朝学習

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 太陽を見てしまった。  早朝の教室が蒸し暑いから、窓ガラスを開けた。暴力的なまでの日差しに気を引かれ、ふっと高橋大地(たかはしだいち)は目をつむる。まぶたの裏で太陽の残像を辿り、校庭で朝練に勤しむ野球部のかけ声に耳を傾ける。じりじりと頬に照りつく日の暑さにうっとりとする。臆病に思いながらも、ゆっくりとまぶたを開く。吹き込む風によって半袖のシャツがふわりと広がる。汗ばんだ肌に、ぬるい風が触れた。あまりの心地よさに、ズボンからシャツの裾が出ても気にしなかった。  細くて生白い腕を前に伸ばして、痩せた体を風に預けた。少し癖のある黒髪が揺れ、取り立てて目立たない小作りな顔に光を浴びる。人より特別な容姿ではなくても、自分の内面を見ればそこは心地の良い天国だった。  教室の扉が開く。 「何しているの」  後ろを振り返ると、そこにはクラスメイトの星野悠成(ほしのゆうせい)が立っていた。大地は慌てて窓から離れてシャツをしまう。 「ほ、星野くん、おはよう」  大地は窓際の自席に座った。 「おはよう」  悠成は自分の席でなく、大地の隣の椅子を引いて腰掛けた。 「今日はどこ」  高校二年で同じクラスになって、偶然朝早くに来た悠成が、朝学習をしていた大地を気にかけてくれるようになった。朝の七時三十分に来て、今みたいに机の端を合わせて大地の勉強を見てくれる。それも三十分だけの限られた時間だけだった。教室に誰かが来たら、悠成との時間は強制的に終了だ。クラスでも底辺の大地と一緒にいるところを見られたくないのだろう、悠成の気持ちも分かる。それでも悠成は隠れて、大地をかまってくれる。  いつも悠成と廊下ですれ違うと、取り巻きの先頭を歩く悠成は、同じクラスメイトの大地に視線をよこさない。百八十センチと背が高く、美貌をたたえた悠成は、顎を上げたまま誇らしげに素通りしてゆく。学年でも際立って目立つグループで、取り分け華やかな悠成は、地味な大地をいないものとして扱う。視界に入れるのも名前を呼ぶことすら、悠成の自尊心が許さなかったのだろう。絹糸のような茶色の髪、透けるほどの白い肌、宵の空にも似た黒い瞳、切れ長の目に縁取られた長いまつげ、縦しわの目立つサクランボ色の唇で不敵に笑う。いつも前髪を気にする自己陶酔な仕草、一番絵になる角度を熟知した傲慢さ。それに秀才ときた。バンドを組んでボーカルも務めているそうだ。天は二物を与えずということわざはどうなった。  大地は鞄から教科書とノート、筆箱を取り出して机の上に広げる。 「うん、ここがね」  ノートをめくる時に肘がぶつかった。さりげなく避けても、悠成が体を近づけてくるから、何度も悠成の湿った腕とこすれる。避けると意識していると笑われるだろうから、早々に腕を動かすのを諦めた。大地の椅子に腕を回した悠成が、肩越しからノートをのぞき込む。 「そこは教えたよね、これを使うんだ」 「そうか、ええっと、これは難しいよ」  大地の背中と悠成の体が合わさる。横から風が吹いてくるのに、二人の重なった体に隙間はなかった。背中が汗ばむから、頭を後ろに動かす。すると、背の高い悠成の気怠げな双眸とぶつかる。 「今日も暑いね」 「まあね、七月だし」  先日、学期末テストを終えた。それなのに、朝学習をするのは大地くらいなものだ。それに付き合ってくれる悠成も大概だが。 「テストが終わっても付き合ってくれてありがとう」  特に口約束をしたわけでもないのに、引き続き来てくれたことに感謝した。  すると、悠成が気まずそうに体を離す。気のせいか悠成の目尻が濡れている。 「テストの結果はどうだった」 「うん、平均点を取れた」 「明確に言いなよ、何点なの」  大地が各教科の点数を言ったら、悠成は肩に腕を乗せて、ペンを持っていた手で頭を撫でてくれた。 「頑張ったね、すごいよ」  照れた顔を隠すよう、大地は顔を俯かせた。その横で、悠成が笑った気がする。悠成の体から流れてくるグレープフルーツの香りにつられて彼を見た。 「星野くんのお陰だよ、今度お返しをするから」 「高橋が? 別に俺はいいよ、どうせ遅刻しないように早起きする口実なだけだし」 「でもさ、」  と、続けようとしたら、廊下から複数の声と足音が聞こえてくる。
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