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「ぅるさい……、お前は少し、黙れ……」
青ざめた顔をしながらも、気丈に振る舞おうとするハーヴィーの手は、しっかりとロイクのジャケットの裾を握っていた。
「私の手を、離れたら……承知しないから、な……」
「それは、君を抱いたままならOKということかな?」
「……やってみろ……、二度とあなたとは寝ない……」
「それは、困ったね……」
困ったと眉根を寄せながらも、まったく困っていなさそうな口調のロイクは、ハーヴィーを抱き上げた。
「っ、ロイ……!」
「大丈夫。君が本気で嫌がることはしないと約束したろう?」
些かならず残念そうな顔でそう言って、ロイクはくるりと背中を向けた。
「今日は、ハーヴィーに免じて見逃してあげるよ、クリス。ガブリエルも、生意気な口は相手を選んで叩くことだね」
ちらりと向けられた視線だけで、ガブリエルの全身を悍ましいほどの恐怖が襲った。クリストファーの威圧とは、まったく質の違うそれは、紛れもない殺気だ。
「……っぐ」
恐怖に込み上げる凄まじい吐き気を堪え、思わず膝をついたガブリエルの腕からロランは投げ出された。
「ガブリエル!?」
ロランは、いったい何が起きたのか理解できないでいた。そもそもロイクが殺気を向けたのはガブリエルただ一人であって、ロランには向いていない。
「それじゃあ、僕は失礼するよ」
慌てるロランとガブリエルを嘲笑うかのように一瞥して、ロイクは優雅な足どりで会議室を出て行った。クリストファーが、溜息とともに僅かな警戒心を解く。
「まったく、野生動物でも相手に喧嘩する方がまだマシだ」
やれやれと首を振るクリストファーは、だがロランに呼ばれて振り向いた。
「っ、クリス……ガブリエルが……」
「殺気にアテられて動けないとはな。これはまた先が思いやられる」
とはいえど、相手がロイクならば仕方がないかとクリストファーは苦笑を漏らした。正直なところ、ファミリーの中でフリーファイトでもしたのなら、最強なのは間違いなくロイクだろう。クリストファーとフレデリックが二人掛かりでも、勝てるかどうか怪しいところだ。
ともあれガブリエルをどうにかしなければと、クリストファーは座り込んだ。
「生きてるか?」
「……ッ、……ぅッ」
「せめて呼吸くらいはまともにしたらどうだ?」
呆れたクリストファーの声が聞こえても、ガブリエルにはどうすることも出来なかった。呼吸の仕方は覚えていても、全身どころか臓器までもが恐怖に縛られたかのように動かない。
「仕方がないな。多少痛いが我慢しろよ」
そう言ってクリストファーは、立ち上がるなりガブリエルの背中を蹴り飛ばした。
「クリスッ!?」
「そう騒ぐなロラン、この程度で人は死なない」
「そんな……っ」
なす術もなく背中を蹴られ、無防備なまま床を転がったガブリエルは、壁に激突してせき込んだ。
「…………痛ぇ……ゲホッ」
「肋骨は?」
「ぅぅ……折れてない……」
「くくっ、命拾いできてよかったな」
あまりにも乱暴なやり方に睨むロランへと、クリストファーは肩を竦めてみせた。
「睨むなよ。助けてやっただろ?」
「……他に方法はなかったんですか?」
「ないな。だいたい、こんなものはAEDと大差ない」
「は?」
「痙攣してるんだよ、心臓が動かないんだ。医者なんだから分かるだろう」
面倒くさそうに手を振るクリストファーは、だが床に転がったガブリエルへと歩み寄ると、左手を差し出した。
「いい加減起きろ、いつまで寝てるつもりだ?」
「っ……どうも」
悔しさに低くなる声でガブリエルは言って、クリストファーの手を掴んだ。
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