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あっという間に逞しい胸へと引き寄せられて、ロランは顔が熱くなるのを感じた。人前で、こうして抱き締められるのは慣れていない。
「それ以上は、俺が我慢できなくなっちゃうから、ね?」
耳元に低く囁くガブリエルの声に、ロランは小さく頷いた。嫉妬はダサいからしたくないと、そう言っていた若い恋人の願いを無碍にしたくはない。
船がイギリスに戻れば、アレハンドロはきっと生きてはいないのだろうと、それはロランにも分かっている。ガブリエルが我慢すると言ったのは、あくまでもこの船の上での話だ。
腰に回された腕の強さが、ガブリエルの想いの強さをロランに伝えていた。
「話は、ついたみたいだね」
穏やかな笑みを浮かべたロイクは、ガブリエルたちとアレハンドロを遮るように立った。
「アレハンドロ。セキュリティー部門統括の名において、君に三日間の自室待機を命ずる。もしこれが破られた場合、やむを得ない処置として、即時解雇及び君の身柄を拘束させてもらうことになる。くれぐれも、行動には注意されたい」
「……はい」
「これで良いかな? 総支配人?」
「ああ、構わない。うちのスタッフが手間をかけたな」
言いながらハーヴィーがドアを開ければ、セキュリティースタッフが二名、アレハンドロを連れ出すために立っていた。
「すまないが、彼を部屋まで送ってやってくれ」
「心得ました。それでは失礼します」
スタッフに連れられて部屋を出るアレハンドロを、ロランはガブリエルの腕の中で見送った。まさか自分のためにこんな事態が起こるとは、夢にも思っていなかった。
再び部屋の中には身内だけが残り、躊躇いもなく伸ばされたロイクの腕を、ハーヴィーが容赦なく叩き落す。
「職務中だ、馬鹿者が」
「せっかく君のところの不祥事を揉み消してあげたのに……」
「言っておくが、私は頼んでいない。むしろ勝手な真似をされて迷惑なくらいだ、覚えておけ」
不祥事という言葉に、ロランはハッと我に返った。
「あの、ハーヴィー」
「何だ」
「申し訳ありません。私のせいでこのような事に」
「これはアレハンドロ自身の過ちであって、誰のせいでもない。だいたい、詫びるのは私の方だ。私の部下が迷惑をかけてしまって、本当にすまなかった」
誰へ、という訳ではない。ハーヴィーの謝罪は、その場の全員へと向けられたものだとすぐに分かった。
「はい。この話はこれで終わりね」
「ロイ……」
「つまらない揉め事に、僕の貴重な時間を捧げるなんてもったいないだろう?」
ロイクらしい言い分に苦笑を漏らし、ハーヴィーもまた肩の力を抜いた。
「そうだな」
「ああそうそう、ガブリエル?」
「はい」
「分かっているとは思うけれど、くれぐれも、イギリスに戻るまでは彼に手を出さないようにね」
「ええ」
幾分か低い声でもたらされた返事にくすりと笑みを零し、ロイクは頷いた。
「分かっているなら結構だね。まあ、君はフレッドと違って我慢の出来る子だと信じているよ」
「今の科白は、父上には内緒にしておきますよ」
「あっははっ。別に、聞かれたところで僕としては構わないけどね」
可笑しそうに笑うロイクはだが、ハーヴィーの手に耳を引っ張られて眉根を寄せた。
「痛いじゃないか」
「まったく、フレッドが絡むとすぐにそれだな」
「嫉妬かな?」
「私がフレッドに嫉妬するとでも? 馬鹿馬鹿しいにも程がある」
そもそもハーヴィーは他人に妬みや僻みといった感情を覚えたことがない。あくまでも信じているのは自分自身であって、他人に期待もなければ興味もないのだ。ハーヴィーが感情を揺さぶられる相手はロイクただ一人だが、それと同じくらい、フレデリックの心がただ一人のものである事を知っている。嫉妬など、しようはずもない。
「それはそれで、僕が嫉妬してしまいそうだけどね」
まるで心の中を見透かすかのように、碧い瞳がハーヴィーの顔を覗き込んだ。
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