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Day.21
クイーン・オブ・ザ・シーズⅡの船内は、どこか沈んだ雰囲気に包まれているようだった。
アレハンドロの不運な死は、一部のクルーを除けば公表されていなかったし、当然ゲストにも知らされてはいない。だからこれは、ハーヴィーがそう思うだけの事ではあったのだが。
その日、夜勤を控えたハーヴィーは、食堂へと向かって通路を歩いていた。あれからというもの、ロイクからの連絡は来ていない。時間をくれと申し出たものの、独りで抱え込むには昨日の件はハーヴィーにとって衝撃的な出来事だった。
――覚悟はしていたはずだ。
ロイクとともに先代のクイーン・オブ・ザ・シーズを降りると決めた時、ハーヴィーは覚悟を決めたつもりだった。ロイクがマフィアであり、自分は人殺しであるのだと、他でもないロイク自身の口から聞かされた言葉は今でも覚えている。それに、今となってはハーヴィー自身も、組織のメイドメンバーに名を連ねるれっきとしたフランスマフィアに違いはなかった。
――情けない。
ふとハーヴィーの脳裏を過ったのは、他でもないロランの姿だった。クリストファーに威圧され、不要だとまで言われてもなお、自身の血に誓った誓いを破りたくなかったのだと、そう言った彼は、自分などより遥かに強い心を持っているのだろうと思う。
アレハンドロの件は、当事者であったロランの耳にも当然入っているだろう。そう思い、ハーヴィーは行き先をロランの部屋へと変えた。
ドアをノックする。中から聞こえてきた誰何の声に、ハーヴィーは名乗った。
「どうされたのですか? 見たところ、お怪我をされている様子ではありませんが……」
「突然訪ねてしまってすまない。少し、あなたと話しをしたいと思って来たんだ。時間はあるか?」
「私に話というと、アレハンドロの件でしょうか」
「まあ、まったく関係がない訳ではないんだが、私自身の事であなたに相談がある」
そう、ハーヴィーが告げれば、ロランは僅かに眉をあげた。
「分かりました。どうぞお入りください」
「すまないな」
「構いませんよ。お役に立てるかどうかは分かりませんが、私で良ければ話を聞きましょう」
ソファをすすめられ、ハーヴィーは腰を下ろした。
「コーヒーでよろしかったですか?」
「気を遣わせて悪い」
「いえ。ちょうど、私もお茶にしようと思っていたところですから」
そう言って、豆を挽くロランの背中を見れば、随分と華奢な気がする。ロランとハーヴィーの年齢は、確かふたつしか変わらないはずだ。
「それで、ご相談というのは……」
「ああ、アレハンドロが昨日亡くなったのは知っているな?」
「……ええ。急性の心疾患だと」
「その事なんだが……私は、ロイが何かをしたのではないかと思っている」
ハーヴィーは、昨日の出来事を時系列に沿ってすべて話した。診療室での一部始終に始まり、ロイクに不信を抱いてはいるものの、証拠が何ひとつとしてない事。それを、ロイク自身に伝えた事。そして、ロイクが否定しなかった事……。
長い話の途中、ロランはカップを差し出すだけで、ハーヴィーの話を黙って聞いていた。
「……なるほど」
やがてすべてを話し終えたハーヴィーに、ロランはそう呟いた。カップへと視線を落としたままのロランの表情は、ハーヴィーには読めない。
「ロラン?」
「あなたは、本当にお強い方ですね。直接本人に問うなど、怖くはなかったのですか?」
「全く。と言えば嘘になるんだろうな。だが、こちらがはっきりと言わない限り、ロイは事実を口にしないと思った」
「それが、あなたの答えなのではないのですか? もちろん、相手があなたの部下であったことはそれなりにショックを受けているのでしょうけれど、それよりも、あなたは真実を知りたかった。他でもない、ロイクの口から」
「そうかもしれない。だが、聞いた結果がこれではな……」
「それは、ごく当たり前の反応ですよ。知っているという事と、いざ目の前で起きる事は違います」
どこか困ったようにも見える顔で、ロランは微笑んだ。
「ショックを受けた事を、あなたは後ろめたく感じてしまったのですね?」
「覚悟は、していたつもりだったんだ。ロイが私の知らないところで何をしているのかも、知っているつもりだった……」
現実はそうではなかったのだと、ハーヴィーはそう言ってカップを口元へと運んだ。琥珀色の液体が、やけに苦く感じる。
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