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どうしてこうなってしまったのだろう。
軍靴の音。馬の蹄の音。怒号が飛び交い、己を守る兵たちが次々に倒れていく。土煙に覆われた視界に目を細めながら、ウルドはもう何度目かも分からない嘆きを心の中だけで繰り返した。
――王の器ではなかった。
当然だ。何の教育も受けていない第七王子に王座が回ってくるだなんて、一体誰が予想できただろう。
ウルドは妾腹の王子だった。王が気まぐれに手をつけたメイドから生まれた、後ろ盾すら持たない末の王子だ。母に疎まれ、兄に蔑まれ、父王には忘れられ、隅で身をひそめて生きてきた。望んでもいない王座を引き受けた後だって、隣国に付け込まれて攻め込まれた挙句、交渉することもできずにこの様だ。国民にも嫌われる、最低の王だったことだろう。
今日がウルドの最期の日になる。最初から最後までくだらない人生だった。
(叶うことなら、最期に会いたかった)
戦線の中央で思い浮かぶのは、ひとりの変わり者の顔だった。
(サウィン。引き留めるふりくらいしろよ大馬鹿者って、あのとき言ってやれば良かった)
家族で、友だち。ウルドがいればそれでいい。
そんな心地よい情ばかりを注いできたくせに、将軍が迎えに来た途端に「帰れば?」と突き放したあげく、一度たりとも城に会いにも来ない薄情者だ。それなのに忘れようにも忘れられない、ウルドにとって誰より特別な相手だった。
兄王子の度の過ぎたいじめのせいで死にかけたあの日、とにかく誰にも見つからないようにと穴倉にもぐりこんだ。枝でつついて起こしてきたのが、お喋りで変わり者のあの男だった。親もいなければ友だちもいない寂しいやつのくせに、毎日楽しそうにしていた。一緒にいたら、全部忘れてウルドまで楽しい気分になれた。
「土の家を作るんだ」とわけの分からないことを言う割には、レンガの作り方も知らないもの知らず。親切にしてもらった礼にと弓矢で鳥を落とせば、ゴミを見るより冷たい目でウルドを見てくる菜食主義者。サウィンに合わせていたせいで、ウルドまで肉より豆が好きになってしまった。
わがままで気まぐれな変人なのに、驚くくらいおおらかで優しい男だった。事情も聞かずにウルドの傷の手当てし、夜にうなされるたび、宥めるように抱き込んでくれた。土と葉でできた固い寝床だったのに、サウィンが隣にいるだけで、城のどんな寝台よりよく眠れた。
サウィンと過ごした五年間は、間違いなくウルドの人生で最も幸せな日々だった。
サウィンはおおらかな兄のようにも思えたし、落ち着きのない弟のようにも思えた。どんなことでも言い合える親友だとも思っていた。どこにでもいる平凡な男なのに、笑いかけられると変に胸が疼いて、触れられるとじわじわと体が熱くなって、幸せで心臓が飛び出そうになるのだ。サウィンが欲しいものを全部与えてくれる、本当に不思議なやつだった。
(最期にもう一度、顔を見たかった。サウィン)
あの時はウルドも子どもだった。サウィンが引き留めてくれないことが悲しくて、当てつけのように森を出て行った。けれど後になって、サウィンがどこまで事情を理解していたのかすらあやしいことに気が付いた。人懐こい割には、いまいち人の気持ちに無頓着――悪く言えば無神経なのがサウィンという男である。
(でもこんな血生臭い場所、あいつは近づくのも嫌がるだろう)
ウルドの体にもきっと、血の匂いが染み付いている。どんな顔をして会えばいいのかも、もう分からない。だからきっと、これで良かったのだ。
悲鳴が聞こえる。断末魔が近づいてくる。思い出に浸る時間もないらしい。呼ばれるより前に、ウルドは剣を強く握り直した。いざ踏み出そうとしたそのとき、リーアム将軍がほとんどぶつかるようにウルドの足元に倒れ込んでくる。
「防衛線、を、破られました……!」
「将軍!」
息も絶え絶えな様子の将軍を、慌てて助け起こす。血まみれのリーアムは、片腕をおさえていた。傷を受けたのは腕だけではないらしく、砕けた鎧からは深い傷跡がのぞいている。目はすでに焦点が合っておらず、ひと目で助からないと分かった。無能な王に忠義を尽くしてくれた最後のひとりさえ、ウルドを残して死んでいくのだと思うと、やるせなかった。
「お逃げ……くだ、さい……陛下」
「いい。逃げ場などない」
周りを囲む死体を踏みつけにしながら、敵兵たちが近づいてくる。周囲を完全に包囲された今、王たるウルドの仕事は首を敵に差し出すことだけだ。
「……今日までよく仕えてくれた」
「もった、い、なき、……とば、で……」
本音を言えば、不出来な王ですまない、と謝りたかった。けれど、命までかけて尽くしてくれた部下を前に、せめて背筋だけでも伸ばしておくのは、王としての最低限の義務だろう。びくりとけいれんした将軍が最期の息を吐き出したのを見届けて、ウルドは静かにその遺体を地面に横たえる。
一度だけ目をつむって、深く息を吸った。覚悟を決めて剣を掲げ、強く声を張る。
「――来るがいい。死に急ぐ者に、この命をくれてやろう!」
『じゃあ、俺がもらおっちゃおうかな』
ウルドが叫ぶと同時に、空から声が降ってきた。声と言っても、音など何も聞こえない。それなのに、頭の中に直接伝わってくるような、不気味な言葉だった。ぞわりと全身の毛が逆立って、本能的な畏怖を感じずにはいられない。
ウルドも、周囲の兵士たちも、一斉に天を振り仰いだ。
竜がいた。
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