逢いたかった

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夢を見ることの出来ない盲目の僕に、誰かが話しかけてきた。 「命と引き換えなら、お前の望みを叶えることができる。チャンスは一度しかやってこない。水辺に出くわした時に、強く願うがいい」 五時半のアラームが鳴りだした。 「おはよう、アラームが鳴りっぱなしよ」 お母さんが心配して部屋へ入ってきた。 「あっ、ごめんなさい。夢っていうか、奇妙な話を聞いた気がしてさ」 「あらぁ、どんな話かしら」 「よく覚えてないや」 僕は、なぜか分からないが咄嗟に嘘をついた。お母さんは、それ以上話に踏み込んではこなかった。そして毎朝しているように僕の手をとり、洗面台へ向かった。 「おはよう」 新聞の開かれていく音とお父さんの声は、毎朝重なる 「おはよう」 「大介、もうすぐ誕生日だな」 僕は時間の概念が備わっていないから、誕生日などわかるはずもなく返事をしなかった。 お父さんは、僕が盲目だからなのか会話が殺風景でだった。 そんな戸惑う僕の気持ちを察するかのように、お母さんはいつも優しく会話を繋いでくれる。 「そうねぇ、誕生日には大介の大好物の唐揚げをつくりましょう」 お母さんは長い年月、決して優しさを変えない。トイレをすまさせ、洗面台へ向かわせ、 僕の部屋へ戻してくれる。 盲目の僕の尊厳を大切に守ってくれ、挫けないように支え続けてくれている。 僕は部屋に戻されると、唯一着替えだけは一人でし、ベッドの布団を片付ける。 たったこれだけの事だが、自分も生きている一人でいたかった。その後、必ず椅子にすわり、僕が最後に見た記憶を思い起こす。 「きっと、あの人がお母さんにちがいない」 僕は決してあの場面だけは忘れたくなかった。あの薄っすらとした人影が消えてしまったら、真っ暗な世界だけが永遠に続いていくような気がして怖かった。 「あっそういえば、あの声は、一体だれ」 僕は、今朝アラームが鳴る少し前に起きた出来事を思い出した。 夢を見ない僕にとって、現実世界との境界線は曖昧だった。もしかしたら誰かが囁いたのかもしれないし、夢とよばれるものなのかもしれない。 でも、僕の望を叶えてくれると聞こえたのは確かだった。 「ずっと胸にしまっていた望…」 僕はうつむき、首をふった。 翌日は半年に一度の眼科検診だった。 「大介、準備できたからいきましょう」 お母さんの明るい声がした。 医学の進歩は凄まじい勢いだが、事に目に関しては中々特効薬などは開発されず、年齢が上がってくると、長い先の人生の支援についての話が増えていた。 「大介君、点字はだいぶ慣れたようだね」 「はい」 「段々に、翻訳の仕事がやってくるかもしれないよ。頑張って準備しておかないとね」 「翻訳ですか」 「そうだよ、他にもあんまさんと呼ばれる整体師の仕事や、大介君は若いから、色々な分野があると思うよ、相談室が一階にあるから寄ってみたらいいよ」 「わかりました。お母さんに聞いてみます」 「大介君も、もう少しで二十八歳。自分の考えも大事だよ」 僕は主治医の言い方に棘を感じ、いつもならお母さんと手を繋いで出る診察室を、一人で出ようとした。 お母さんはさっと手を繋ぎ 「気にしないのよ」 と、耳打ちしてくれた。 その日の夜、お父さんの荒げた声が聞こえ大介は耳を澄ました。 「いつまでもこのままじゃダメだろう。 何か手職をもたせるなり、仕事を探してやらないと…」 僕は、今日の主治医の話で、もめているのだと分かった。 「ですから、先生は段々にはと言ってましたから。そんなに焦らなくても」 「大介は二十八歳だぞ、何、呑気なこといってるんだ、お前がそんな考えだから医者が言い出したんだろ」 「違います、大介の苦悩は一生かかっても、私達にはわからないんですよ、待ってあげるのが家族でしょう」 「お前は甘やかし過ぎだ!俺たちが先に死んでいくんだぞ、わかってんのか」 お父さんの怒りの声が、家中に響き渡った。 僕は、お母さんが僕のせいで怒鳴られている事に焦った。そばにいって、お父さんに立ちむかいたくて、手摺につかまり歩きだした。歩けば歩くほど二人の声は遠退いていき、一人でその場にいくことが出来なかった。 「いい加減にしてください!」 お母さんの声が泣いている。 「お母さん」 僕の声はとどかなかった。悔しくてその場に座り、握った拳で両目を強く押し込んだ。 「僕は何の為に生まれてきたんだ」 止まらない涙を床にこぼしながら、そのまま朝まで眠っていった。 誕生日の朝は日曜日だった。 「大介が、魚釣りしたいなんてなあ」 お父さんは、二十年ぶりの家族旅行に上機嫌だった。 「そうねぇ、海にいくなんて、大介が小さかった時だけだもの」 お母さんも、とても嬉しそうだった。 大介は、自分のたった一つの望みを叶える日を誕生日に選んだ。 「着いたぞー」 お父さんから、初めて優しい陽気な声を聞いた。 「お父さんたら、急がないでよ。大介は時間がかかるんだから」 お母さんから、初めてはしゃいだ声を聞いた。 僕は、この道を選んだ事に後悔はなかった。 波の音が、胸に染みる。 潮風が、僕を迎え入れてくれている。 水辺はすぐそこだ。 僕は足を止めた。 震えながら口に出したたった一つの望み。 「僕の望みは、お母さんを一目見たいことです」 すると、薄暗かった目の前が真っ白に変わりだす。僕は立ち尽くした。輝く世界が僕に全てを与えた気がした。 「お母さん」 「どうしたの、座ったら」 お母さんは、とても綺麗だった。 「お母さん目の前の青いものは何て言うの」 「えっ」 僕は空を見つめた。 「大介、まさか、見えるの」 僕は微笑みながらお母さんに頷いた。 「なんてことなの、お父さん、お父さん、大介が、大介が」 お母さんは僕を強く抱き締めた。 「あぁ神様、神様」 お母さんの涙が肩にこぼれ落ちている。 「どうしたんだ、なんの騒ぎだ」 「大介が、大介の目が」 「お父さんって、眼鏡してたんだね、、」 そこまで話し出すと、僕は涙が溢れてきた。 「み、み、見えるのか、大介!奇跡だ、奇跡が起きたんだな」 僕は初めて家族の温かさを知った。 僕らは砂浜に座った。 「お母さん、この目の前の大きな青いものは何て言うの」 「空よ」 「お母さん、あの眩しい光は何て言うの」 「太陽よ」 僕は、お母さんの優しい顔を心に刻んだ。 「大介、目の前に見えるのが海だー」 お父さんが話に割り込んできて三人で笑いあった。忘れることのない家族の幸せな時が波のように流れていた。 僕は、なぜだか急に眠気がやってきて、いよいよ合図ではないかと寂しく思った。 「お母さん、本当にありがとう。お母さんがずーっとそばにいてくれて、僕は幸せだったよ」 「何を言ってるのよ。これからも先も、ずっとずっと、そばにいるわよ」 「お父さんもいるぞ」 その言葉を聞くと、大介の目が涙で見えなくなっていった。そして深い眠りに落ちていった。
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