ある男の手記

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ある男の手記

 俺にはKという幼馴染がいた。あえて名前を伏せるのは、現在の俺と彼女とは無関係で、それなのにまるで知り合いのように名前を挙げるのは許されないことだと考えるからだ。(今後も人名や地名などに頭文字や適当な名前を使うことがあると思うが、それらは全て仮のものだと考えてほしい)  俺とKとが出会ったのは生後間もない頃、T県にある賃貸マンションの共用部で世間話に興じる母親たちの腕の中だったかも知れない。物心ついた時から一緒にいた俺とKとは中学校二年生までの、十四年の人生の少なくともその三分の一の時間を共有した。  俺とKとは同じ保育園や学校に通った。帰宅してからも、互いの親に夕飯に呼ばれるまでの時間、一緒に走り回り、本を読み、勉強した。  小学校高学年になり、男の子と女の子との別が、彼らの狭い社会の中で形作られても、俺とKとの関係は変わらなかった。  俺たちはずっと一緒にいるだろう。そう考える余地すらないほど、俺とKとの繋がりは濃密なものだった。  だが、俺とKとの絆は、広い社会の合理性の前に、容易く断ち切られてしまった。  俺とKとが中学三年に進級する年の三月、大手食品メーカーに勤める俺の父の昇進と、それに伴う転勤とが決まった。父の新たな勤務先は隣の県(S県としておこう)だった。通勤に片道一時間と少し掛ければ通えない距離ではなかった。だが、転勤の少ない職種ということもあり、俺たち家族は三月末にS県に引っ越すことを決めた。俺は四月からS県の中学校に通うことになった。  俺の引っ越しの前日は中学校の修了式だった。俺がKとが同じ学校に通った最後の日、俺たちはまっすぐ家に帰らず、俺たちが住んでいたマンションのすぐ近くにある公園(桜の樹があったのでC公園としておこう)を訪れた。俺たちは芝生の上のベンチに座り、どこか上の空で言葉を交わした。とりとめのない話の内容は覚えていないが、この時にKと交わした約束は今でもはっきりと覚えている。 「手紙を書こうよ。お互いに」 「手紙? SNSでやり取りすればいいじゃん」 「そうじゃなくて! また会った時に開けるの。タイムカプセルみたいに。……SNSのアカウントと(いつき)の連絡先は削除しておいた方がいいね」 「なんで? そんなことしたらKと連絡が取れなくなるじゃん」 「そうした方がありがたみがあるでしょ。樹と会えなくなって、毎日がつまらなくなって、生きていくのも辛くなって、……そんな時、私たちは再会するの。運命的に」 「隣の県だから電車に一時間も乗ればすぐ会えるけどね」 「樹ってさ、ロマンが無いよね」 「いいじゃん、ロマンなんてなくても。俺たちはずっと一緒だったんだから」 「でも明日からは一緒じゃなくなる」 「一年くらいだろ? 俺、来年はこっちの高校を受ける。そうしたらまたKと一緒の学校に通える」 「そうなの?」 「そうだよ。だって俺、Kのことが――」 「わー! わー! それは手紙に書いてよぅ」 「わかったよ。でもさ、手紙になんてしなくても俺の気持ちは変わらないよ」 「……うん」  Kと離れ離れになることへの想像力が欠如していた俺。俺との再会に何らかのロマンチシズムを感じていたK。どちらにしても一時の離別に対してあまりに無知で、楽観的だった。  とにかく、俺とKとはその日一日をかけて、互いの気持ちを手紙にしたため、あくる日の引っ越し間際に手渡した。桜咲く高校の入学式で、変わらない想いを確かめ合うために。  だが一年後、俺たちの桜が咲くことは無かった。  
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