土の楽園で会いましょう

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 時は少し(さかのぼ)る。  日に透ける金色の髪をくるくると指に絡めながら、ひとりの青年が鼻歌を歌っていた。  外からの呼び名は神秘の森でも、住民からしてみればただの住みよい古い森。長年その地を守り続けてきた住民たちは自らを『森の民』と称して、豊かな自然の中でのどかな日々を過ごしていた。   「俺、土だけで家作ってみたいなあ」    変わり者ぞろいの森の民の中でも、飛びぬけた変人と称されるサウィンは、脈絡なく呟いた。彼には、思いついたらそうせずにはいられないという悪癖があった。 「は? なんで。木が嫌いになったのか」 「いや、別に。でもなんかいいじゃん。ロマンがあって」  土だけでできた家。あえて原始的なやり方で、自分だけの家を作るのだ。なかなかにそそられるではないか。 「お前、いっつもそうだよな。前の家だって……木だけで作る、だっけ? それで作ったばっかりなのに、よくもそうころころ色々やりたがるもんだ」 「ありがとう」 「別に褒めてない。たまにはひとつのことに集中してみろよ。森の民のくせして、宝もないんだろ?」  森の民は愛情深い。『宝』と呼ばれる愛情の対象を見つけると、それを生涯かけて慈しむ。愛が深く、情の重い一族なのだ。 「宝なんて、なくてもいいよ」 「はあ?」 「俺は多分、みんなみたいに愛せない。面白そうなもの全部試してみたけど、本当に愛せるものなんて見つからなかったしね」 「物じゃなくたって、生き物なら見つかるんじゃねえの」 「番? ひとりに縛られるのは、性に合わないなあ」    ひらひらと手を振ったサウィンは、振り返ることなく森に入っていく。土を使うなら、まずは掘らないことには話にならない。 「寂しいやつ」    憐れむように呟かれた言葉は、聞こえないふりをした。  さて、思い付きで始めた土の家づくりであったが、これがなかなか難しい。  盛り土を固めて穴を空ければ家っぽくなるだろうと思ったけれど、崩れて終わってしまうのだ。  人間たちは土からレンガを作り出し、なんとも洒落た建物を作り出しているというのに、この差はなんだというのだろう。崩壊したトンネルから這い出しながら、サウィンは嘆く。これではせっかく作った服まで泥にまみれて台無しだ。そもそも一日と持たない住居は家とは呼べない。  悲しむサウィンに、隣人は冷たく手を振った。 「馬鹿なことするなら森の奥でやれ。うちまで土まみれになるだろ。向こうの方なら誰も使わないから、ひとりで好きなだけ穴でも掘ってろ。里を汚すな、サウィン」 「それだ!」  天啓を得たと指を鳴らせば、隣人はますます冷たい視線を向けてくる。けれど、そんなことはどうでもよかった。土を積むからいけないのだ。表面の土は柔らかいのだから、崩れやすいに決まっている。  掘ればいい。  「ありがとう」と礼を言って、サウィンは一目散に森の奥に駆けて行く。そんなサウィンを止める者は誰もいなかった。いつものことだと言わんばかりに、森の民は顔を見合わせ、やれやれと首を振る。 「人間の真似事なんて馬鹿馬鹿しい」 「どうせすぐに飽きるだろ。村を汚さないならなんでもいいさ」 「トンネルを作りたいなら踏み固めればすぐなのにね」 「無駄なことが好きなんだよ。あいつも若いな」 「え? 千年くらい生きてなかったっけ? 長老の次に長生きだって聞いたけど」 「そうだっけ? いちいち数えてないから分からないなあ。見た目も変わんないし」 「まあ、どうでもいいよ。掟さえ守ってれば関係ない」  ぽつりぽつりと交わされる会話に混じって、のびやかな歌声が空気を揺らす。木々の合間には光る綿毛がふわふわと飛び交い、虹色の羽を揺らす妖精たちもまた、人々に合わせるように楽しげな笑い声を上げている。  自然を崇め、神秘に寄り添い暮らす彼らは森の民。彼らの強すぎる力を恐れた女神が、箱庭を与えることで世界から隔離した長寿の一族であり――またの名を、竜族といった。  はたしてサウィンはひとり、誰も立ち入らぬ森の奥に踏み込んだ。同胞たちに何を言われているかなど気にも留めない。彼にとって大切なのは自然と自分。それだけだ。  重い執着が竜の習性と言われる中、サウィンはそれに当てはまらなかった。少なくとも、サウィン自身はそう思っていた。  楽しいことも美しい生き物も、世界には無数にあるというのに、なぜひとつに縛られなければならないのか。ひとつのものに執着しすぎて他への興味を失うなんて、もったいないにもほどがある。    一度だけ、サウィンに懐いてきた豪胆な子ウサギを育てたことがあったけれど、あの子はサウィンを置いてあっけなく逝ってしまった。構い過ぎてしまったのかもしれないし、寿命だったのかもしれない。かわいそうだとは思ったけれど、それだけだった。  サウィンには愛し方が分からない。  存分に何かを慈しんでみたいと思ったこともあったけれど、きっと向いていないのだ。ならば、永劫に近い時間を、せめて暇つぶしで埋めて生きるしかないではないか。  良くも悪くも周りを気にしない性質であるサウィンは、来る日も来る日も、木の鍬を振り上げては穴を掘った。岩を取り除き、虫には立ち退きを要求し、鼻歌交じりに穴を掘っては踏み固めていく。  やがて穴の深さがサウィンの背丈を越え、もはや穴というより地下室というべき広さに達するころ、事件は起きた。 「わお。人間だ」  いつも通りに木の上で眠ったあとの、日も登らぬ早朝のことだ。家もどきの穴まで足を伸ばしてみれば、そこには見慣れぬものが落ちていた。不浄の血で塗れたぼろきぬのようなそれは、どこからどうみても人間の少年だ。 「まだ完成してないのに勝手に入って、困った子だな」     うーん、とサウィンは首を傾げる。  落ちてるものは拾っていい。つまりこの子はサウィンのものだ。  しかし、森の民の住処に人間を連れ込むことは許されていない。自由人たるサウィンといえど、故郷の森に愛着はある。掟破りで追放されるのは嫌だった。  幸いこの場所は、ぎりぎり外の世界との境界線上にあった。 「おっけーおっけー。許される」    ひとり頷いたサウィンは、人差し指を一振りすると姿を変えた。竜族特有のうろこの名残も、神性を帯びた容姿も、人間には刺激が強いだろうと思ったからだ。金の髪は茶色に。同色の瞳は人の子の髪色と同じ黒へと変える。ついでに年も人間の少年と同年代に擬態すれば完璧だ。  縮んだ体で、サウィンは少年に声をかける。ちっとも起きないものだから、その辺の枝でつついてみれば、ようやく少年は嫌そうに顔を歪めた。 「おい。おーい。起きてる? 生きてる? ねえねえ」 「……ぅう」 「お、生きてた。ねえ、名前は? 何歳? まだ(ここ)完成してないから、寝心地悪いでしょ。ここ俺の家なんだけど。何してんの? どっから来たの? なんで寝てるの?」  人間と話すのなんて何十年ぶりだろうか。わくわくして、ついつい口数が多くなってしまう。辛抱強く声を掛けていると、人の子はぴくりと指先を動かし、朦朧と唇を動かした。  何だろうと耳を近づけてみれば、聞こえた言葉は「うるさい」だった。 「ウルサイ? ふーん、ウルサイくんか。それ、痛くないの?」 「ちがう……煩い、と……言ったんだ……」 「分かった分かった。ウルサイくんね。血ぃ出てるよ。大丈夫?」 「だい、じょうぶな、わけ……」 「ウルサイくん? ウルサイくんてば。おーい。……あれ? 寝ちゃったかな」  力尽きたように目を閉じた少年は、つついても揺らしても反応しなくなった。困ったものだとサウィンはため息をつく。何しろ人間は脆くて弱い。傷の手当てもせずに寝ては、死んでしまうかもしれない。何よりここに落ちていられると穴掘りができないではないか。 「しょうがないなあ」    血に触れないようにと少年の体を布でくるんで、サウィンはひょいと少年を横抱きにする。川で血を洗い、軟膏くらい塗ってやろうと思ったのは、親切心というよりは暇つぶしの意味合いが強かった。何しろ千年近く生きているもので、娯楽は積極的に掴みにいかないと、あっという間に百年、二百年と過ぎてしまうのだ。  無意識だろうか、少年はサウィンの服をぎゅっと掴んでくる。 「赤ちゃんみたい」  実質、サウィンにとって人間などみんな赤子に等しいが。  よしよしと少年の手を宥めるように撫でてやり、サウィンは「一日一善!」と適当なことを言いながら川へと向かっていった。
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