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「ロイクも、きっと迷ったのではないでしょうか」
「そうかもしれない。何の証拠も持たない私を、騙し続ける事は容易かったはずだ」
「それが余計にあなたの負担になってしまった?」
「身勝手な奴だろう?」
「そんな事はありませんよ。あなたは現に、今こうしてそれを乗り越えようとなさっている。なみの事ではありません」
穏やかなロランの声は、不思議とハーヴィーに安心感をもたらした。
「迷うことは、誰にでもあります。それでもあなたの目は、現実から逸れてはいない。それはきっと、ロイクにもわかっていると思います」
きっと、ロランの言うことは間違ってはいないのだろう。時間が欲しいと、そう言ったハーヴィーをロイクは一言も責めはしなかった。ロイク自身、傷つかなかったはずはないのに、だ。
「それに、本音を言わせてもらえば、ロイクも少々短絡的というか……、すぐに手を出してしまう辺りが浅はかというか……」
幾分か砕けた雰囲気のロランは、呆れたような笑みが浮かべながら言葉を続けた。
「彼の方こそ、あなたに知って欲しかったのかもしれませんね」
「私を試したくなったと?」
「あなたからすればそう思えるかもしれませんが、私が言いたいのは、少しニュアンスが違います」
どう説明したものかと、しばし考え込むそぶりを見せるロランにハーヴィーは頷いた。
「なるほど。あなたはロイが私を信用していると言いたいのだな?」
「あなたなら、受け入れてくださると、そう思ったのではないかと」
もし、ロランの言う通りなのだとしたら、ロイクは今ごろ自分に呆れてでもいるだろうか。そう考えかけて、ハーヴィーはだが自身の考えを否定した。
空になったカップをテーブルに置いて、立ち上がる。
「ご馳走様。あなたと話せて良かった」
「少しはお役に立てると良いのですが」
「充分だ。あなたのおかげで気持ちが整理できた気がするよ。ありがとう、ロラン」
部屋主に見送られてロランの部屋を後にしたハーヴィーは、その足でロイクの部屋へと向かった。
まだ、完全に気持ちに整理がついた訳ではない。けれども、今の気持ちを早くロイクに伝えたかった。
通い慣れた部屋のドアをノックする。扉は、すぐに開いた。ドアノブに手を掛けたままのロイクはまるで、ハーヴィーを拒んでいるかのように思えた。
「あなたに話がある。入っても?」
「構わないよ」
どうぞと、ようやく道を開けるロイクの前をハーヴィーが通り過ぎようとした瞬間、逞しい腕に肩を引き寄せられる。あっという間に、ハーヴィーはロイクの胸に抱き締められていた。
「ッ、ロイ?」
「もう、来てくれないかと思った」
「馬鹿な。私は考える時間が欲しかっただけだ」
些か息苦しさを感じながらもハーヴィーはそっとロイクの腰へとその手を回した。
「私が、あなたを手放すとでも思ったのか?」
「君がそうしたいと思っても、仕方のないことをした自覚はあるよ」
「私はあなたを責めたくてここに来た訳じゃない。あなたに、謝りたかった」
「ハーヴィー……」
「動揺がないと言えば嘘になる。だが、あなたを嫌いになった訳じゃないんだ、ロイ。どんな理由であったにせよ、あなたを不安にさせてしまってすまなかった」
いつもより力強い腕の力が、ロイクの気持ちを伝えてくるようだった。恋人の大きな躰を、ハーヴィーは強く抱き締める。
「私は、あなたから逃げたりしない」
「本当に?」
僅かに上擦ったロイクの声に、ハーヴィーは羞恥が込み上げるのを感じた。
「……はやまった気は、しなくもない…」
「それは、それだけ僕を放っておけなかったという事?」
そう言ったロイクの腕にさらに力が入り、ハーヴィーは慌てた。息が、詰まる。
「ッ、苦しい……っ、ロイッ」
「っああ、ごめんごめん」
パッと両手をあげるロイクを睨み、ハーヴィーは溜息を吐いた。
「まったく、私を殺すつもりか?」
「君が、僕を喜ばせるからつい」
そっと頬を辿る手が頤を持ち上げる。遠慮がちに落とされる口付けを、ハーヴィーは黙って受け入れた。合わせられた唇が深く吐息を貪る。僅かな息苦しさに全身が熱を帯びた。
「ん……っ、ロイ……」
「優しい僕のハーヴィー。愛してる……」
「わ、たしも……」
すぐ目の前にあるロイクのシャツを、ハーヴィーはきゅっと掴んだ。そうしていないと、床に座り込んでしまいそうだ。
「おかえり。僕の愛しいひと」
穏やかな声とともに、ふわりと浮遊感が全身を包み込む。ハーヴィーの躰は、軽々とロイクの腕に抱えあげられていた。
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