0人が本棚に入れています
本棚に追加
階段を登って三〇七号室に着く。ノック。
「こんにちは~廻谷です~。」
返事は返ってこなかった。しかし中からゴソゴソと音はする。住人は在宅のようだ。
梨心はドアノブを捻る。鍵は開いていた。ゆっくり部屋に踏み入る。
「……お邪魔します……?」
そこで待ち構えていた光景は、
「ごめん梨心あと十秒待っててくれ!」
「え。」
———ロアは半裸で座禅している沖田に苦心して服を着させていた。
……え、何。何、なに、なに?
「どういう状況……って沖田さん!?見えてる!見えてるから!」
「あと八秒!廊下で待って!」
「う、うん!」
訳も分からず部屋を飛び出す。
何なんだあの状況。カオスだった。上半身裸の沖田さんにロアちゃんが頑張って服着せてた。文字に起こすと尚意味が分からない。
とりあえず廊下で八を入念に三つ数えてから、恐る恐るドア前に立つ。
「梨心もう入って来て良いよ。」
室内からロアちゃんの声がした。今度は慎重に慎重を重ねてドアを開ける。
「いやはや、驚かせてしまったね。」
自身のベッドに腰掛けるロアに促されて、梨心も室内の椅子に座った。沖田は一連の騒動の渦中にいたというのに無表情な瞑目を崩さない。ロアが服を着せるのを諦めたのか、大きなシーツを肩から巻いていた。仙人みたいな服装になっている。
「まさか沖田さんに露出癖があったなんて。」
「いや彼女は露出狂ではないんだけどね……最近知ったんだが、もゆるは夏場に座禅するときは上を脱いじゃうんだ。梨心からのLINE見て急いで着せようとしたんだけどな。」
ロアはくたびれた様子で言う。
「その方が集中できるからって言ってたけど……同室の私はどうしたら良いのかな?」
「何か急に押しかけてごめん……とりあえず、部屋に鍵は掛けた方が良いのかな。」
「そうだね……それで梨心、私に話があるんだろう?」
「あっそうだった。」
変な現場に居合わせてしまって本題を忘れていた。梨心は本来の目的を切り出す。
「ロアちゃん、オルテンシアでさ、私たちの前に出たユニットの名前覚えてる?」
「確か、『ハルトマンズ』だよね。他校のアイドルだった。」
「そう。そういうのを私たちもやろうかと思って。」
「そういうのってどういうの?」
「ユニット名を!」
ずびし、と決めポーズをとる。
「……おぉ!」
ロアちゃんも興味を持ってくれたようだ。彼女は面白そうだと感じると目を輝かせてくれるから分かりやすい。
「私たち、呼ばれたとき二人の本名だったじゃない。でも制度上はユニット名を登録することができるはずだよ。それを二人で決めようと思って。」
「I’m for it!」
とはいえ、提案した梨心の方には何のアイデアも無かった。二人で考えようと思ったのだ。
「どういうのにしようか。方向性とか決めないと具体的なのに行けないよね。」
「う~ん、私と梨心の共通点とかから攻めるとか……梨心は何が好き?」
「アイドル。」
「私もだよ。」
そりゃそうだよね的な答え。
「アイドルの次に好きなのはお風呂かなぁ。」
「私は何だろう、好きなものを順位付けしないから分からないや。」
話が広がらない。意外と接点が無いのかもしれない。生まれた国ごと違うからだろうか。
「梨心と私の共通点、いっぱいありそうだけど、ユニット名になりそうなキーは……。」
「ロア・キャッスルハートと廻谷梨心の共通点……。」
ふと、梨心は今しがたの自分の発言に引っかかる点を見つけた。梨心と、キャッスルハート……?
ロアと目が合う。
「「ハートだ。」」
発言は同時。考えてることも同じだった。キャッスル“ハート”と、梨“心”。
心を「ハート」と訳すには色々超えるべき問題もありそうだけど、大方通じるところだろう。
「私たちハートで繋がってたんだね。うぉ女子力。」
思わず手でハートを作ってみる。ロアもハートを作っていた。梨心とは型が違う。梨心は人差し指と中指のハート。ロアは指ハート。
なんか笑い合う。
えへへ。
「ユニット名は『ハート某』か『某ハート』にしよっか。」
「Great! あと一押しだね。」
ハートに合いそうなものを考える。何だろう?
そこからは二人とも考え込んでしまった。意外と「これだ!」となるものが思い浮かばなかった。「ハート」という極めてありふれたエッセンスを用いるには、また違った要素を組み合わせる必要がある。それを探す。
梨心は何となく部屋を見回した。人の部屋なので若干失礼だが、ネタ探しのためだった。
ロアの机はそれなりに雑多だった。教科書、参考書、雑誌、写真、美容グッズ、ぬいぐるみ、等々。
反面、沖田の机には物が少ない。学習用具くらいしか無い。垂雨の机みたいだ。あ、でもゲーム機がある。何となく意外。
視線を巡らせていると、窓の外の暗さに目が行く。部活終わりの時間なのだ。もう外は完全に日が落ちていた。
大きくない窓からは星は見えない。夜空には月が明るく鎮座しているからだ。弓型の銀の光が小さな星明りをかき消してしまっていた。
「……月がキレイだね。」
「それ、この国では告白の台詞だって知ってた?」
「知ってるよ。」
「………………。」
もう。
梨心は仏像になっている沖田に目を逸らした。煩悩を消し去ってくれそうな顔をしていた。
「私、月も好きだよ。」
太陽よりは好きかもしれない。星なんて比べるものでもないが。
「私の国には、今日みたいな三日月は神聖なものだってテイルがあってね。Crescent moonは悪夢を祓うという言い伝えさ。古い言葉で『クィン』と言う。即ち、悪夢を消し、安寧を生む銀三日月とね。」
ロアは懐かしそうに銀の月を見つめる。きっと故郷の月とは見え方が違うだろう。それでも、かつての月をその目に重ねているはずだ。
「私が悪夢を見て泣きついたとき、ママもグランマもこの話をしてくれたものだよ。」
黒い空を引っかいたような三日月の下。
自然と二人の言葉が重なる。
「「『クィン・ハーツ』か………………え?」」
互いの顔を見合わせる。
「……ふっ。」
「あっはははは。」
「これ、決まりなんじゃない?」
「決まりだねぇ。」
他に名案があるかもしれない。でも、二人が同時に思いついた。この事実の方がよっぽど大事だった。変える気はない。
新たにできたユニット名。世界の全てから二人を括りだす識別記号。
「クィン・ハーツ……。」
梨心はその名を繰り返し、大事に胸の内に織り込む。遠い異国の古い言葉だというのに不思議と舌は軽い。まるでどこかで既に触れたか、ずっと前から知っていたかのような響きだった。
「私たち明日から、いや今日から名有りのグループなんだね……それは燃えるな。うん、すごく燃える!」
ロアが拳を振って掲げる。散る火の粉は幻覚ではなかった。
「なんかステージに向けて登録とか必要なのかな?」
「ふふふ、ロアちゃん、ここにユニット名登録申請書類なるものがあってだね……。」
「用意周到!」
月は徐々にその位相を変え行く。梨心とロアは血判でも捺すかのような神聖さを感じつつ、書類にインクを乗せた。
Queen Hearts.
それはまさに、未来に描かれたステージを照らす名だった。
「……む、こんな時間か……廻谷さん?何故この部屋に。」
「おや、目覚めたかいもゆる———ってシーツを脱ぐな!」
「沖田さん丸見え!丸見えだから!」
最初のコメントを投稿しよう!