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そこからの毎日は、猛練習の日々だった。
梨心は一人でも楽曲の練習を行う。自分の歌唱、自分の踊り、自分の魔法、すべてのパートを二人で行う前提で行い、スタジオに一人、黙々と修練を重ねた。
きっと今頃、ロアも戦っているだろう。
そう思うだけで無限に力が湧いてくる気がした。疲れ知らずで梨心は踊り続ける。
部長には、あくまで二人で出場予定だと伝えた。最後の最後までロアの回復を粘るつもりだった。もしも、仮に、億が一、彼女の回復が間に合わなかった場合は、ステージをドタキャンすることになる。運営に迷惑は掛けたくないが、そのリスクを背負うことに躊躇いは一切無かった。
六華と授業を受けているときも、垂雨と昼食を摂っているときも、お風呂に入っているときも、たまに沖田と散歩やランニングに行くときも、梨心の頭は本番で演じる二曲のことで一杯だった。ここをそうする。あそこをああする。目を付ける点はいくらでもあり、部活の時間にはその全てを身体に刻み込んだ。復帰するであろうロアに不甲斐ない姿は見せられないと、研鑽を積んだ。
一日一日が長く感じる。そんな日々が過ぎた。
掲示板の張り紙には、少しずつ書き込みが増えていった。
気が付けば、残りの日数は片手で数えきれるほどになっていた。
今日も部室に赤い姿は無い。来るという連絡も、無い。
(………………。)
決心で武装した梨心の心にも少し、じりじりとした焦りが生じる。
大丈夫だ。私が信じることを止めてどうするのだ。
梨心はそう自分に言い聞かせ、半袖をさらに捲って手を組む。二種類の汗が流れていた。垂雨なら違いが分かるのかな。いや、汗を見せるのはかなり気持ち悪いか。
思考がまとまらない。他人ばかりが気になる。あのグループは順調そうだとか、あのユニットはもう完璧だとか。
梨心は頭をぶんぶんと振る。暑いので結っていた髪が後頭部に追従する。
ええい、人と比べてどうする。私は私のことに集中しないと。
今日もスマホ用の三脚を立て、スピーカーの電源を入れる。
…
あと三日で本番だ。
本来なら五日前くらいには、メンバー全員で通し練習をするくらいになっていないといけない。しかし梨心は延々とソロだった。
相方の復帰が今日よりも遅れると、動きを合わせる練習に取れる時間が心許なくなる。もしも今日ロアが来なかったら、いよいよ覚悟を決めなければならなかった。
梨心は目を閉じ、生魚の腑を素手で裂くような覚悟で部室の扉を開いた。
ロアはいない。
「………………。」
まだだ。まだ希望は残っている。
部室には人が少ない。今日はかなり早くここに来たのだ。ロアが病院からどういう風に来るかは知らないが、遅れて来る可能性もある……。
しかし梨心の僅かな希望に反して、ほとんどの部員が練習を始める時間になっても、ロアは現れなかった。
スゥ、と、息をつく。
私も練習を始めよう。
まだ明日と明後日がある。それだけあれば、まだ何か出来ることがあるはずだ……。
この日、梨心は焦っていた。本番が近いのに十全の練習が出来ていないのだから当然だろう。
焦りは視野を狭める。梨心の視界は本当に萎縮していた。どれくらい縮小していたかと言えば、
掲示板のステージの張り紙に、英語の書き込みが追加されていることに気が付かなかったほどで———。
部活の時間が半分ほど進行したとき、不意にスタジオの扉がバァン!とぶち開けられた。その音に部員たちはピタリと静止する。
この音は。
梨心が理解するよりも先に、答えはやってきた。
ドアの向こうに、何者かが立っている。
「アイム………………バーーーーーーック!!!!!!!!!」
瞬間、闖入者の背後でとんでもない規模の大爆発が起こり、逆行で姿が見えなくなる。
しかしシルエットのみでも、その自信に満ちた声は、その正体を何よりも雄弁に物語っていた。
爆発は正確には炎の竜巻だ。その暴威が去るとそこにいたのは———。
「ロアちゃん!」
「ああ、ロア・キャッスルハートが来たとも!!!」
燃える髪を魔力になびかせ、輝く碧眼に魔力を滾らせ、ロアが仁王立ちしていた。
「う”わ”ぁぁぁーーー!!!ロ”ア”ち”ゃーーーーーん!!!!!!!!!」
泣きながら飛び着く梨心を筆頭に、ロアはアイドル部全員に抱き着かれる。
「ちょ、ちょっと皆、苦しいから!私病み上がり!」
人の輪の中、ロアはなんとか息をする。
「ロアちゃん!」
ロアの胸から顔を上げた、涙目の梨心の声が場を制する。
「出れるんだね、ステージ!」
「Off course!」
力強いサムズアップ。
どうして早く退院できたのか。練習はどうするのか。本番までの猶予は無い。様々な事項があったが全て棚上げした。
今だけは、ロアの肯定が聞ければ、他に何も要らなかった。
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