88人が本棚に入れています
本棚に追加
/32ページ
「は」
金色の美しい竜。まばたきをしても消えないそれを見上げて、ぽかんと口を開ける。竜なんて、物語の中の伝説の存在だ。実在するはずがない。
ぐるぐるとふざけた動きで空を泳ぐ竜は、やがて高度を下げ始める。不意に、ウルドはその竜と目が合ったような気がした。目を細め、ぴたりと動きを止めた竜は、ぐるると小さく、喜ぶように喉を鳴らす。
『えっと、なんだったかなあ……、ああ……、えー、そなたたちはやりすぎた。長すぎる戦で大地は血に染まり、死の穢れが森を腐らせる。許しがたい罪だ』
ひどい棒読みだった。竜の表情なんて読めるはずもないのに、適当に言っているのがなぜか分かる。
「な、なんだ……あれは……!」
「竜? 喋っている、のか……?」
「化け物!」
争いの手を止め、誰もが空を見上げていた。恐れと動揺が一気に広がっていく。けれど、人々の喚き声など聞こえぬとばかりに、ばさりと竜は雄大に翼をはためかせるだけだった。
『よって、喧嘩両成敗! ……じゃなくて、炎で以ってその罪を注ぐがいい、愚かな人間ども』
とってつけたようなおどろおどろしい宣言とともに、世界は炎に包まれた。
竜が咆哮する。
びりびりと体が震えて、動けなくなった。
空気が震え、竜の口から飛び出した炎の雨が大地に降り注ぐ。熱気がゆらめく間もなくかき消されては、耳を塞ぎたくなるような轟音が次々に辺りを満たしていった。
ひとり、またひとりと人が炭へと姿を変えていく。熱に煽られ、視界が赤く染まっていく。悲鳴さえ上げる間もないほどの高温で、命という命が炎に包まれ消えていく様を、ウルドはただ茫然と見つめていた。
「あ、ぁ」
声も出なかった。何が起きているのかも分からない。神罰というものがあるのなら、きっとこういうものなのだろう。冗談のような光景を前に、ウルドは何もできなかった。無意識のうちに後退りしようとして、それさえ叶わず膝が抜ける。握っていたはずの剣を、地面に落としたことすら気付かなかった。
がくりと座りこむ寸前、力強い腕がウルドの体を支えた。背後から回ってきた腕が、ウルドを抱え込むように、するりと上半身に絡みつく。
「どうしたの、ウルド? 真っ青だよ」
がたがたと震えながら背後を振り仰ぐ。ウルドを後ろから抱きしめているのは、見たこともない青年だった。先ほど空に浮かんでいた竜とまったく同じ、輝くような金色の髪が肩から伝い落ちてくる。こめかみを飾るうろこの名残と、人知を超えた美しさは、彼が人間ではない存在であると、ありありと主張していた。
「もしかして熱かった? ウルドは燃やさないようにって気を付けてたんだけどなあ」
場違いに穏やかな微笑みが恐ろしくて仕方がない。危険な、関わってはいけない存在だと本能が叫んでいた。
「袖が焦げちゃってるから、このせいかな? とりあえず脱いどく?」
けれどその本能的な恐怖とは裏腹に、のんびりとした口調と、ズレた物言いを聞くたび、ウルドの体から力が抜けていく。
だって、ウルドはこの声をよく知っている。ずっとずっと聞きたいと願っていたのだ。
「…………サウィン?」
まさか、と思いつつ呼びかけると、人外の男はぱちぱちと不思議そうにまばたきをした。
最初のコメントを投稿しよう!