Day.20

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 その夜、ハーヴィーはロイクの部屋へとやってきた。予想通りの来訪に、ロイクは穏やかな笑みを浮かべてハーヴィーを部屋へと招き入れた。 「どうぞ。今、お茶を淹れるよ」 「ロイ」 「うん?」  背後から聞こえてきた微かな声に、ロイクが振り返る。そこには、部屋の入口に立ったまま、俯くハーヴィーの姿があった。 「あなたがやったのか……?」 「何を、かな?」 「アレハンドロに決まっているだろう。いちいち確認するな」  他に何の話があるのだと、そう言わんばかりのハーヴィーの態度にロイクは苦笑を漏らした。おいでと、そう言って伸ばした手に、ハーヴィーのそれが重なる。ゆっくりと引き寄せれば、恋人の躰はロイクの胸の中へと無抵抗に収まった。大きな手が、ハーヴィーの黒髪をゆるりと撫でる。 「あの時、あれだけ人のいた処置室で僕が何かを出来たとでも?」 「それは……」 「他でもない君自身が、僕を見張っていた。違うかい?」 「……その通りだ」  絞り出すような声が、ハーヴィーの心持ちを如実に表しているようだった。ハーヴィーは、きっとロイクのした事に気付いているのだろう。けれども、()()()と言い切れるだけの証拠を何も持っていない。 『キミの言葉が、羽のように軽いからだよ』  フレデリックの言葉が、ロイクの脳裏を過る。  ――まったく君には恐れ入るよ、フレッド。  あの時、ハーヴィーがブルーノやフレデリックと話しをしている最中に、ほんの僅かな隙は生まれた。看護師は機器の確認をしていて、アレハンドロに意識を向ける者は誰一人としていなかった。否、フレデリックの存在が、その隙を作りだした。人は、何かに気を取られていると案外周囲が見えなくなるものだ。  ロイクにとって気配を消すことは簡単だった。ほんの一瞬の隙さえあれば、寝ている相手に手を掛けるのは難しい事じゃない。毒を仕込んだ針の先は細く、痕跡は残らない。もし不審な点があって解剖されたとしても、この船に専門的な解析装置は搭載していなかったし、ヘリで付近の病院へと運び込まれたところで、その頃にはもう毒は中和されている事だろう。 「ねえハーヴィー? たとえ、君が思っている事が事実だったとして、君はそれを知ってどうするつもりだい? 僕を、嫌いになる?」 「そうだと言ったら、あなたは私も殺すのか?」 「まさか。君をこの手に掛けるなんて有り得ないよ」  嘘を吐くことに躊躇いはない。ただし、ロイクのハーヴィーに対する気持ちだけは、嘘ではないのだ。  ロイクは、そっとハーヴィーの躰を抱き締めた。 「あの時……」 「うん」 「処置室の中で不審な動きをする者はいなかった。それはあなたも例外じゃない。……けれども、私にはどうしても、あなたがやったとしか思えないんだ、ロイ」  他でもない自分の腕の中でそれを告げることが、どれほどの恐怖を伴うものか、ロイクでさえも想像は出来る。けれどもハーヴィーは、それをやってのけた。  ――参ったね。強い子だとは思っていたけれど、こうまでされては、こちらも腹を据えなきゃならない。  ロイクは、そっとハーヴィーの背中をさすった。シラを切り通すか、事実を告げるべきか。  ハーヴィーは以前、ロイクが引鉄を引くのなら、それは自分の意志でもあると、そう言った。その言葉を、信じてみたいと、柄にもない想いに囚われる。  やがて、ロイクはゆっくりと口を開いた。 「そうだね。君は、僕が人殺しだと知っている。だから、君のその考えはきっと、間違いじゃない」  ぴくりと、ハーヴィーの肩が微かに震えるのがわかる。  どれほどの時間そうしていたのだろうか。とても短くも感じたし、そして長くも感じられる間、ロイクはただ黙ってハーヴィーの躰を抱いていた。  やがてロイクの耳に聞こえてきた声は、囁くほどに小さく、そして震えていた。 「……少し、時間が欲しい……」  ともすれば聞き逃してしまいそうなほど小さな声に、ロイクはゆっくりと腕を解いた。糸の切れた人形のように、ハーヴィーの躰が床に崩れ落ちる。  足元に座り込んだハーヴィーを、ロイクはただじっと見つめる事しか出来なかった。
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