい。いや、もしかしたら……」 「……もしかしたら?」 「ううん。なんでもない。……ご飯、食べていくやろ? ママ、ツムギ来るって話したら張り切って買い物出かけたから」 「うん、ありがとう。キズナママの煮込みハンバーグ目的で来たまである」  私はいたずらっぽく笑った。 「ママ喜ぶわ。……ミライも来れたらよかったのにね。食べた後、天戸川の川原で花火したかった」 「うん。なかなか三人揃わんけど、また機会はあるよ」 「そうやね。ツムギが、私とミライを繋いでくれてるもんね」  年が経つにつれ、疎遠になる友達も多い。入退院を繰り返し、自宅療養を続けてきたキズナは、特にそうだろう。 「キズナのおかげやから。キズナがいてくれたから、ミライも、私も、ここまで仲良くしてこれた。お互い離れてた時もあったけど、キズナに会いに行こう、キズナのピアノ聞きに行こうって、三人で会う名目があったから。キズナが、私のことも、ミライのことも大切にしてくれたからやで」  私がそう言うと、キズナは黙った。私は、じっと次の言葉を待った。その沈黙は、思った以上に長かった。  何分経ったか、ようやくキズナは口を開いた。 「私な、結婚して、子供ほしい。ツムギは?」 「……意外。キズナがそんなこと言うの。私は、まだわからんかな」 「ミライは、どうなんやろうね。高一の時に、初めて彼氏できたって言ってたけど」 キズナは、少しだけ悲しそうな顔をした。 「私も、話は聞くけどね。ミライがこれからのこと、どう考えてるかまでは……」 「……うん。そうやんね。これから、どうなっていくかなんて、人のことも、自分のこともわからんし」  キズナのその言葉は、私に向けられている言葉のようにも思えた。未来のことは誰にもわからない。でも、願わくば。願わくば、キズナとミライと三人で、ずっとこれからもこの掛け替えのない関係を続けていきたい。私は、強くそう思った。  その後、キズナのママの手料理をご馳走になり、川原で星を見て、天戸川を眺めて、しばらくゆっくりした後、キズナのパパに車でおうちまで送ってもらった。  私達は、ゆっくりとしかし確実に、大人への階段を昇っている。何が正しくて、何が大切で、どうするべきで、何をしないべきで、そして、不確かな未来のために何を犠牲にするべきかを、揺れ惑いながらも、ぼんやりと頭の中に浮かべていた。  ミライが寮の階段で首を吊って亡くなった、との報せが届いたのはその二日後、ゴールデンウィーク最終日の夜だった。
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