ある男の手記

2/8
前へ
/10ページ
次へ
 俺は転校してすぐに、Kとは同じ高校に通えないことを知った。  四月、年度が始まってすぐに進路希望調査があった。俺は第一志望の欄にKと約束した高校(甲高校としておこう)を記入した。残りの欄は知っている高校の名前で適当に埋めた。調査用紙を見た親は、苦い笑み浮かべた。  俺はその時はじめて、公立高校を受験するためには、その高校のある都道府県に住んでいなければならないことを知った。  Kとの約束以前から甲高校に行くことしか考えていなかった当時の俺は、例えばイルカが魚ではないと聞いた時と同じくらいの自失状態にあったと思う。俺の中の常識は、たった一つの説明を受けて非常識に変わった。  俺はこの時、Kに会いに行くべきだった。Kに、そもそも果たせない約束だったことを告げて、彼女と連絡先を交換し直せば、また一緒にいられたかもしれない。だが、隣の県にいるという距離的な安心感が、Kとの絆に対する過剰な信頼が、自分の無知を恥じるちっぽけな矜持が、俺の誠実さを捻じ曲げた。  俺はT県にある名門私立高校を目指すことを決めた。T県に進学すればKに会える。Kと再会した時にいい格好ができる。俺はそう信じた。  親は、思春期の俺を自分たちの都合でS県に連れてきたことに引け目を感じていたのかもしれない。さほど裕福ではない家庭だったが、俺の進路を嫌な顔一つせずに応援してくれた。  俺は必死になって勉強をした。部活には入らなかった。修学旅行に参考書を持ち込んだ。合唱コンクールは全体練習以外サボった。当然、クラスにはなじめなかった。クラスメイトからは『ガリ勉君』と揶揄された。だが、俺は一向にかまわなかった。人から笑われるほど努力しているんだ。俺はすごいんだ。と、冷やかしの言葉はかえって俺の自信になった。  その自信がある種の欲に変化したのは、その年の十二月のことだった。  勉強の甲斐あって俺の成績は校内でトップになった。模試で全国の二桁順位に入った。成績表を見た時に俺は、この努力の成果をすぐにKに見せてしまうのはもったいないと思った。もっとすごくなってKを驚かせたい。そんな欲が俺の中に生まれた。  その時期は俺の青春の中において、一度目の幸福な時期だった。俺は、勉強することが唯一の道で、その道を歩き続ければ最良の形でKと再会できると信じていた。  今にしてみればその信念こそがKの言う「ロマン」というやつで、当時の俺はまんまとKの魔法に掛かってしまっていたのだと思う。  俺は中学三年の最後の進路希望調査で、第一志望をS県で最も偏差値の高い公立高校(乙高校としておこう)に書き換え、見事合格した。
/10ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加