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日々は坂を転がる車輪のように過ぎ行く。ホープスターズ・ステージまであと三週間だ。
梨心は部室に行くために校舎を出ようとしていたが、その道中にある掲示板を見て足を止めた。
(書き込みが増えてる?)
掲示板には様々な部活の公演や大会のチラシが貼ってある。その中のホープスターズ・ステージのチラシに、梨心は先週メッセージを書き加えたのだ。
そのような書き込みが、増えていた。
先週のチラシはすっぴんだった。そこに梨心が一言書き加えたのだ。今日はそこにさらに別の筆跡で「絶対観に来てね!!!」と書かれていた。
何となくほっこり。挑戦に臨む仲間がいるという事実だけで、どれだけ踏み出す足が力強くなることか。
「頑張ろ。」
決意を心でなく口で言う。その価値があった。
「毎回Bメロ四小節がちょっと遅れちゃうんだよね。」
「確かに、そこはパート的に梨心が歌も魔法もやんないといけないからな……ここハードだね。」
部活の時間、毎日ひたすら練習しては楽譜と顔を突き合わせる。分かっていたことだがやはり『月と一輪の蒼花』は難曲だった。
「動画見て、梨心から指摘はある?」
「うーんと、いろいろあるけど……まず二二小節かな、何回かやってるけどここで脚がもつれがちな気がする。ここで手間取るとこの後のジャンプにも響くかも。」
「実際そこのジャンプはキツい。少しでも遅れるとタイミング逃すからなぁ。」
「……難しいね。」
本音の弱音が漏れた。
「笹野さんの代で完成しなかったのも分かるよね。でも、きっとやれるよ。」
ロアが汗を拭きながら言う。
「昔のアイドル部がどういうスケジュールで練習していたかは知らないけど、私たちはもう二か月くらいこの曲と向き合ってるんだ。どんなに困難な曲でも、それだけやれば形になるって。」
「そうかなぁ……いや、そうだよね、うん。そうだそうだ。きっとやれる。」
梨心は弱気な自分をかき消すように鼓舞を口にする。言霊じゃないが、直接言ってしまった方が何かの効果がありそうだった。
「もう一回やろう。」
「うん、三脚セットして。」
しばらくは『月と一輪の蒼花』の練習に専念することになりそうだった。ステージでの演目は二曲あり、アイドル部の楽曲である『スタードリーム』もあるのだ。こちらも簡単ではないが、前者に比べればいくらか余裕がある。そのため、本番までの日程の多くをそちらに割くことに決めていたのだ。
練習用の赤い炎の中で、梨心も舞う。靴裏のゴムと床のワックスが擦れる音に満ちるスタジオに、自らの足音も溶け込ませた。
「ステージにさ、笹野さんを呼ぼうと思うんだ。」
帰り道、グラウンドを歩きつつロアが言った。
「オルテンシアから今までの成果、見て欲しくない?」
「良いね!」
梨心もアイデアに賛同する。
「でも、どうやって呼ぶ?連絡先知らないけど。」
彼女が月命の卒業生だということは知っているが、それ以外は知らない。前回のコンテストのパンフレットには現在までの職歴も紹介されていたが、そのためだけに職場に連絡を入れるわけにもいかない。
「送られてきた封筒宛てに手紙出せるか確認してみるよ。それでだめなら……えっと。」
「あっ、元部員なら部室の倉庫に連絡先が残ってるかもね。ちょっとグレーかもだけど。」
梨心は何度か倉庫を漁ったことがあるが、その時に歴代の名簿のようなものがあることに気づいていた。
「OK、じゃあそういう風にいこう。」
ロアは過酷な練習の後だというのに涼しい顔をしている。この蒸し暑い国の夏の夜だというのに、風を纏っているかのような横顔だった。
対して梨心は、少しへたれている。
「……今度はうまくいくと良いなぁ。」
「いくって。強気!」
「……そうだね。」
もう失敗は遠い過去。練習は遅遅としているが順調。自分でも積極的に強気な独り言を言うようにしている。それなのに何故違和感が拭いきれないのだろうか。
「歌詞に共感できてないのかなぁ。」
歌詞の内容ははっきり言って、大人な感じだった。一言で言えば「女王の悲恋」である。意訳も含んで説明すれば、「孤高な月の都の女王は自由を許されない。それでも彼女には恋心を持つ相手がいたのだ。しかしその相手は女王の従者であり、身分違いの恋に苛まれる」……といった感じだった。
上等な恋物語である。若輩者には早いのだろうか。
「ふむ……それも一理あるかもね。」
ロアがにやりと笑う。見覚えのある顔。得意げなことを言おうとしている表情だった。
「梨心は好きな人とか、いないのかい?」
普通だったら盛り上がる話題ではある。しかし梨心はその問の答えを予め用意していた。
「いないし、今までいたこともないよ。」
即答。
「そうかぁ。」
残念がるロアの、少し高い位置の顔を見る。
「そういうロアちゃんはどうなの?」
異国の血を持ち、性格は明朗にして快活。赤髪青眼で容姿端麗。マンガやドラマに出てきそうなような人だ。さぞ惹かれる者も多いだろう。
ロアはやれやれといった感じで両手を上げる
「私も何にもナシ。そもそもここ女子高だしね。出会いは無いよな~。」
「だよねぇ。」
「何か進展が生じたら教えてよ。梨心ならそういう話もありそう。」
ロアがいたずらっぽく笑う。珍しく子供っぽい笑みだった。
「浮いた話の一つでもあればね。」
「梨心はどういう人が好きなのかな?」
フツーの女子高生ならキャッキャしてこういう話をするのだろうが、生憎梨心は恋愛には全く興味が無かった。照れもせず、淡々と考えを述べる。
「う~んと、見た目で判断するようなことはあんまりしたくないんだよねぇ。条件を挙げるとしたら……一番は映画のエンドロール中に立たない人かな。」
「あはは、梨心らしい。」
「あとは……私が泣いてるとき、黙って傍にいてくれる人。」
思ったより神妙な意見が出た。ロアも笑みを引っ込めて静かになる。
自分の弱虫さや涙もろさは自覚しているし、高校生になってもそれが治る気配は無かった。ならば、その点を支えてくれる人がいるとありがたいと思ったのだ。
「梨心が泣いてるときは皆が支えてくれるよ。心配しなくても。」
真面目な声にしてしまったロアが呟く。優しい声色だった。
「ありがとう。私、泣き虫には自身があるからね。私も頑張るけど、そうしてくれるとうれしいな。」
今日も夜空は晴れている。梨心は月を見上げた。日に日に太くなっている。丁度ステージの頃に満月になるかもしれない。
私たちも満月になりたい。今じゃ半月未満だ。空いた部分を満たすには、その分頑張るしかない。
学校を通り過ぎ、寮に着き、その廊下で別れ際、ロアは梨心に手を差し出してきた。
それは手というよりは拳だった。
「梨心。」
「ん?」
「グータッチ。」
「……ぉおう。」
第二間接同士で触れ合う。
「じゃあ、また明日ね。」
「See you tomorrow!」
梨心はロアと別れた後にも手を見つめ、指の開閉を繰り返した。
じんわりと、不思議な熱を感じた。
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