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封を開けて読んだ悠成の手紙は、学校での彼とは違い、別人格のようだった。それでも、どちらも彼なのだろう。
頭の中で返事を考えながら、席で時間を潰していた。引き出しのなかに封筒をしまう。置きっぱなしの教科書やノートの隙間に手を差し入れ、封筒の乾いた質感に目を細めて何度も指の腹でなぞる。背筋に甘い痺れが走る。まるで自慰をしているみたいな陶酔感を覚えた。先ほど触れた悠成の湿った皮膚、体温、背中に感じた心臓の鼓動、一つ残さず大切になぞる。
悠成が教室に戻ってきた。大地は机から手を出す。視界の端で、悠成の姿を捉える。悠成が自身の席に座り、壁に背を預けて友人たちと雑誌を回し読みしている。彼らに視線を十秒以上留めておくと、悠成に勘付かれる。
大地は胸を上下させながら目をそらし、眼下の校庭を見下ろす。とうに朝練を終えていた野球部が騒がしくしている。
「宮川、早くしろ」
「やべえ、もうこんな時間かよ」
ユニフォーム姿の宮川裕貴が駆け足で校舎に消えてゆく。
十分後、教師が入ってくる。と同時に、制服に着替えた裕貴も教室に滑り込んできた。あまりに華麗なランニングフォームだったから、教室で笑いが起きる。
「さすがエース」
今年の夏、我が校の野球部が甲子園に初出場する。第一試合を控えての猛練習にも、裕貴は一切の弱音を吐かない。学校内では野球部の応援一色になっていた。エース投手としての裕貴への期待も凄まじかった。
「そうだろう」
クラスメイトの言葉に、裕貴は一つとして謙遜しない。他者から投げられる賞賛の声、それらを得られるのは当たり前だと言わんばかりに満面の笑みを崩さない。
「だろう、じゃない、怪我をしたらどうする」
教師に怒鳴りつけられながらも、裕貴は適当にあしらいながら、大地の後ろの席につく。
「大地、はよう」
裕貴が大地の肩を小突いてくる。振り向くと、裕貴はウェットシートで首元を拭いていた。
「おはよう」
百八十五センチの長身、大柄ながっしりした体軀、分厚い胸板、剛鉄のような腕、日に焼けた乾いた肌、整った凜々しい顔立ち、髪の毛は短く刈り込んでおり、その爽やかな笑顔も中学で知り合ってから変わらない。どれも大地に足りないものだった。
「俺さ、汗臭くないか」
裕貴が変なことを聞いてくる。
「ううん」
「そっか、俺の汗を嗅ぎながら一日過ごす羽目にならなくて良かったな」
「それは嫌だ」
大地が軽く笑って見せると、裕貴はしてやったりという顔でにやにやする。席が後ろだからか、こうやって話しかけてくる。裕貴は絵に描いたような好青年だった。なんせ中学からの腐れ縁だ。
「はじめるぞ」
授業が始まる前にもう一度だけ、悠成を盗み見した。入り口付近の席から、既に彼は大地を見ていた。余りにも殺気立った目つきに驚き、窓に視線をやった。見上げた空は、どこまでも青一色だった。
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