18話:ホープスターズ・ステージ

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*  外部のアリーナに来るのは三回目である。春光公演で一回、オルテンシア・コンテストで二回。そして、 「『ホープスターズ・ステージ』で三回目……。」  例のごとくアイドル部のメンバーは控室に集合していた。この公演は“一年生のみ”が出場できるステージである。故に楽屋にいるのも全員一年生だった。  控室の中には本番前の独特の雰囲気が漂っていた。緊張している者、単に楽しみな者、自信満々な者。メンバー一人ひとりの心持ちは様々だ。  梨心は青と白の衣装を崩し気味に着て、白いハイテーブルに肘をついた。指を開閉する。手首の骨と血管が皮膚に浮いた。  三度目の大きな公演だが、やはり慣れない。このまま三年生の春光公演まで慣れることはないのだろうか。青いネイルに蛍光灯の光を反射させる。深海みたいな色。梨心のお気に入りのカラーだった。少し気持ちが落ち着く。  梨心が目を閉じ、本当に深海に沈んでしまいそうな静けさで口を閉ざしていると、控室のドアが開けられる音がした。梨心は耳だけで誰が入って来たかを確認する。この特徴的なヒールの足音、ロアちゃんだ。近づいてくる。 「Nervous?」  これを聴くのも三回目。 「うん。もう慣れちゃったけどね。」  目を閉じたまま返事をする。ロアが対面に立った気配があった。 「笹野さん、来てるみたい。スタッフの方に教えてもらった。」 「!そうなんだ!良かった!」  水底の集中から顔を上げる。衣装に身を包んだロアがいた。ドレスから出ている腕は入院していたというのに肉付きが変わっていないように見える。  しかしそれは見かけの話だ。練習中も、ロアはずっと筋肉量が落ちたことを気にかけていた。二曲連続で披露するのが辛いほど体力が落ちたらしい。入院中、沖田のアドバイスによるトレーニングが無ければ舞台に立てていなかったかもしれない。 「魔力はバッチリ。青い炎も問題無く出せるよ。気分的に炉心も安定しているし、大丈夫!」  ロアがいつもの様な快活さで笑う。 「うん、それも良かった。私も魔力はたっぷりあるから安心して。」  梨心も大丈夫ポーズをする。腰元の金属アクセサリが音を立てた。  ———ロアは、わざわざ自分の調子を確かめるようなことは言わない。常に自分が輝いているという自信があるからだ。しかし今しがたのロアは、自分が大丈夫だということを梨心に伝えてきた。  梨心に心配を掛けまいとしているのか。それとも梨心以外に、自分にも———。 「一年生全員、そろそろ移動しようかー。」  上級生がいない控室で一時的なリーダーを任されたキサキが呼びかける。楽観な雰囲気を醸していたアイドルも態度を改める。楽屋の空気に張られた糸が引き絞られる気配があった。  梨心は身だしなみを整え、装身具を纏っていく。首の後ろで、丹田のスイッチを入れるように、あるいはドミノの一個目を倒すかのように、チョーカーを留めた。 *  これまた例のごとくの舞台袖。アイドル達はそれぞれの出番を待っていた。開会の挨拶はとうに終わり、今では既に順番の早いアイドルがステージに閃いている。 「………………。」 「……浮かないのか?」  袖の壁に腕組みしてもたれているミツキのもとに、いつかのようにユアが寄ってきた。宇宙服のような衣装を着ている。今回もミツキとユアは二人でユニットを組んでいた。 「あぁ浮かないよ……あの子らがね。」 「あの子ら……ロアと梨心か。」  ミツキが小声で示す先をユアも見る。壁際には赤いドレスのロアと、青いドレスの梨心が並んでいた。 「ロア、病み上がりなのだろう?この三日間は相当練習したようだが、大丈夫なのだろうか。」 「あの子らもそれが心配だからあんな顔してるんやろうね……。」  二人の様子は沈痛というか悲痛というか、見ていて心臓が縮んでしまいそうな雰囲気だった。お世辞にもこれから笑顔でステージに登壇するような様子には見えない。死地へというのは大げさかもしれないが、少なくとも試練の場へ向かうかのような、ある種悲壮な決意を持っているように見えた。  互いに互いの手のひらを揉んだりしている。しかも無言で。見ちゃいられない。 「……ああもう。」  ミツキは頭を抑えた。  梨心とロアにあんな顔は似合わない。あの子らの歌と踊りと魔法はお墨付きなのだ。もっと自信を持って堂々としていれば良いものを。  あのままでは居たたまれない。しかし二人の空間に話しかけに行くのも躊躇われるし、集中を乱してしまうようなこともしたくない。 「……ユアちゃん、そろそろ準備しようか。」 「そうだな。」  自分達の出番が迫っていた。ミツキとユアは舞台袖から、ステージに直通している裏口へと移動する。  移動中の思案の末、ミツキは一案思いついた。 「ユアちゃん。」 「何だ?」 「『クィン・ハーツ』の出番はあたし達の一つ後……それなら、あたし達に何が出来るかを考えたんやけど……。」  ミツキは人差し指を立てる。衣装の手元は肉球型のグローブになっているので、代わりに魔法の手で。 「あたしらの公演、とにかく大声出していこう。」 「……おぉ?」  ミツキは極めて真剣だった。瞳がエメラルド色に光る。 「あの子らには元気に自信もって舞台に上がってほしい。あたしらはアイドルだ。誰かを元気づけたいならパフォーマンスでやるしかない。」  幸い、ミツキとユアが選んだ曲は盛り上がる曲だった。過ぎた大声で歌っても差し支えない。  ミツキの真面目な顔を見て、ユアも頷いた。 「従おう。ミツキ。」  ユアの首肯と同時に裏方へのアナウンスが放送される。 『月命学園高校、『Not Equal Cat』八百会ミツキさん・ユア・コウキさん———。』 「よっしゃ行くよ!」  暗い廊下から燦然たるステージへ、二人は駆け出した。 *  アイドルが待機する廊下は薄暗く、独特の空気に満ちていた。肺に取り込む酸素は控室や舞台袖に比べて冷たい。  梨心とロアはステージのすぐ裏で出番を待っていた。ステージ裏手の廊下はステージそのものよりも低い位置にあり、二人はステージへ続く階段の傍に立っていた。十歩とかからず辿り着けてしまう階段の上からは、今まさにパフォーマンスを披露している『Not Equal Cat』の歌声が響いてくる。他に音が発されない廊下において、くぐもって聞こえてくる演奏と歌声だけが周囲をビリビリと震わせていた。  梨心はロアの様子を窺う。艶やかにセットされた赤髪は燃えるよう。しかしその表情は常より明るくなかった。  病み上がり四日目の大舞台。流石のロアも余裕ではいられないのだろう。練習のときは気丈に振舞っていたが、いざ本番の階段を前にすると、覚悟を決めた横顔をしていた。 「ロアちゃん。」  張られた水に水滴を落とすような梨心の声が廊下に響く。 「何だい?」 「Nervous?」 「——————。」  いつものお返し。言葉に詰まるロアに、梨心はいたずらっぽく笑う。暗い廊下に光の魔法が広がる。 「……あぁ、流石に緊張はするよ。こんな状況は今まで経験したことが無いからね。」  ロアも笑う。練習中に見せてきた頑張りの笑顔ではない、静かな笑みだった。  そして少し弱気な本音に次いで、梨心に言葉を返す。 「それでも、私は『失敗するかも』なんて思ってはいないよ。何故なら———」  俄かにステージからの音が大きくなる。 『二曲目いくぜ!!!』『褪せ色セカイの眠り籠!!!』  会話が途絶する。ステージでの曲目が変わったようだ。ミツキとユアのやけくそな声量の口上が聞こえた。 「……二人ともすごい盛り上がってるね。」 「ね。」  二人ともそんなに声を張る印象が無かったので意外だった。曲が最後の方に差し掛かるまで、二人で黙って聴いた。 「……ロアちゃん、その、さっきの続きは?」  曲が終わる直前、梨心はステージからの気勢に口をつぐんでいたロアを促した。ロアは半口を開けて彼女らしくない顔を晒していたが、しかしにぃっと笑い、 「ん~、教えない。」 「なっ。」  今までロアと一緒にいて、否定を返されたのは初めてのことだった。真剣な話に限らず悪ふざけや他愛ないからかいであっても、ロアは誰に対しても、発言を濁したり、否定したりするようなことは決して言わなかった。  なのに何だ今の反応は。大人びた雰囲気を崩し、稚気滲む小学生のような表情だった。 「もうすぐ先方の演目が終わる。全部が無事に済んでから言うよ。」 「そう……。」  ふと、ステージからの演奏の音が一際大きくなった。ギターが盛大にかき鳴らされ、やがて止む。拍手も漏れ聞こえてきた。『Not Equal Cat』のパフォーマンスが終了したようだった。 「いよいよだね。」 「うん。」  目と目でしっかりと見つめあう。黄色く光るブラウンの瞳。紅く燃えるブルーの瞳。覚悟は黄金。信頼は純銀。数秒未満の視線の交錯は互いの全てをやり取りした。 『月命学園高校、『クィン・ハーツ』廻谷梨心さん・ロア・キャッスルハートさん———。』  アナウンスが響く。  ステージへ駆け出す直前、 「梨心、梨心。」  ロアが手を差し出してくる。手は握られていた。 「……んっ!」  梨心も握り拳を突き出し、気持ち強めにロアとぶつけた。  グータッチ。 「行こ!」 「ああ!」  手を打ち合わせた瞬間、どちらの魔法かは分からないが、火花とも閃光とも言えそうな光が散った。
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